新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

サタンの下僕

 ロバート=ブロックに"Satan's Servants"という短編がある。初出は1949年にアーカムハウスから刊行されたSomething About Cats and Other Piecesだが、執筆されたのは1935年だ。この作品をウィアードテイルズが受理しなかったことを知ったラヴクラフトは、1935年2月下旬から3月上旬の間に書かれたとおぼしきブロック宛の手紙でファーンズワース=ライトを間抜け野郎と読んでいる。
 物語の舞台は17世紀末のニューイングランド。ボストン在住の牧師であるギデオン=ゴドフリーがルーズフォードの悪魔崇拝を粛清するべく出立したのは1693年9月の下旬のことだった。案内人として雇った2人の先住民は彼のルーズフォード行きに繰り返し反対し、しまいには馬と一緒に姿を消してしまった。しかしギデオンの決意は固く、神に叛くものどもを懲らすために徒歩で旅を続けた。
 ルーズフォードに辿りついたギデオンは大切な聖書を地中に埋めて隠し、一軒の家を選んで戸を叩いた。泊めてほしいと頼むと老人が出てきてドーカス=フライと名乗り、ギデオンに夕食を振る舞ってくれたが、食事中に床下から巨大な犬が現れる。ドーカスの使い魔だ。ドーカスがギデオンを地下の礼拝所に連れて行くと、そこには失踪した案内人たちの遺体があった。逃げたのではなく、悪魔崇拝者に殺害されていたのだ。
 絶体絶命かと思われたが、ギデオンは魔王アスモデウスになりすましてドーカスを信用させ、近々あるサバトに出席することになった。ルーズフォードの住民は全員アンデッドだった。サタンに帰依することによって不死者となり、この世をサタンの領土にするため密かに活動しているのだとドーカスは語る。サバトは3日後に迫っており、儀式でサタンを降臨させればアメリカ大陸は悪魔の地になるはずだった。
 サバトの日、住民が集まってきた。祭壇の上には何かが置いてあり、黒い布で覆われていた。祭司であるドーカスが2頭の牛を生贄として捧げる。まず1頭目を屠ったとき、ギデオンが祭壇の上の布を払いのけ、その下にあったものでドーカスを殴打した。不死者とはいえ、肉体が損壊しすぎると機能を停止するらしい。
 ドーカスを葬り去った凶器を見た悪魔崇拝者たちは恐れおののいた。それはギデオンの聖書だったのだ。彼は当たるを幸い撲殺しまくり、サタン降臨の企てを阻止して帰途についた。こうしてルーズフォードの悪魔崇拝は永遠に滅んだのだった。
 アンデッドに何で対抗するのだろうかと思ったら、まさかの聖書が武器(物理)だったので度肝を抜かれた。主人公の牧師が妙にソロモン=ケインっぽいのだが、なんだかんだ言ってブロックはロバート=E=ハワードのことが好きだったのではないだろうか。ところでルーズフォードには70人あまりが住んでいたということになっているのだが、どうもギデオンは皆殺しにしてしまったらしい。まさに悪魔も顔色をなくす所業だ。
 この作品には『ネクロノミコン』への言及があるため、一応クトゥルー神話大系に属している。ただし『ネクロノミコン』を読んでいるのはルーズフォードの悪魔崇拝者ではなくギデオンの側であり、読めば破滅につながる禁断の書物という印象は薄い。危険な知識であっても使い方によっては強力な武器になるということだろうが、結局ギデオンは『ネクロノミコン』には頼らず聖書で殴るのだった。
「これからも提出し続けて採用を目指すべき作品ですよ」とラヴクラフトはブロックを励ましたが、同時に改善案をいくつも出している。それもギデオンがルーズフォードへの道中で食べるものが不自然だと指摘するなど、まことに細かい。ブロックはラヴクラフトの提案をすべて採用して原稿を書き直したため、この作品はラヴクラフトとブロックの「合作」と見なされることもある。ラヴクラフトの作品集であるSomething About Cats and Other Piecesに収録されたのも、ラヴクラフトの意見がどのように反映されたかにダーレスが興味を示したからだろう。
 ルーズフォードの住民の恐るべき正体はあまり性急に明かさず、徐々に真相に迫っていくほうがよいとラヴクラフトはブロックに助言している。そのように雰囲気を盛り上げている好例として挙げられているのがアルジャーノン=ブラックウッドの「いにしえの魔術」で、すべての怪奇作家が見習うべき手本としてラヴクラフトに重んじられていたことが窺える。

