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主にクトゥルー神話のことなど。

オークディーンの恐怖

 ブライアン=ラムレイの"The Horror at Oakdeene"は、1977年にアーカムハウスから刊行されたHorror at Oakdeene and Othersのために書き下ろされた短編だ。1930年代の英国を舞台としており、邪神イブ=ツトゥルについて詳しく語られているという点で注目に値するだろう。イブ=ツトゥルの腐り爛れた頭部の表面で目玉が動き回っているという描写の気色悪さはなかなかのものだ。
 この記事では「オークディーンの恐怖」の粗筋を紹介させていただく。ごく大ざっぱな紹介ではあるが、物語の核心および結末に触れているので御注意いただきたい。なおイブ=ツトゥルが外なる神の一員だというのはクトゥルー神話TRPG独自の設定で、ラムレイはイブ=ツトゥルを旧支配者と見なしている。
 「オークディーンの恐怖」の主人公はマーティン=スペルマンという青年である。精神病をテーマにした小説を書くことをスペルマンは計画しており、その取材をするためオークディーン療養所に看護師として勤めている。医療に身を捧げるために看護師になったわけではないが、彼の勤務成績は優秀で、上司のウェルフォード博士も彼に眼をかけていた。
 オークディーン療養所の1階には看護師のために四つの居室があり、そのうち二つは空室だった。ひとつはスペルマンが使っており、残りのひとつで寝起きしているのはハロルド=ムーディーという中年のしっかりした看護師だった。療養所の地下には「地獄」と呼ばれる区画があり、特に重度の患者が収容されている。新人の看護師は「地獄」での夜勤を怖れるのが普通だったが、では俺が代わってやろうと申し出るのがアラン=バーストウという看護師だ。バーストウはずんぐりした醜男で、「地獄」での夜勤を嫌がっていない──というより、むしろ日中の勤務より好んでいるように見えた。バーストウが短めの黒い棒を勤務中いつも持ち歩いていることにスペルマンは気づいたが、あんな短い棒で患者に危害を加えることはできないと判断したので、それ以上の詮索はしなかった。
 スペルマンは仕事の傍ら着々と資料集めを進めていた。勉強熱心な彼を気に入ったウェルフォード博士の激励もあって、スペルマンは様々な文献を活用できた。米国のキャッツキル山脈に住んでいたジョー=スレイターに関する記事や、マサチューセッツ州のカントン精神病院から脱走して失踪した某氏の手記などもその中には含まれていた。前者は「眠りの帳を超えて」、後者は「インスマスを覆う影」だが、この物語との本質的な関係はない。
 やがてウェルフォード博士に勧められたスペルマンは、ウィルフレッド=ラーナーという患者のことを調べはじめた。ラーナーは「地獄」の住人の一人で、彼の入院には『水神クタアト』という本が関係しているそうだ。スペルマンはラーナーに接触し、鉄格子のはまった覗き窓越しに彼に話しかけた。今夜ここであなたと一緒に勤務するのは誰かとラーナーはスペルマンに訊ねたが、バーストウだと聞くと会話をさっと打ち切ってしまう。バーストウに何か問題があるのかとスペルマンは問いただしたが、それをバーストウ本人が背後で聞いていた。同僚のことを嗅ぎ回ってどうするつもりだとバーストウはスペルマンを脅そうとしたが、スペルマンは毅然とした態度で彼を引き下がらせた。
 11月も末になり、「地獄」で異変があった。20年も「地獄」で暮らしているゴードン=メリットという患者が自分の片眼をえぐりながら狂死したのだ。その時「地獄」で勤務していた看護師はバーストウだった。一方スペルマンはラーナーから頼み事をされる。『水神クタアト』の第6サスラッタの写しを自分にくれないかというのだ。なおサスラッタはSathlattaと綴るのだが、この言葉をGoogleで検索してもクトゥルー神話関連のサイトしか出てこない。もしかしてラムレイの造語だろうか。
 ラーナーがオークディーン療養所に放り込まれた原因は『水神クタアト』であると聞いていたスペルマンは躊躇し、まずは自分でも『水神クタアト』を読んでみることにした。第6サスラッタはすさまじく発音しづらい意味不明な言葉の羅列だったが、その利用法が一緒に書いてあった。すなわち「黒き血の招喚」「イブ=ツトゥルの幻視」「イブ=ツトゥルの招喚」である。このうち「黒き血の招喚」は敵を窒息死させ、その魂をイブ=ツトゥルのもとへ運び去ってしまう怖ろしい呪文だが、実はタイタス=クロウにあっさり破られている。その経緯は我が国でもよく知られているので、ここでは説明を割愛させていただく。
