新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

海神が来る夜

 アルジャーノン=ブラックウッドにStrange Storiesという短編集がある。この本が1929年にハイネマンから刊行されたとき、興味を覚えたラヴクラフトは1929年12月15日付のダーレス宛書簡で「『柳』と『ウェンディゴ』が収録されているといいんですけどねえ」と希望を語った。その後、ダーレスが彼に内容を知らせたらしい。

  • 木に愛された男
  • The Sea Fit
  • 雪女
  • 約束した再会
  • 岸の彼方へ
  • 客室の先客
  • ホーラスの翼
  • 水で死んだ男
  • Malahide and Forden
  • Alexander Alexander*1
  • もとミリガンといった男
  • まぼろしの我が子
  • The Pikestaffe Case
  • Accessory Before the Fact
  • The Deferred Appointment*2
  • Ancient Lights
  • 小鬼のコレクション
  • ランニング・ウルフ
  • 獣の谷
  • 打ち明け話
  • エジプトの奥底へ
  • 古えの魔術
  • You May Telephone from Here

 目次は上記のとおりで「ウェンディゴ」は収録されていない。「持っておく価値がありそうです。でも収録作については、もっと賢明な選び方があったかもしれませんね」というのがラヴクラフトの見解だった。彼の蔵書目録には見当たらないので、買うのは見合わせたのだろう。
 収録されている未訳作品のうち"The Sea Fit"を紹介させていただく。物語の舞台はイングランド南部のドーセット。復活祭の夜、砂丘に建てられた平屋の家には二人の人物が招かれていた。リース砲兵少佐と、その半兄弟であるマルコム=リース医師だ。家の主人はエリクソン船長といって、彼らは十年来の親友だった。また召使いのシンバッドもいた。エリクソンと数々の航海を共にしてきた忠僕で、合わせて4人ということになる。
 エリクソンはバイキングが現代に甦ってきたような男で、陸で億万長者になるより海で平水夫の仕事をしたいという信念の持ち主だった。財産はほとんどなく、いま住んでいる家も小屋といったほうがよさそうだ。満月だからなのか彼は饒舌で、愛する海のことを延々と喋り続けていた。エリクソンが海の話をすると止まらなくなってしまうのをリース医師は"sea fit"と名づけており、これが作品の題名になっている。fitは発作という意味なのだが、どう訳したらよろしきや。
 古の神々は死んではおらず、真の信徒がひとりでもいれば再び人の世に現れるだろうと熱弁を振るうエリクソン。我が身を神に捧げることは死ではなく神との合一なのだ――何やら不穏な気配が漂ってきた。少佐と医師は船長の熱狂を鎮めようとするが、彼らの努力も功を奏さない。そのとき、ノーデン神父が到着した。エリクソンの甥に当たるイエズス会士で、船長の精神状態を案じたシンバッドが密かに電報を打って呼び寄せたのだ。だが神父は事の重大さに気づいていないようで「最初この家がよく見えなかったんですよ。全体が海霧に包まれて隠れているみたいで」などと口走って逆効果になるのだった。
「軍隊に教会に医者に労働者――」とエリクソンが呟いたのを聞いていたのはリース医師だけだった。「何という立派な成果、何という華々しい捧げ物! 無価値なのは俺だけのようだな――」
 家の中に冷気が満ち、駆けこんできたシンバッドが「来ます、神よ救いたまえ、入ってくるんです……!」というようなことを叫ぶ。砂塵か波飛沫か、はたまた濡れた巨大な海藻が窓ガラスに打ちつけられるような音がした。「彼が来るぞ!」とエリクソンは大音声で宣言し、開け放った窓から夜の砂丘に飛び出していった。
 少佐たちは慌てて後を追った。エリクソンは波打ち際で頭を垂れて腕を広げたが、その次に起きたことを正確に語れるものは誰もいなかった。何かがエリクソンを包んで半ば覆い隠し、海水に濡れて光る砂浜の上を彼は進んでいった――そして姿を消した。ノーデン神父は跪き、エリクソンが神の御許に召されるようにと祈る。
 エリクソンの遺体が発見されることはなかった。少佐たちが家に引き返すと室内は一面が海水で濡れており、家の外にも巨大な波が押し寄せてきたような跡があった。その晩、高潮が観測されたことは事実で、プール港が氾濫したという。そして遙か内陸でも海の音が聞こえ、その音は勝ち誇って歌っているようだった……。
 古の神が信徒を迎えに来る話だが、陸で生きられなかった男が海へ去っていく物語だと捉えることもできるだろう。もし仮にダーレスがこの題材で書いたとしたら、エリクソンの内面描写にもっと文章を費やしたかもしれない。