Letters to Robert Bloch and Others

Letters to Robert Bloch and Others

  • 作者:Lovecraft, H P
  • 発売日: 2015/07/18
  • メディア: ペーパーバック

黒い風が吹く

 ロバート=E=ハワードに"Black Wind Blowing"という短編がある。
 主人公はエメット=グラントンという青年。夜中、ジョン=ブルックマンに呼び出されて自動車を走らせる彼の前に立ちはだかったのは、ブルックマンの使用人のジョシュアだった。殺気立っており、グラントンがブルックマンのところへ行こうとするなら殺してやると息巻いている。
「俺は呼ばれた理由すら知らんのだぞ」とグラントンはいった。
「俺は知ってる!」とジョシュアは吠えた。「行かせねえ! 彼女は俺のもんだ! あんたも兄貴のジェイクみたいにぶっ殺してやるぞ! あいつ俺のことをぶん殴るからな、石で頭を潰してやったのさ!」
 彼女というのが誰のことかはわからないが、ジョシュアの兄のジェイクが失踪した理由はわかった。ジョシュアは知恵の足りない人物という評判だったが、それどころか気が変になっているようだ。襲いかかってきたジョシュアをグラントンは殴りつけ、先を急いだ。
 グラントンがブルックマンの家に着くと、そこには見知らぬ美少女がいた。ブルックマンの姪のジョアンだ。貸している土地の使用料を帳消しにした上に現金で1000ドルやるから彼女と今すぐ結婚しろとブルックマンはグラントンにいった。
「わけがわかりませんが」とグラントンはいった。「お嬢さん、それでよろしいのですか?」
「ええ、お願い! 私をここから連れ出して!」
 ブルックマンは治安判事を呼んでおり、さっさと結婚の手続きを済ませてしまった。まるっきり理由がわからないが、グラントンは奥さんを連れて帰宅することになった。家に帰ると、ブルックマンから電話がかかってきた。
「彼女と結婚したと奴らにいってやってくれ!」とブルックマンは叫んだ。グラントンは聞き返そうとしたが、電話は切れてしまう。切ったのは明らかにブルックマン以外の人物だった。
 ブルックマンのことが気になるグラントンは彼の家に行ってみることにした。ジョシュアがやってくるかもしれないので警戒を怠らないでほしいと彼は使用人のサンチェスに頼む。サンチェスはパンチョ=ビリャとともにメキシコ革命で戦ったこともある古強者で、信頼できる人物だった。
 ブルックマンの家に着いたグラントンは何者かに襲われたが、返り討ちにする。ブルックマンはさんざん拷問されて虫の息だったが、グラントンに真相を打ち明けた。若い頃、彼は邪神アーリマンを崇める暗黒教団の一員だったのだ。おぞましすぎる教義に怖れをなして米国に逃げたが、教団に見つかってしまった。
「年の一度、若い娘を生贄として焼き殺すという儀式があるのだ……」ブルックマンはいった。「奴らはわしへの制裁としてジョアンを生贄に選んだ」
 教団の儀式では、生贄の娘にもっとも近しい男性も一緒に殺されることになっていた。男根崇拝の名残なのか、あるいは娘の仇を討ちそうな人間をあらかじめ排除しておくという実際的な理由もあるようだ。ジョアンが生贄ならば、当然ブルックマンが殺されることになる。ブルックマンはジョアンをグラントンと結婚させ、巻き添えで殺される役目を彼に押しつけようとしたのだが、無駄だった。
 そこまで説明したところでブルックマンは絶命し、グラントンは自分の家に大急ぎで引き返す。サンチェスは殺され、ジョアンは連れ去られていた。暗黒教団の後を独りで追うグラントン。追いつくと、3人の祭司が儀式を始めていた。岩を並べて輪を作り、その中央に祭壇がしつらえてある。祭壇の上には全裸のジョアンが横たわっていた。
 グラントンは突進しようとしたが、蒼白く光る岩に触れた途端に引っ繰りかえった。岩には高圧電流が通っていたのだ。祭壇も通電しているらしく、ジョアンが苦しんでいる。グラントンは拳銃を3人の祭司に向け、弾倉が空になるまで撃ちまくったが、1人を斃しただけだった。
 そこへジョシュアが乱入してきた。ジョシュアは岩を飛び越え、妻子に襲いかかる。たちまち1人が背骨を折られて死に、残る1人もジョシュアと相打ちになった。図らずもジョシュアは己の罪を償い、グラントンはジョアンを救い出す。祭壇自体の電圧はさほど高くなかったらしく、ジョアンは無事だった。もうじき夜が明ける……。
 初出はスリリング=ミステリーの1936年6月号だが、全般的に描写が凄惨かつ煽情的だ。エログロの部類に入るといっていいかもしれない。邦訳はないが、原文はプロジェクト=グーテンベルク=オーストラリアで無償公開されている。
gutenberg.net.au

