新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

人狼の森で

 ラヴクラフトは1930年からロバート=E=ハワードと文通していたが、1933年まで相手の年齢を知らなかった。1933年3月25日付のハワード宛書簡で彼は次のように述べている。

ところで――あなたがまだ27歳だと最近わかって、私は本当に驚きましたよ。すると「狼頭綺談」などの作品を書いてウィアードテイルズで(たぶん他誌でも)人気作家に躍り出たときは19歳の若者だったわけですか。非常に確かな才能の証ですね。19歳の子が書いた作品は他にも同誌で見かけたことがありますが、あなたの1925年の小説は抜群にすばらしいものでしたから。しかも、それ以降も着実に成長しておられます。

 「狼頭綺談」の初出はウィアードテイルズの1926年4月号だ。「たぶん他誌でも」とラヴクラフトが書いているのは、ウィアードテイルズ以外の雑誌で彼がどんな作品を発表しているのか知らず、ハワードの側も積極的に明かそうとはしなかったからだろう。自分の活動を逐一ラヴクラフトに報告していたダーレスとは対照的だが、そのことはさておきハワードはラヴクラフトの温かい言葉に1933年6月15日付の返信で感謝している。

「狼頭綺談」など初期の試作に温かいお言葉をくださり、本当にありがとうございます。"Spear and Fang"や「滅亡の民」や"The Hyena"*1を執筆したとき、僕は18歳でした。"In the Forest of Villefére"や「狼頭綺談」のときは19歳でした。その後は次の小説が売れるようになるまで丸々2年もかかっています。その2年間のことは考えたくありません。

 丸々2年というのは大げさで、「狼頭綺談」がウィアードテイルズの編集部に受理されたのは1925年の10月頃だが、その次の「夢の蛇」が1926年の初秋なので実際には1年しか間隔が空いていないとラヴクラフト・ハワード往復書簡集に註釈がある。ただし作品が発表された時期で考えると「狼頭綺談」の次が1928年3月号掲載の"The Hyena"なので、ハワードのいうとおり2年間となる。
 ウィアードテイルズに掲載された短編の題名をハワードは手紙の中でいくつも並べているが、ここで言及されている"In the Forest of Villefére"は「狼頭綺談」の前日談に当たる短編で、ウィアードテイルズの1925年8月号に掲載された。現在では公有に帰しており、「狼頭綺談」ともどもウィキソースなどで無償公開されている。
en.wikisource.org
 今日に至るまで日本語に翻訳されていないので、粗筋を簡単に紹介しておこう。主人公はノルマンディーのド=モントゥールという男。重要な情報を携えてブルゴーニュ公のもとへ急ぐ旅の途中、ル=ルーと名乗る男に森の中で出会う。その男の正体は人狼だったが、襲われたド=モントゥールはからくも返り討ちにした。「人狼が人間の姿をしている間に殺せば、殺したものは生涯その霊に憑かれるだろう」というル=ルーの言葉を思い出しながら、ド=モントゥールは旅を続けるのだった。
 続編「狼頭綺談」のほうは邦訳があり、国書刊行会のドラキュラ叢書などに収録されている。ル=ルーの悪霊に憑かれたド=モントゥールは人狼と化してしまい、呪いに苦しめられながらアフリカまで流れていく。しかし彼は我が身を棄ててまで人々を護ろうと戦い、ついには呪いに打ち勝つのだった。自分が人狼になった経緯をド=モントゥールは作中で語り直しているので、前作のほうは読んでいなくても理解に支障はない。むしろ2編を続けて読んでしまうと同じ話が繰り返されることになるが、"In the Forest of Villefére"の邦訳がないのはそれも一因かもしれない。