ラヴクラフトが行きたがった外国

 ラヴクラフトが行ったことがある唯一の外国はカナダだ。だいぶ気に入ったらしく、三度もケベックを訪れている。だが寒いのが苦手な彼としてはむしろ南の国に関心があったのではないか――と思っていたら、1930年1月14日付のジェイムズ=F=モートン宛書簡で話題になっていた。

ご旅行の件ですが、もっとも広範かつ洒脱な形で計画が実現しますように。いま私が行きたいのはアレクサンドリアフレデリックスバーグかリッチモンドかウィリアムズバーグですね――知識のある場所を観光したいのです――もっといいのはチャールストンセントオーガスティンかニューオーリンズバミューダかジャマイカです。もしもプロヴィデンスを出て行く元気があれば――あるいは、あの忌々しい蛮族どもが私の目の前で古都を破壊するようなことがあれば――バミューダかジャマイカに住みたいものです。メキシコやキューバや南米には心が惹かれません――望むのは南国の気候に加えて我がアングロサクソンの文明です。バミューダにはジャマイカにもジョージ王朝時代の家屋がありますから。国王陛下万歳!

 モートンが南部に旅行するというので、ラヴクラフトも自分の希望を語っている。原文は南部訛りっぽい綴りになっているのだが、訳文に反映させるのは止めておいた。余談だが、この手紙の出だしは「計り知れざる蛍光の眩き富士山」だ。ボストンかプロヴィデンスの美術館で見かけた富士山の浮世絵でも思い出しながら書いたのではないかと思うのだが、蛍光とは何のことだろうか。
 行くなら英領バミューダかジャマイカがいいというラヴクラフト。その理由が彼らしいが、ここで名前を挙げられた地名のうち国内への旅行はほとんどが後に実現した。たとえば1932年6月6日にはニューオーリンズからダーレスに手紙を出し、ミシシッピ川を臨みながら「この川の向こう岸が君の『木蓮林の家』*1の舞台に違いありませんね」などと感想を述べている。
 当時ニューオーリンズにはホフマン=プライスが住んでいたが、ラヴクラフトは彼の住所を知らなかった。だがラヴクラフトが滞在しているホテルをロバート=E=ハワードがプライスに電報で教えたので、プライスはそこに駆けつけてラヴクラフトと一緒に遊ぶことができたという。二人の語らいは12日の午後9時半から13日の午後11時まで25時間半にも及び、ハワードの粋な計らいにラヴクラフトは1932年6月14日付の手紙で感謝している。なお、このときのプライス側の証言については『定本ラヴクラフト全集』(国書刊行会)3巻所収の「ラヴクラフトと呼ばれた男」を御参照いただきたい。
 18日にニューオーリンズを発ったラヴクラフトはモービルとモントゴメリーを経てリッチモンドに到着した。リッチモンドにはかつてエドガー=アラン=ポオが住んでいたことがあり、ラヴクラフトにとっては一種の聖地巡礼なので興奮気味だ。21日にはメイモント公園の日本庭園でダーレス宛の葉書を書き、庭園の美しさを「見ることがかなわなければ、せめて辿り着こうとして身を滅ぼすべき生ける夢の地」と称えている。
maymont.org
 この風景をラヴクラフトも見たのだろう。また、たまたま南部同盟の退役軍人団体が年次式典を開催していたため、町中で南軍旗が翻っていたという記述もある。南北戦争で実際に従軍した兵士が当時はまだ存命だったのだ。