もふもふの獣を近寄らせるな!

 アルジャーノン=ブラックウッドが1949年に大英帝国勲章を授与されたときの逸話が、マイク=アシュリーによる評伝に書いてある。3月1日にバッキンガム宮殿で執り行われた叙勲式にブラックウッドは燕尾服を着て出席したが、その服は貸衣装だった。料金が高かったので、なるべく安く済ませようと古い服を選んだ結果、彼のかぶっていたシルクハットには天の部分がなかったという。
 古ぼけた借り物の燕尾服で王宮へ出かけていくブラックウッド。困窮していたわけではないにせよ、彼は晩年になっても金持ちからは程遠かったのだ。アーカムハウスこそは天下無類の出版社だというブラックウッドの言葉をラムジー=キャンベルが1966年9月14日付のダーレス宛書簡で引用しているが、ダーレスから送られてくる原稿料はブラックウッドにとって意外と貴重な収入だったのかもしれない。
 クラーク=アシュトン=スミスも貧乏だった。小説の執筆から遠ざかってからは窮乏がひどくなり、1941年にはダーレスが彼の彫刻作品を買い取る形で当座の生活費を用立てている。だが、やはり有名なのはラヴクラフトだろう。1936年11月29日付のジョンキル=ライバー宛書簡でラヴクラフトは次のように述べている。

糊口をしのぐ手段のことですが――(この御質問で不快になるなどということは全然ありませんよ)これまで切り抜けてこられたのはもっぱら純然たる幸運の賜物であり、牙の生えたもふもふの獣をいつまで締め出しておけるか将来のことは請け合いかねると申し上げるしかありません!

 牙の生えたもふもふの獣とはかわいらしい言い回しだが、これは「狼を戸口に寄せつけない」という慣用表現が英語にあることを踏まえたラヴクラフトの冗談だ。要するに「糊口をしのぐ」という意味で、かわいい割に深刻な話をしている。
 チャールズ=ラムやナサニエルホーソーンのように定職に就きながら執筆活動をすればよかったのだとラヴクラフトはこの手紙で悔やんでおり、まことに切実な状況が伝わってくる。弱音を吐いた相手がフリッツ=ライバーの奥さんというのも興味深いところで、たとえばダーレスがこのような手紙をラヴクラフトから受け取ったことはないはずだ。個人的な苦境を友人に打ち明けるにはラヴクラフトはあまりにも紳士でありすぎたとダーレスはホフマン=プライス宛の手紙で回想しているが、ラヴクラフトもダーレスの前では格好つけていたかったのだろうか? そう思うと、彼のささやかな見栄に涙が出そうだ。
 もふもふの獣の話をした翌年の春にラヴクラフトは世を去り、後には叔母のアニー=ギャムウェルが残された。このとき、遺著管理者のロバート=バーロウがラヴクラフトの蔵書を持ち去ってドナルド=ワンドレイを憤慨させるという事件が起きている。バーロウは遺言のとおりに行動したつもりだったのだろうが、ワンドレイらは蔵書をギャムウェル夫人から買い取り、まとまった額のお金を彼女に渡そうとしていた。その計画が台なしになったのだから、彼が怒り狂ったのも無理なからぬところではある。*1なお、アーカムハウスから刊行されたThe Outsider and Othersの売上をダーレスとワンドレイがギャムウェル夫人に渡したことにより、彼女が安楽に暮らせるようにするという目的はどうにか達成されたのだった。