 「イブ=ツトゥルの幻視」はその名の通り夢の中でイブ=ツトゥルにまみえる方法で、寝る前に第6サスラッタを唱えるだけという簡単なものだった。よせばいいのに第6サスラッタを音読してしまったスペルマンは案の定ひどい夢を見ることになった。夢の中で彼は奇怪な密林を歩いていたが、広々とした空き地にやがて出た。緑色の衣で全身を覆った巨大なものが空き地の真ん中でゆっくりと回転していた。少なくとも人間の3倍の背丈があるそいつの衣がめくれると、夜のゴーントが何頭もそいつの乳房にすがりついているのがあらわになり──幸いなことに、同僚のハロルド=ムーディーがそこでスペルマンを起こしてくれた。
 「イブ=ツトゥルの招喚」についても説明しておこう。これは1月1日の真夜中に13人が一斉に第6サスラッタを詠唱するというものだが、「ナーク=ティスの防壁」で魂を守ることができなければ「恐るべき逆転と罰」が術者の身に降りかかるだろうと『水神クタアト』には記されている。なお1月1日に儀式を行うといってもユリウス歴とグレゴリオ暦では違うはずだが、そういう細かいことはラムレイは気にしないようだ。
 1935年12月27日、ラーナーがまたしてもスペルマンに声をかけてきた。紙と鉛筆が欲しいというのだ。尖ったものは渡せないとスペルマンがいうと、ではクレヨンをくれとラーナーは食い下がった。ラーナーが何をする気なのか興味を覚えたスペルマンは彼に望みのものを渡す。ラーナーはクレヨンで紙に第6サスラッタをせっせと書き写し、「地獄」の他の住人に配った。
 大晦日の夜、「地獄」の患者たちが一斉に叫んでいるのが聞こえてきた。ラーナーの指導のもとで「ナーク=ティスの防壁」を作ろうとしているのだ。バカバカしいと思いながら眠りについたスペルマンだが、再び夢の中でイブ=ツトゥルに遭遇する羽目になった。イブ=ツトゥルは広々とした空地の真ん中でゆっくりと回転していたが、ぴたりと動きを止めてスペルマンを見据えた。そして、どろどろに腐った頭部がにやりと笑うのをスペルマンは目の当たりにした。
 そして運命の日──1936年1月1日がやってきた。バーストウが辞めたことをスペルマンは知る。時計の針は夜の10時を周り、ずきずきする頭を抱えながらスペルマンは寝床に潜り込んだ。だが気がつくと彼は『水神クタアト』の第6サスラッタを唱えている最中で、例の空地にいた。スペルマンは死にものぐるいでイブ=ツトゥルから遠ざかろうとするが、邪神の衣の下から飛び出してきた夜のゴーントが彼を捕えてイブ=ツトゥルのもとへと運ぶ。
 空地にいるのはスペルマンだけではなかった。ラーナーや「地獄」の他の患者たちもいる。その数は全部で12人、スペルマンを加えて13人──イブ=ツトゥル招喚の儀式に必要な人数だ。ラーナーがスペルマンに声をかけた。
「さあ、詠唱に加わろう!」
「絶対に嫌だ──嫌だ!」
「やるのだ!」とスペルマンの頭の中で声が響き渡った。イブ=ツトゥルの声だ。「さあ!」
 そしてイブ=ツトゥルは手を伸ばし、スペルマンの口や耳や鼻の中に指を突っ込む。スペルマンが飛び起きると、時はまさに真夜中だった。患者たちの狂乱した詠唱が地下から聞こえてくる。
 オークディーン療養所の大惨事を巡る世間の大騒ぎが収まるには1カ月ほどかかった。「地獄」にいた12人の患者のうち5人は全快して退院し、ラーナーを含む5人は死亡した。残りの2人は一命を取り留めたものの、完全な廃人と化していた。イブ=ツトゥル招喚の結果として「逆転」が生じると『水神クタアト』には書いてあるが、5人の患者が正気を取り戻したのがすなわち「逆転」の産物なのだろう。
 辞表を提出して療養所を出て行ったバーストウは、頭の半分を食いちぎられた死体となって村の道に倒れているところを発見された。彼の持っていた黒い棒は引っ張り出して9フィートまで伸ばすことが可能で、その先端は鋭く尖っていた。はっきりとは書かれていないが、バーストウはその道具を使って患者を虐待していたのだろう。ラーナーの目的がバーストウに復讐することだったのか、「逆転」を利用して正気を取り戻そうという一か八かの賭だったのかは定かでない。
 1月1日の晩の当直医だったウェルフォード博士は辞任した。そしてスペルマンは完全に発狂してしまい、自らがオークディーン療養所の患者となることを余儀なくされた。それから数十年が経ったが、彼は相変わらず「地獄」にいる。もっとも落ち着いた状態の時でさえ悲鳴をひっきりなしに上げるので、絶えず鎮静剤を投与していなければならない……。
 オークディーン療養所を見舞った恐怖の物語は以上である。なお自分の作品でオークディーン療養所を用いたラムレイ以外の作家としてはリン=カーターがおり、『ユゴスからの幻視』の作者アリエル=プレスコットがオークディーン療養所で亡くなったことがカーターの「ウィア荘の夢」(Dreams in the House of Weir)*1には書いてある。「オークディーンの恐怖」が発表されたのが1977年で、「ウィア荘の夢」が1980年だが、物語と物語をつなぐことに熱心だったカーターらしい。

*1:The Shub-Niggurath Cycleなどに収録されている。