デュマとダンセイニと

 ラヴクラフトがロマンス小説を受け付けようとしないことに対し、C.L.ムーアは1935年12月7日付の手紙で意見を述べている。

幻想文学に対する先生の愛情や理解と対照的なロマンスへの嫌悪について申し上げたいことがございます。デュマが書いたものを本気にする必要はありませんし、それはダンセイニの作品を真に受ける必要がないのと同じことです。もちろん、何もかも薔薇色の眼鏡で見たがる人は大勢いるでしょうけど、それをいったらラムレイ老だって自分の幻想を愚直に信じているわけです。美形のヒーローとヒロインだけが住む素敵な青春の世界があり、人生は不愉快なものが一切ひっついてこない遊戯のような冒険の時間だと読書の間だけ信じてみることは、時空と自然の法則はシャンブロウやCthulhu(正しく綴れているでしょうか?)の存在を許容できるほど柔軟なのだと読書の間だけ信じるのと同じくらい楽しいことだと私には思えるのです。もちろん、世間に公表する文学作品として通用するためには、作中の出来事は信じがたいほど自然現象の外にあるべきで、反するものであってはならないというのが先生の論点なのでしょう。でもハワードの豪華絢爛なコナン伝説も大部分は純然たるロマンスですし、ああいう作品を楽しんでいては自尊心を保てないなどということがあるでしょうか?

 手紙の中でクトゥルーに言及するたびに「綴りは正しいですか?」と確認するのはムーアが好んだ冗談だったようだ。ラムレイ老というのはラヴクラフトと「アロンソタイパーの日記」を合作したウィリアム=ラムレイのことで、ラヴクラフトと愉快な仲間たちの間ではオカルト好きの人物として有名だった。
 ロマンス小説を茶化した「可愛いアーメンガード」をラヴクラフトは書いている。ロマンスを嫌っているというよりは見下しているといったほうがよさそうだが、だからこそムーアとしては反駁したくなったのだろう。アレクサンドル=デュマとダンセイニ卿を並べて引き合いに出すあたりが彼女らしい。デュマといえば『ダルタニャン物語』だが、ウィアードテイルズ三銃士という称号を後に奉られたと知ったらラヴクラフトはどう思っただろうか。
 自然現象に反するのではなく自然現象の外側にあるべしというのはラヴクラフトの持論をうまく要約している。たとえば「闇に囁くもの」なら、ミ=ゴが出てくる点以外はすべて事実だと読者に思わせたいということだろう。ラヴクラフトが細かい数字や名前にやたらとこだわるのも、そのためだった。*1そのことを踏まえた上で、本を読んでいる時間だけダルタニャンや三銃士の存在を受け入れるのはペガーナの神々を受け入れるのより難しいですか? とムーアは問うているのだが、結局は好みの問題に帰結してしまうので説得は難しかったのではないか。
 ところでロマンスとは別の問題になるが、ラヴクラフトはエロには意外と寛容だった。ウィアードテイルズといえばマーガレット=ブランデージの表紙絵だが、毎回のように裸の美女では雑誌の品位が下がるとウィリス=コノヴァーが主張したことがある。そんなのは些事だというのがラヴクラフトの見解で、1936年9月23日付のコノヴァー宛書簡で理由を説明している。

WT誌の表紙ですが――「些末」だと私が見なしたのは、そもそも完璧からは程遠い雑誌なのだから表紙の問題が加わったくらいで大勢に影響はないというのが理由です。平均すると、読む価値のある作品は1号あたり多くて二つ、しかも一つしかないほうが普通です。年間12号が発行されるうち3号か4号は完全に取り柄がありません。作品の冒頭を飾る「芸術」と来たら、ランキンや(最近は)フィンレイががんばってくれている以外は冗談も同然です……こんな惨状ではブランデージの表紙絵などバケツ一杯の水に一滴が加わるようなもので、誰が気にするでしょうか? いつだって私はパルプ雑誌に最悪しか期待せず、クラーカシュ=トンやムーアやハワードの作品が稀な例外として現れれば感謝する有様です。しかしながら――ブランデージ問題に実際的かつ功利的な側面があることは認めます。厳格な御両親の恐怖とか、潔癖で不慣れな友人たちの訝しげな眼差しといった問題です。