Letters to C. L. Moore and Others

Letters to C. L. Moore and Others

  • 作者:Lovecraft, H P
  • 発売日: 2017/08/01
  • メディア: ペーパーバック

この斧を以て我は治む!

 ロバート=E=ハワードに"By This Axe I Rule!"という短編がある。ヴァルーシアの大王カルを主役とする作品だ。
 カルを亡き者にして玉座を奪おうとする陰謀がヴァルーシアでは進行中だった。首謀者は詩人リドンド・伯爵ヴォルマナ・軍団長グロメル・男爵カーヌーブの4人。彼らは野望を実現させるために盗賊アスカランテを仲間に引き入れた。俺は連中の手駒で終わるつもりはないとアスカランテは奴隷に語る。
 一方、カルは気が晴れない様子だった。暴君だった先代の王を彼が打倒して以来、国は富み栄えて強くなり、人々は平和と繁栄を謳歌している。だが、どうも俺は民に好かれていないようだとカルはブルールに愚痴をこぼした。
「民衆とはそういうものですよ」とブルールはいった。「それにリドンドが彼らを煽動している。やつは危険人物です。早めに粛正しておいたほうがいいのでは?」
「できぬ」と彼はいった。「優れた詩人は王よりも偉大だ。俺は死んだら忘れ去られるだけだが、彼の芸術は後世まで残るだろう」
 セノ=ヴァルドアという若い貴族がカルに謁見し、アラという娘と自分の結婚を認めてほしいと懇願する。彼女はヴォルマナ伯爵に仕える奴隷だった。セノは彼女をヴォルマナから身請けしようとして果たせず、いっそ自分もアラと一緒にヴォルマナの奴隷になりたいとまで希望したが、それも断られてしまった。
 カルは首席顧問官のトゥを呼び寄せ、セノの悩みを解決できないのかと相談する。貴族が奴隷と結婚することは許されないというのがトゥの回答だった。そのことは法で定められており、王といえども従わなければならないのだ。自分にはどうすることもできないとカルは苦々しげに告げ、セノは絶望の表情で退出した。
 愛する人と結婚できない悲しみにアラが独り沈んでいると、お忍びで外出中のカルが通りかかった。カルは彼女に優しい言葉をかけ、宮廷の話をしてやる。
「王様は背丈が8フィートもあって、頭には角が生えているというのは本当ですか?」
「王には角など生えていないし、背丈は6フィートちょっとだよ。彼はただの人間だ」
 セノとアラの力になってやりたいと王は望んでいるのだが、できない。王もまた奴隷のようなものなのだ――と語るカル。彼の正体を知ったアラは狼狽して走り去る。
 グロンダル王の要請により、ピクトの大使カ=ヌが同国を訪問することになった。グロンダルの宮廷に縁者がいるヴォルマナの差し金によるものだ。謀反人どものもくろみ通り、カルはカ=ヌの警護のためにブルールを同行させた。カルが片腕と恃むブルールが離れた隙を突いて、アスカランテらが国王の寝室に夜討ちをかける。しかしカルは野生の勘で目を覚まし、襲撃を待ちかまえていた。
