新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

裁かるるジャンヌ

 クラーク=アシュトン=スミスがダーレスに宛てて書いた1934年7月22日付の手紙より。

僕はおよそ映画の愛好家ではないのですが、ジャンヌ=ダルクの映画は観てみたいですね。映画を鑑賞した夜はいつも眼精疲労から来る頭痛に悩まされるのですが、そういう映画なら頭が痛くなる価値もありそうです。

 ダーレスからもらった7月3日付の手紙に対する返信なのだが、ここでスミスが言及しているのはカール=テオドア=ドライヤー監督の『裁かるるジャンヌ』だ。この映画は「世界四大名画のひとつといわれています」とダーレスの書簡にあるのだが、残りの三つは何なのだろうか。ともあれダーレスは気に入ったようで「これまでに私が観た中では最高傑作のひとつでした」と語っている。
 ところでダーレスが『裁かるるジャンヌ』をどこで観たのかというと、ソークシティから40キロメートルほど離れたスプリンググリーンのフランク=ロイド=ライト邸で、この映画鑑賞の時にダーレスとライトは知り合ったらしい。つまりダーレスはライトの建築学校に行ったのだとダーレス・スミス往復書簡集に註釈がある。小説家であるダーレスが建築学校に通うというのは奇妙に聞こえるが、どうやら彼は教える側として期待されていたようだ。もっとも、建築家相手の講演をライトから頼まれたダーレスはさすがに断ったという。まだ25歳の若造である自分には荷が重いと感じたのだろう。ダーレスとライトの交流は後年まで続き、ダーレスの屋敷をライトが設計したという誤解が広まったりもした。*1
 スミスの手紙に話を戻す。ウィーバーというニューヨークの弁護士に頼んだらヒューゴーガーンズバックから未払いの原稿料50ドルを取り立ててくれたが、まだ691ドルも残っているなどと書いてあるほか、ホフマン=プライスが遊びに来てくれたそうだ。

E.H.プライスが先日の週末にまたオークランドから来てくれましたよ。奥さんも一緒でした。プライスの滞在中、僕の母方のおじが所有している古い銅山を見に行きました。隧道も立坑も色とりどりの鉱石や酸化物や硫化物でいっぱいでした。縞の入った滑石など、わずかながら放射能を帯びているものもありました。プライスはいくらか標本を持ち帰りましたが、ラヴクラフトの友人で博物館長のジェイムズ=F=モートンに渡すそうです。

 モートンニュージャージーのパターソン博物館の館長だった人。*2この博物館にはラヴクラフトも標本を提供したことがある。*3ラヴクラフトと愉快な仲間たちの中でもプライスはとりわけ旅好きだったらしく、ロバート=E=ハワードに会いにテキサスまで行ったこともあるという。*4アーカムハウスから刊行されたBook of the Deadは、世を去った友人たちを偲ぶプライスの回想記だが、クトゥルー神話の三聖やハワードだけでなくモートンのためにも一章を割いている。
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 プライスがモートンのために標本を採取した銅山は別のところでも重要な役割を果たしている。スミスが彫刻を始めたのは、この銅山で採れた滑石を手すさびに彫ってみたことがきっかけだったそうだ。