 この手紙が書かれたとき、コノヴァーはまだ15歳だった。ウィアードテイルズはおっぱい丸出しの美女を売り物にするのではなく、もっと硬派な存在であるべしという少年の主張に「まあ親御さんに見られたら困りますもんねえ」と苦笑気味で返事をするラヴクラフト。ちょっと微笑ましい光景だ。

海の呪い

 ロバート=E=ハワードの初期の作品に"Sea Curse"という短編がある。1926年の初秋にウィアードテイルズの編集部に受理され、1928年5月号に掲載された。現在では公有に帰しており、ウィキソースなどで原文が無償公開されている。
en.wikisource.org
 物語の舞台はフェアリングという港町。船乗りのジョン=クルレックとカヌールは町の不良たちから一目置かれる存在だ。魔女だという評判のあるモール=ファレルの姪がジョン=クルレックに弄ばれた挙句、溺死体となって浜辺に打ち上げられるという事件があった。自殺か他殺か、いずれにしてもジョン=クルレックのせいで死んだことは火を見るより明らかだ。少女の遺体を見ても平然としているジョン=クルレックに向かってモール=ファレルは叫んだ。
「呪われよ! 貴様がむごたらしい死に方をし、100万と100万さらに100万年の間、地獄の炎の中でのたうち回るように。そして貴様は」モール=ファレルはカヌールを指さした。「ジョン=クルレックに死をもたらし、ジョン=クルレックが貴様に死をもたらすであろう!」
 ジョン=クルレックとカヌールは航海に出かけていったが、帰ってきたのはカヌールだけだった。クルレックはスマトラの港で船を下りたとカヌールは説明するが、外国どもの漕ぐ幽霊船がそのとき現れ、ジョン=クルレックの死体を運んでくる。死体の背中にはカヌールの短剣が突き刺さっていた。
 幽霊船は跡形もなく消え、カヌールは恐れおののいて罪を認めた。彼がジョン=クルレックを刺し殺し、死体を海に投げこんだのだ。ジョン=クルレックの死体を見下ろして高笑いしながら、モール=ファレルは血を吐いて前のめりに倒れた。そして絶え間なく寄せては返す波の彼方に朝日が昇ったのだった……。
 ダーレスが書いたといわれても通りそうな因果応報のお話だが、魔女の婆さんが姪の仇を呪う場面のすさまじさはハワードならではだ。フェアリングを舞台にした作品をハワードはもう二つ書いているが、どちらも発表されたのは彼の死後だった。ひとつは"Out of the Deep"という短編で、水死者に化けてフェアリングにやってきた魔物の恐怖を描いている。
 船乗りのアダム=ファルコンが海で死に、亡骸がフェアリングの浜辺に打ち上げられた。彼だけがこんなに早く戻ってくるとは奇妙なことだと囁き交わす住民たち。許嫁のマーガレットはアダムの亡骸を抱きしめて口づけするが、途端に悲鳴を上げて後ずさりした。
「アダムじゃない!」と叫ぶマーガレット。彼女は悲しみのあまり錯乱しているのだろうと人々は思ったが、通夜の最中にマーガレットは殺害され、アダムは姿を消す。その晩、フェアリングでは次々と犠牲者が出た。無名の主人公は独り浜辺に赴き、アダムの姿をしたものと戦って勝利を収める。アンデッドに刃物は通用しないだろうと思いきや、死人に化けた海魔だったのでナイフで刺し殺すことができたのだ。息の根を止められた怪物は正体を現し、昇る朝日に照らされながら波に運び去られていくのだった。微妙にクトゥルー神話っぽい話だが、ラヴクラフトとの文通で話題になったことはない。
 もうひとつは"A Legend of Faring Town"という詩で、丘の上に住んでいたメグという老婆のことが綴られている。彼女は昔かわいらしい娘を連れてフェアリングに引っ越してきたのだが、その子はいなくなってしまった。おそらく亡くなったのだろうと人々は考え、メグは船の帆綱を修繕して生計を立てていた。
 ある晩、メグの家から火の手が上がった。彼女は家から出てこず、駆けつけた人々が中に入ると、ベッドに子供の骸骨が寝ていた。メグはその上に屈みこんでおり、人々は彼女を子殺しの罪で縛り首にした。だが、その後で見つかった本にはメグの拙い字で真相が書いてあった。メグの娘は病気で亡くなり、彼女は我が子と離ればなれになりたくないと願うあまり、ずっと遺体と共に暮らしていたのだった……。
 非常に陰鬱な内容で、ハワードの作品としては習作の部類に入るだろうが、読む者を圧倒する力のこもった文章には彼らしさが感じられる。どちらもThe Horror Stories of Robert E. Howardに収録されている。