 死闘が始まった。襲撃に加わった謀反人は全部で20人、対するカルはひとりだ。カルは満身創痍になりながら戦斧を振り回し、謀反人を一人また一人と屠っていく。グロメル・ヴォルマナ・リドンドはいずれも斃れた。しかしカルはリドンドを討ち取るのを躊躇したため、彼の刃で脇腹に深い傷を負ってしまった。
 兵士たちが寝室に駆けつけてくるのが聞こえ、アスカランテの手下たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。いまやカルとアスカランテが二人きりで対峙しているばかりだ。謀反の失敗を悟り、せめてカルを冥土の道連れにしようとするアスカランテ。眼に入った血をカルが拭おうとした隙にアスカランテは突進するが、飛んできた短刀が彼の首に突き刺さった。短刀を投げたのはセノだった。
「アラが教えてくれたのです」とセノは説明した。ヴォルマナとカーヌーブが謀反の相談をしているのを立ち聞きした彼女はセノの館まで夜通し駆けて知らせに行った。そして彼女から話を聞いたセノは手勢を率いて王宮に馳せ参じたというわけだ。なお襲撃に加わらなかったカーヌーブはちゃっかりと生き延び、後に「ツザン・トゥーンの鏡」で再登場している。
「婚姻に関する法が刻まれた石板を持ってこい」とカルはトゥに命じ、集まった人々に告げた。「ここにいる二人が俺の命を救ってくれた。その恩に報いずして、何が王か。よって二人には結婚の自由を認めるものとする」
 喜びのあまり、セノとアラはひしと抱き合う。「しかし、法律が!」と抗議しようとするトゥ。血まみれのカルは叫んだ。
「法律など、こうしてくれるわ!」カルは斧を振り下ろし、石板を粉々に打ち砕いた。「俺は王と称する奴隷に過ぎなかった。これより俺は真の王となる。これが俺の王笏だ!」
 そういってカルは戦斧を高々と掲げ、文武百官は彼の前に平伏した。「俺は王だ!」とカルが吼えるところで物語は幕を閉じる。
 お気づきの方もおられるだろうが、前半部が「不死鳥の剣」によく似ている。"By This Axe I Rule!"が没になってしまったのでハワードは原稿を書き直して怪奇幻想の要素を加え、コナンを主役とする新しい作品に仕立てたのだ。「不死鳥の剣」のコナンがちょっと賢そうに見えるのは、実はカルの人格がコピーされているからなのだった。
 「不死鳥の剣」はウィアードテイルズの1932年12月号に掲載された。一方"By This Axe I Rule!"のほうはハワード没後の1967年まで発表されることがなかった。だが、もしもウィアードテイルズが"By This Axe I Rule!"を受理していたらカルの物語が続き、コナンの出番はなかったのだろうか?

