ルルイエの夢
昨日の記事でリン=カーターの"Visions from Yaddith"を照会したが、彼のクトゥルー神話詩編といえば代表作は"Dreams from R'lyeh"だろう。ウィルバー=ナサニエル=ホーグという青年詩人に仮託して書かれたもので、31編の十四行詩から構成されている。そのほとんどは1960年代にジョージ=H=シザーズが発行していたファンジン〈アムラ〉*1が初出だ。1975年にアーカムハウスから単行本が刊行され、その後The Xothic Legend Cycleに再録された。
"Dreams from R'lyeh"はホーグの失踪後ずっとミスカトニック大学図書館で埋もれていた原稿をカーターが発掘して出版したという設定になっている。いうなれば「ユゴス星より」のカーター版だが、おおむね平明な現代英語で綴られているあたりも「ユゴス星より」を意識しているのではないかと思う。まずホーグ自身の生い立ちが語られ、次にカダスやカルコサやユゴスといった禁断の地のことが謳われるが、特筆に値するのは終わり方だ。進むにつれて詩の内容は陰鬱になっていき、30番目の"The Accursed"に至っては次のとおりだ。
時に私は夢を見る かつて自分が人間であったという夢を
夜の深み とある小さき惑星にいて
弱々しく泣く知性なき蟲ではなかったという夢を
我が同胞と共にアルデバランや
緑なるアルゴルを離れ 闇に向き合えば
微笑む愛しきものが見えるかのようだ……
昔日の子守歌を歌いし声を
私は半ば思い出す……そは母の顔か?
幻か 夢か はたまた思い出なのか?
囀る群が我が周りに群がり押し流し続ける
朧に思い出されし光景は薄れ――消え去りぬ
古の痛苦が我の心を蝕む
この奇異なる夢より この不可解なる暗号より
私は目覚めて恐れおののく――己の素性を知りたれば
自分は人間ではないのかもしれないと疑う段階を通り越し、自分も人間だったことがあるのかもしれないなどと夢想している。中島敦の「山月記」にもそんなセリフが出てきたような気がするが、この頃になるとホーグの筆跡はひどく乱れ、書いてあることを判読するのも困難だったとカーターは述べている。しかし31番目、すなわち最後の詩である"The Million favored Ones"は打って変わって高揚した内容だ。
黒きムナールより 最果てのユゴスより
ショゴスひしめく底なしの泥濘より
彼方なる天球の 宇宙的なる深淵を渡りて
――我らは来たり! 我らは来たり! 我らの主にして
父なる方の命令によりて 聳えるカダスも
凍てつくレンも 我らの恐るべき足音を知る
我らの到来を 我らが父の憤怒を前にして
太平洋の失われしイヘーは恐怖に震撼す……
我らのうちには かつて人たりしものもおれど
地球の名をついぞ知らざるものもおりて
悪夢の子宮より生み出されし
妖魔なり……我らの来たるとき
我らが足どりの前に諸国は恐れおののき跪く……
我らはナイアーラトテップの子なり
自分が何者であるかを知って突き抜けてしまったわけだが、この陽気な調子が逆に怖い。31番まで書き上げたところでホーグは姿を消したということになっているが、要は「インスマスを覆う影」と同じ展開だ。ちなみにホーグはマーシュ一族の縁者でもあるということになっている。
この作品をS.T.ヨシは「称賛に値する」と評価しているが、詩作にかけてはカーターはラヴクラフトに迫るものがありそうだとは私も思う。*2ヨシの見解はさておき、神話作品としても結構おもしろいというのが私の感想だ。ただ「ユゴス星より」もさらにストーリー性が高いため、31編をまとめて読まないと真価が味わえないだろう。どこかで邦訳を出してほしいのだが、一部だけ抜粋して発表するのに向いていないというのは難点かもしれない。