人狼の森で

 ラヴクラフトは1930年からロバート=E=ハワードと文通していたが、1933年まで相手の年齢を知らなかった。1933年3月25日付のハワード宛書簡で彼は次のように述べている。

ところで――あなたがまだ27歳だと最近わかって、私は本当に驚きましたよ。すると「狼頭綺談」などの作品を書いてウィアードテイルズで(たぶん他誌でも)人気作家に躍り出たときは19歳の若者だったわけですか。非常に確かな才能の証ですね。19歳の子が書いた作品は他にも同誌で見かけたことがありますが、あなたの1925年の小説は抜群にすばらしいものでしたから。しかも、それ以降も着実に成長しておられます。

 「狼頭綺談」の初出はウィアードテイルズの1926年4月号だ。「たぶん他誌でも」とラヴクラフトが書いているのは、ウィアードテイルズ以外の雑誌で彼がどんな作品を発表しているのか知らず、ハワードの側も積極的に明かそうとはしなかったからだろう。自分の活動を逐一ラヴクラフトに報告していたダーレスとは対照的だが、そのことはさておきハワードはラヴクラフトの温かい言葉に1933年6月15日付の返信で感謝している。

「狼頭綺談」など初期の試作に温かいお言葉をくださり、本当にありがとうございます。"Spear and Fang"や「滅亡の民」や"The Hyena"*1を執筆したとき、僕は18歳でした。"In the Forest of Villefére"や「狼頭綺談」のときは19歳でした。その後は次の小説が売れるようになるまで丸々2年もかかっています。その2年間のことは考えたくありません。

 丸々2年というのは大げさで、「狼頭綺談」がウィアードテイルズの編集部に受理されたのは1925年の10月頃だが、その次の「夢の蛇」が1926年の初秋なので実際には1年しか間隔が空いていないとラヴクラフト・ハワード往復書簡集に註釈がある。ただし作品が発表された時期で考えると「狼頭綺談」の次が1928年3月号掲載の"The Hyena"なので、ハワードのいうとおり2年間となる。
 ウィアードテイルズに掲載された短編の題名をハワードは手紙の中でいくつも並べているが、ここで言及されている"In the Forest of Villefére"は「狼頭綺談」の前日談に当たる短編で、ウィアードテイルズの1925年8月号に掲載された。現在では公有に帰しており、「狼頭綺談」ともどもウィキソースなどで無償公開されている。
en.wikisource.org
 今日に至るまで日本語に翻訳されていないので、粗筋を簡単に紹介しておこう。主人公はノルマンディーのド=モントゥールという男。重要な情報を携えてブルゴーニュ公のもとへ急ぐ旅の途中、ル=ルーと名乗る男に森の中で出会う。その男の正体は人狼だったが、襲われたド=モントゥールはからくも返り討ちにした。「人狼が人間の姿をしている間に殺せば、殺したものは生涯その霊に憑かれるだろう」というル=ルーの言葉を思い出しながら、ド=モントゥールは旅を続けるのだった。
 続編「狼頭綺談」のほうは邦訳があり、国書刊行会のドラキュラ叢書などに収録されている。ル=ルーの悪霊に憑かれたド=モントゥールは人狼と化してしまい、呪いに苦しめられながらアフリカまで流れていく。しかし彼は我が身を棄ててまで人々を護ろうと戦い、ついには呪いに打ち勝つのだった。自分が人狼になった経緯をド=モントゥールは作中で語り直しているので、前作のほうは読んでいなくても理解に支障はない。むしろ2編を続けて読んでしまうと同じ話が繰り返されることになるが、"In the Forest of Villefére"の邦訳がないのはそれも一因かもしれない。