Kull: Exile of Atlantis (English Edition)

Kull: Exile of Atlantis (English Edition)

ローマの遺跡

 アルジャーノン=ブラックウッドに"Roman Remains"という短編がある。1947年に執筆され、ブラックウッドの生前に出版された最後の作品になった。初出はウィアードテイルズの1948年3月号だ。
vaultofevil.proboards.com
 ウィアードテイルズに掲載された経緯は後述するが、そのときの挿絵を上のリンク先で見ることができる。ボリス=ドルゴヴの手になるもので、なかなかいい雰囲気だ。
 時は第二次世界大戦中、主人公のアンソニー=ブレドルは英国空軍の操縦士だ。インドで勤務していたが、現在は病気休暇中で、歳の離れた義兄に招かれてウェールズの田舎に来たところだった。義兄は高名な外科医だが、現在は臨床を離れて研究に専念している。ブレドルが病み上がりと知り、風光明媚な土地でゆっくり療養しなさいと勧めてくれたのだった。
 義兄のところにはブレドルの他にも二人の客人がいた。一人は義兄の旧友であるエミール=ライデンハイム博士。ベルリン大学に勤めていたが、ナチスに追われて亡命してきたのだ。もう一人は看護師のノーラ=アッシュウェル。ブレドルにとっては従姉妹に当たるのだが、いままで会ったことはない。彼女のことは好きになれないとブレドルは感じたが、その理由はわからなかった。
 その地方にはマスの住む清流があり、程遠からぬところにはワイ川もあってサケが獲れるので、義兄はブレドルのために釣り道具を用意してくれていた。また「山羊の谷」にはローマ時代の遺跡があり、シルウァヌスを祀った神殿が見られるということだった。
 次の日は快晴だった。天気が良すぎるとマス釣りには向かないので、ブレドルはサンドイッチを持って遺跡を見に行くことにした。谷に着くと、陽気で軽快な口笛が聞こえてくる。休憩しつつ弁当を食べているうちに口笛は聞こえなくなったが、暖かな木漏れ日を浴びながらブレドルは眠ってしまい、目が覚めると再び始まるのだった。
 ブレドルは恐怖しつつ、口笛の主に会わなければならないと同時に感じていた。相反する気持ちを抱えて闇雲に駆けた彼が見たものは、乱舞するノーラ=アッシュウェルの姿だった。彼女が木々の向こうに消えていくのを見送ったブレドルは独り呆然と立ち尽くす。一刻も早く立ち去らなければならない――いま考えているのは、それだけだった。
 どうやって谷から脱出できたのかブレドルにはほとんど思い出せなかった。日没の頃に帰り着き、夕食は普段と変わらぬ様子だった。誰かに相談しようと思ったブレドルは義兄ではなくライデンハイム博士に打ち明ける。博士は真面目に耳を傾けてくれたが、彼のいうことはブレドルには理解しがたかった。
「ああ、そう……そう……もちろん興味深く、そして――ええ――きわめて異様です。生に対する不可避な欲求と、そう――それから理不尽な恐怖の結合です。常にきわめて強力であると見なされ――もちろん同等に危険でもあります。あなたの現在の状況――療養中ということですが――そのせいで鋭敏になっていることは疑う余地がありません……」
 なるほど、わけがわからない。午前3時、それまで平和だったその地方で初めて空襲があった。標的になっているのはリヴァプールのはずだが、スピットファイアに追われたドイツ軍機が身軽になろうとして爆弾を捨てたのか、山羊の谷のあたりが被害を受けたのだ。ブレドルと義兄とライデンハイム博士は起きてきたが、ノーラの姿が見当たらない。彼女の寝室に行って名前を呼んでも返事はなく、鍵のかかっているドアを破ると部屋はもぬけの殻だった。3人はノーラを探しに出かける。ライデンハイム博士は鋤を携えており、ブレドルにも1丁を手渡した。
 山羊の谷に着いた彼らはライデンハイム博士に先導されてシルウァヌスの神殿に向かった。爆弾によって変わり果てた姿になったノーラが見つかったが、遺体はもうひとつあった。そちらも絶命しているものの、外傷はなかった。
「埋めたほうがいい――埋めなければなりません」とライデンハイム博士がいった。こうなることを予想して鋤を持ってきたのだろう。
「まず焼くべきだと思います」と義兄がいい、ブレドルと博士も賛成した。その場で遺体を荼毘に付し、家に帰り着く頃には日は高く昇っていた。
 後でライデンハイム博士はブレドルにパウサニアスの著作を見せた。ローマの独裁官だったスッラがテッサリアから帰る途中、洞窟の中で怪物が見つかったという記述があるのだ。すなわちサテュロスであり、山羊の谷にいたものもその同類なのだった。
 かつて崇拝されていたものが現代も生きながらえているという話なのだが、邪悪というよりは異質な存在として描かれている。その命を奪うのがドイツ軍の爆弾という結末はあっけないが、ブラックウッド自身も空襲で九死に一生を得ているだけに生々しい。
 ブラックウッドはこの作品をダーレスに送った。ダーレスは当初アーカムサンプラーに掲載するつもりだったのだが、より大勢の読者の眼に触れるべきだと判断したのでウィアードテイルズに回したという。ブラックウッドの作家人生の掉尾を飾るのにふさわしい作品だと思うし、ダーレスの粋な計らいが感じられる。

