新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

アレクサンダー、アレクサンダー

 クラーク=アシュトン=スミスは1932年3月25日付のダーレス宛書簡でアルジャーノン=ブラックウッドの本の感想を述べている。

最近ブラックウッドの本を何冊か借りて読みました――Tongues of FireとThe Garden of Survivalです。どちらもたいへん気に入ったのですが、さらに良い作品をブラックウッドなら書いているのではないかと思います。

 The Garden of Survivalは未訳の長編小説。スミスが"Tongues of Fire"と呼んでいるのは短編「炎の舌」ではなく、Tongues of Fire and Other Sketchesという作品集のことだ。1924年に刊行され、表題作である「炎の舌」以外には「まぼろしの少年」「もとミリガンといった男」などが収録されているのだが、ほとんどは未訳のままになっている。その中から"Alexander Alexander"を紹介させていただこう。
 語り手は若い女性。幼い頃に両親を亡くし、おじのフランク=バートンが後見人になっているが、そのフランクおじにはアレクサンダー=アレクサンダーという知り合いがいる。つまり名と姓が一緒なのだが、そういう名前のつけ方は珍しいものの皆無ではないらしく、英語版ウィキペディアに実例の一覧があったりする。
en.wikipedia.org
 そのアレクサンダーは名前の呼び方にこだわる人だった。うっかり「アレクサンダー!」などと呼びかけようものなら「名前は正しく使いなさい」と冷たく言われてしまうのだ――と語り手は回想しているのだが、どうすれば正しくなるのかがわからない。敬称をつけろということなのかと思ったのだが、彼を「アレクサンダー様」と呼んだ召使いも訂正されているので違うようだ。あるいは発音の問題なのかもしれない。
 だが、アレクサンダーの正しい呼び方は実のところ大した問題ではない。重要なのは、彼女にとってアレクサンダーがいかめしく威圧感のある人物であり続けたという事実のほうだ。9歳の時、庭のガチョウにひどく怯えたことを彼女は振り返る。ガチョウのくちばしでズタズタに引き裂かれてしまいそうな気がした彼女が悲鳴を上げると、たちまちアレクサンダーが駆けつけてきた。安堵した彼女が名前を呼ぶと、彼は待たしても「アレクサンダーだ」と言い直すのだった。
 彼女が成長していくにつれて、アレクサンダーを見かけることは稀になった。1年ばかりパリに遊学した彼女が英国に戻ってきてから1週間後、21歳になる前の日にアレクサンダーがやってくる。だが召使いのトーマスに聞いても、来客などなかったといわれてしまう。そして自分のおじのフルネームがフランク=ヘンリー=アレクサンダー=バートンであることを彼女は思い出すのだった。
 彼女が書斎に行っても誰もおらず、窓が開け放たれていた。翌日おじは溺死体となって発見され、報告書には発作的な入水自殺と記録された。厳格で威圧的なアレクサンダーと、気が弱く心優しいフランクおじは同一人物だったという結末なのだが、おじの分身が実際に出現していたのかは定かでない。姪にしか見えなかったところを見ると、その時々で優しかったり厳しかったりするフランクおじを彼女が意識の中で二人の人物に分離させていたのかもしれない。隠された意味がありそうなのだが、そこまで深読みされることをブラックウッド自身は望んでいなかったような気もして、短い割に悩ましい話だ。

 真相が気になって仕方ないので、何か情報はないかとペンギン版のブラックウッド傑作選を確認してみた。この本に註釈をつけているのはS.T.ヨシだ。溺れる者はヨシをも掴むというわけだが、さすがに何も見当たらなかった。その代わりに"H.S.H."はHis Satanic Highnessの略であり、殿下の正体がサタンであることを意味しているなどという説が書いてあったのだが、ホンマかいな。
殿下

殿下