ルルイエの夢

 昨日の記事でリン=カーターの"Visions from Yaddith"を照会したが、彼のクトゥルー神話詩編といえば代表作は"Dreams from R'lyeh"だろう。ウィルバー=ナサニエル=ホーグという青年詩人に仮託して書かれたもので、31編の十四行詩から構成されている。そのほとんどは1960年代にジョージ=H=シザーズが発行していたファンジン〈アムラ〉*1が初出だ。1975年にアーカムハウスから単行本が刊行され、その後The Xothic Legend Cycleに再録された。
 "Dreams from R'lyeh"はホーグの失踪後ずっとミスカトニック大学図書館で埋もれていた原稿をカーターが発掘して出版したという設定になっている。いうなれば「ユゴス星より」のカーター版だが、おおむね平明な現代英語で綴られているあたりも「ユゴス星より」を意識しているのではないかと思う。まずホーグ自身の生い立ちが語られ、次にカダスやカルコサやユゴスといった禁断の地のことが謳われるが、特筆に値するのは終わり方だ。進むにつれて詩の内容は陰鬱になっていき、30番目の"The Accursed"に至っては次のとおりだ。

 時に私は夢を見る かつて自分が人間であったという夢を
 夜の深み とある小さき惑星にいて
 弱々しく泣く知性なき蟲ではなかったという夢を
 我が同胞と共にアルデバラン
 緑なるアルゴルを離れ 闇に向き合えば
 微笑む愛しきものが見えるかのようだ……
 昔日の子守歌を歌いし声を
 私は半ば思い出す……そは母の顔か?
 幻か 夢か はたまた思い出なのか?
 囀る群が我が周りに群がり押し流し続ける
 朧に思い出されし光景は薄れ――消え去りぬ
 古の痛苦が我の心を蝕む
 この奇異なる夢より この不可解なる暗号より
 私は目覚めて恐れおののく――己の素性を知りたれば

 自分は人間ではないのかもしれないと疑う段階を通り越し、自分も人間だったことがあるのかもしれないなどと夢想している。中島敦の「山月記」にもそんなセリフが出てきたような気がするが、この頃になるとホーグの筆跡はひどく乱れ、書いてあることを判読するのも困難だったとカーターは述べている。しかし31番目、すなわち最後の詩である"The Million favored Ones"は打って変わって高揚した内容だ。

 黒きムナールより 最果てのユゴスより
 ショゴスひしめく底なしの泥濘より
 彼方なる天球の 宇宙的なる深淵を渡りて
 ――我らは来たり! 我らは来たり! 我らの主にして
 父なる方の命令によりて 聳えるカダスも
 凍てつくレンも 我らの恐るべき足音を知る
 我らの到来を 我らが父の憤怒を前にして
 太平洋の失われしイヘーは恐怖に震撼す……
 我らのうちには かつて人たりしものもおれど
 地球の名をついぞ知らざるものもおりて
 悪夢の子宮より生み出されし
 妖魔なり……我らの来たるとき
 我らが足どりの前に諸国は恐れおののき跪く……
 我らはナイアーラトテップの子なり

 自分が何者であるかを知って突き抜けてしまったわけだが、この陽気な調子が逆に怖い。31番まで書き上げたところでホーグは姿を消したということになっているが、要は「インスマスを覆う影」と同じ展開だ。ちなみにホーグはマーシュ一族の縁者でもあるということになっている。
 この作品をS.T.ヨシは「称賛に値する」と評価しているが、詩作にかけてはカーターはラヴクラフトに迫るものがありそうだとは私も思う。*2ヨシの見解はさておき、神話作品としても結構おもしろいというのが私の感想だ。ただ「ユゴス星より」もさらにストーリー性が高いため、31編をまとめて読まないと真価が味わえないだろう。どこかで邦訳を出してほしいのだが、一部だけ抜粋して発表するのに向いていないというのは難点かもしれない。