死者との誓い

 順番からいえば今日はロバート=E=ハワードの日なのだが、代わりにシーベリー=クインの"Pledged to the Dead"を紹介したい。ウィアードテイルズの1937年10月号に掲載された短編で、現在はプロジェクト=グーテンベルクで無償公開されている。私の知る限り邦訳はない。
www.gutenberg.org
 ノーラ=マクギニスという若い女性がジュール=ド=グランダンとトロウブリッジ医師のところに駆けこんできて、許嫁のネッドがニューオーリンズに出張して以来おかしくなっていると訴える。ド=グランダンのもとに連れてこられたネッドが語るには、ニューオーリンズで謎めいた美女に会ったのだという。彼女はジュリーと名乗り、ネッドを自分の恋人と呼んだ。ネッドが裏切らないように黒い毒蛇が監視しており、下手したらノーラに危害が及びかねないので別れるしかないと彼は思い詰めていた。
 ド=グランダンはニューオーリンズへ赴いてジュリーの正体を調べ上げる。ルイジアナが米国領になったばかりの頃、ダヤンという裕福な一族が住んでおり、ジュリーはその家の娘だった。彼女はフィリップという将校と恋仲になったが、捨てられて心痛のあまり夭逝した。ジュリーの乳母はママン=ドラゴンヌという黒人の老女で、黒魔術の使い手だとか蛇に変身できるといった噂があり、黒人のみならず白人からも敬意を払われていた。ジュリーを溺愛していたママン=ドラゴンヌは葬儀の時に不実な男を呪って忽然と消え去り、その行方は杳として知れなかった。フィリップはアンドルー=ジャクソン麾下の部隊で勤務していたが、ジュリーの墓の前で毒蛇に噛まれた死体となって見つかったという。
 そんなわけでジュリーは誠実な恋人を得られるまで憩えないのだから、また彼女に会ってきてあげなさいとネッドに助言するド=グランダン。彼から渡された怪しげな薬液を飲んだネッドはおっかなびっくり墓場に入っていった。果たせるかなジュリーが現れたが、ネッドの真摯な言葉を聞いて妄執から解放され、彼女を護り続けてきたママン=ドラゴンヌとともに天に昇った。
 後日ド=グランダンはトロウブリッジ医師に種明かしをする。ネッドに飲ませたものは、ド=グランダンがその道の専門家から20ドルで購入した惚れ薬で、相手がワニの姿をしていても愛せるようになるという優れものだった。ジュリーが死霊だと知ったネッドがびびっているので、薬物の力で強引に解決することにしたのだ。ノーラと結婚した後でもネッドの心の片隅にはジュリーがいることだろうとド=グランダンは語るのだった。
 いかがだろうか。21世紀まで書籍に収録されることがなかったというのも頷ける内容で、粗雑さと安直さが目立つ。こんな話ばかり書いていたものだから、クインに対する三聖の評価は低く、ダーレスは1932年1月4日付のクラーク=アシュトン=スミス宛書簡でロバート=E=ハワードの「屋上の怪物」を貶した際に「クインにすら劣る」と述べている。ウィアードテイルズの同じ号でクインの『悪魔の花嫁』が連載中だったのだが、駄作の基準に使われてしまうとはずいぶんな仕打ちだ。スミスも1934年9月5日付のダーレス宛書簡で「ウォーバーグ・タンタヴァルの悪戯」を酷評して「クインの貧弱な桂冠は一向に育ちませんね」と辛辣に言い放った。ただラヴクラフトは1933年5月9日付のロバート=ブロック宛書簡で「クインはマンモンに魂を売り払ってしまいましたけど、その気になれば素晴らしい作品も書けたはずなのです」と語っているので、地力は認めていたようだ。
 クインの代表作といえば「道」だろう。クラウスという名の兵士がイエス=キリストに出会い、数奇な運命の果てにサンタクロースになるという話で、荒俣宏氏による邦訳がある。もしもラヴクラフトが「道」を読んでいれば、クインに対する評価を改めたのではないかと知人からいわれたことがあるが、あいにく初出がウィアードテイルズの1938年1月号なので彼はすでに故人だった。
 「道」は1948年にアーカムハウスから刊行されている。クインの初めての単行本だったそうだが、実は自費出版だったことをダーレスが1954年1月22日付のゼリア=ビショップ宛書簡で明かしている。*1売れる見込みがなく、ダーレスとしても危ない橋を渡るわけにはいかなかったのだろうが、彼の冷徹な一面が垣間見える。