Dreams from R'lyeh

Dreams from R'lyeh

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ウィア荘の夢

 リン=カーターに"Dreams in the House of Weir"というクトゥルー神話短編がある。1931年の英国が舞台で、自殺した主人公が遺した日記からの抜粋という体裁の作品だ。
 主人公のヘアトン=ペインはサンスクリット語の専門家で、11世紀インドの詩人ビルハナが著した『チャウラパンチャーシカー』の英訳に取り組んでいた。仕事に適した閑静な環境を欲したヘアトンは奥さんのエレインと一緒に田舎の別荘に移り住む。その別荘は13世紀にノルマン人の准男爵ラナルフ=デ=ラ=ウィアが建てた館で、彼の名にちなんでデラウェア荘と呼ばれていた。「壁の中の鼠」を思い起こさせる設定だが、この話で扱われているのはヤディス星人とドールだ。
 カーターの作品ではヤディス星人はナグ=ソスと呼ばれている。この名前は「超時間の影」からの借用なのだろうが、西暦1万6000年の魔術師とヤディス星の住民が同名である理由は不明だ。シュブ=ニグラスは旧神によってヤディスの地下に封印されたという説をカーターは唱えており、ナグ=ソスもシュブ=ニグラスを崇拝していることになっている。彼らの大敵であるドールもシュブ=ニグラスの眷属なのだが、ナグ=ソスとドールの争いを女神は気にかけていないそうだ。
 デラウェア荘もしくはウィア荘に引っ越したヘアトンは奇怪な夢に悩まされるようになる。彼が書斎で見つけたのはVisions from Yaddithという詩集だった。作者のアリエル=プレスコットは頽廃的な作風で知られた詩人で、1927年に『ヤディスからの幻視』を発表してから間もなく精神病院に収容されて狂死した。要するにジャスティン=ジョフリのカーター版だが、かつてプレスコットがウィア別荘に住んでいたことをヘアトンは地元の牧師から聞き出した。
 夢の中でヘアトンはナグ=ソスの魔道士クズーラになっていた。ドールとの戦いは続いていたが、大魔道士ズカウバの失踪後ナグ=ソスは著しく劣勢に追いこまれていた。都市の基底部を蚕食されるのを食い止めようとクズーラは懸命な努力を続けており、宇宙の彼方まで思念を投影しては強力な呪法を探し求めていた。
 遙か昔、何らかの理由によってウィア荘とヤディスに接点が生じ、ウィア荘に住むものは夢の中でヤディスを訪れるようになっていた。ナグ=ソスは人類に対して無害だったが、夢を媒体として時空を移動するドールがウィア荘の周辺に姿を見せるようになった。ドールに館を取り囲まれたヘアトンはエレインを殺して自らも命を絶つ。
 "Dreams in the House of Weir"の初出は1980年に刊行されたWeird Tales*1の第1巻。その後ケイオシアムのThe Shub-Niggurath Cycleに再録され、そのときは"Visions from Yaddith"も一緒に収録された。これはカーターがプレスコットに仮託して書いたもので、11編の十四行詩から構成されている。なおプレスコットはオークディーン療養所で死んだことになっている。ブライアン=ラムレイの"The Horror at Oakdeene"*2Beneath the Moors*3でお馴染みの精神病院だが、カーターの作品ではOakdeaneと綴られている。この違いが意図的なものだったのかは定かでないが、あるいは別の施設なのかもしれない。
 ナグ=ソスはドールに敗北したものの、ヤディスからの脱出には成功したということになっている。地球における彼らの活動はロバート=プライスの"Saucers From Yaddith"*4で語られているのだが、ラヴクラフトやカーターの小説を読んで湧いた同情が吹っ飛びかねない凶悪さだった。

Shub Niggurath Cycle (Call of Cthulhu Fiction)

Shub Niggurath Cycle (Call of Cthulhu Fiction)

*1:ゼブラブックスから刊行された全4巻の怪奇アンソロジー。編者はカーター自身。

*2:オークディーンの恐怖 - 新・凡々ブログ

*3:荒野の下に - 新・凡々ブログ

*4:ヤディスの円盤 - 新・凡々ブログ