第二世代

 アルジャーノン=ブラックウッドに"The Second Generation"という短編がある。初出は1912年7月6日付のウェストミンスターガゼットで、その後Ten Minute Storiesに収録された。The Best Psychic Storiesに再録されたものがプロジェクト=グーテンベルクで無償公開されている。
www.gutenberg.org
 主人公はスミスという30歳の男性。辺境の地の農場や鉱山で働き、ひとかどの地位をようやく得て10年ぶりに帰国したところだ。かつて慕っていた女性に電報を打ち、4時半に来てほしいという返事をもらったスミスは彼女の屋敷を訪問したものの、玄関先で気後れしていた。
 彼女は他の男性と結婚したが、現在では死別していた。結婚した時点で相手の男には成人済の息子がいたとあるので、相当な年齢差があったらしい。スミスも今では十分な稼ぎがあるのだが、彼の生涯所得ですら彼女の年収に及ばないようだ。
 意を決して呼び鈴を鳴らすと執事が出てきて、スミスを応接間に案内した。お茶が用意してあり、女主人の準備ができるまで独りでおくつろぎいただきたいと言われる。決して非礼ではないが、知人に対するもてなしとしては奇妙だった。
 応接間に入ってきた彼女は昔とまったく変わっておらず、年をとっていないかのようだった。「今でもここにお住まいなのですね?」とスミスは訊ねた。
「ここが私の居場所なのです。あなたが私に会いに来てくれた場所なのですから。私はあなたをずっと待っていましたし、今でも待っています。この家を離れることはありません――あなたが変わってしまわない限り」
「でも、あなたを束縛するものなどないでしょう」と彼は叫んだ。
「あなたは自由ではないのですよ、私が自由であるようには――今のところは」
 執事が入室して、女主人の支度が調いましたと告げた。今まで話をしていたはずの彼女は幻で、スミスは一人きりだったのだ。書類を2階までお持ちいただけますかといわれたスミスは愕然とする。誰か別の人物、おそらく弁護士か建築業者と間違えられていたのだ。
 スミスは床に頽れた。執事は気付けのブランデーを勧め、医者を呼びましょうかといってくれたが、彼はその厚意を断る。後日また伺いますとだけいって屋敷を辞去するスミスは、もはや彼女が生身ではここに住んでいないことを理解していた。彼が立ち去る瞬間、何か御無礼なことでもありましたかと問いたげな表情で階段の上に佇む若い女性がいたのだが、その人は屋敷を相続した息子の妻だったのだから……。
 憧れの女性はすでに故人となっており、その霊だけが彼を待ち続けていたという切ない結末。「第二世代」という題名の残酷な意味が最後に明かされている。なお、この話もTales of Mysteryシリーズの一作としてテレビドラマ化されたそうだが、その映像が残っていないことが惜しまれる。
www.imdb.com
 17歳のダーレスが"Symphony"なる作品の原稿を送って意見を求めたとき、ラヴクラフトは1926年12月16日付の手紙で「たいへん良いと思います――ブラックウッドの"The Second Generation"を思わせるところが多いですね」と述べているので、読んだことがあったようだ。ダーレスを褒めるとき引き合いに出したということは評価も高かったのだろう。"Symphony"がどう似通っているのか気になるので読み比べたいのだが、あいにく未発表作品だという。