新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

クトゥルーの出身地

 1930年にウィスコンシン大学マディソン校を卒業したダーレスはミネアポリスの出版社に就職した。ミネアポリスの隣にはセントポールがあり、後にアーカムハウスの共同経営者となるドナルド=ワンドレイが住んでいた。彼は1930年11月23日付のラヴクラフト宛書簡にダーレスのことを書いている。

ダーレスにいわせると双子の都市*1はきわめて洗練されており、僕の友達はピーター=ウィフルやドリアン=グレイの卵だそうですよ。はい、はい、はい。いつだってそうなんです。彼がニューヨークのことをどう思うのか気になりますね。ダーレスが我々を洗練されていると考え、僕がニューヨークをソドムの都と見なすのであれば、ニューヨーク市民が頽廃と見なすものは一体どんな腐敗の極みなんでしょうね?

 ドリアン=グレイは有名なので説明不要だろう。ピーター=ウィフルはカール=ヴァン=ヴェクテンのPeter Whiffle: His Life and Worksという長編小説の主人公だそうだが、あいにく私は読んだことがない。ラヴクラフト・ワンドレイ往復書簡集の註釈によると、ドリアン=グレイのような洗練された都会人だそうだ。

 ダーレスの生まれ育ったソークシティの人口は今でも3500人に満たないが、1930年代には1000人程度に過ぎなかった。*2小さな村から出てきた彼の眼にはミネアポリスセントポールも大都会と映っただろうが、悪徳の都であるかのようにいわれてワンドレイはおもしろくなさそうだ。ラヴクラフトは12月1日に返事を書いた。

君もダーレス青年も相対的洗練の興味深い段階を表すものですね。ダーレスは君の世界を人工的かつボードレール的と考えていますが、私のように素朴な老人にしてみれば彼やソークシティですら歓楽に飽和した世紀末の地ですよ! 逆に考えれば、君にとってマンハッタンは悪徳の都でしょうが、マンハッタンは神秘のパリに学び、パリはコンスタンティノープルに恐れおののき、コンスタンティノープルは帝都ローマやアレクサンドリアやアンティオキアを振り返り、それらの都市はバビロンを振り返り、バビロンは円柱都市アイレムを振り返り、アイレムは海底都市ルルイエを振り返り、ルルイエが言及することすら憚るのはンガ=グン、ルルイエの民が地球に来る前にいた暗黒星にある地獄の都です。

 洗練というのは相対的な概念だから、どこまで行っても上には上があるのだとラヴクラフトは煙に巻いているが、さらっとクトゥルーの出身地が明かされている。ンガ=グンはN'gha-G'unと綴るのだが、ラヴクラフトの他の手紙や作品で言及されたことはない模様だ。また他の作家が使用したこともない――と思いながら検索したら1件だけ使用例が見つかった。クトゥルーダゴンの主従やおいらしい。
archiveofourown.org
 なおリン=カーターの神話作品ではクトゥルーと彼の息子たち*3はゾス星系から来たことになっているが、この設定とンガ=グンは矛盾しない。ゾスは星の名前だが、ンガ=グンは都市の名前だからだ。もしもカーターがンガ=グンのことを知っていたら放っておかなかっただろうが、くだんのラヴクラフト書簡はずっとブラウン大学のジョン=ヘイ図書館に眠っており、出版されたのはカーターの没後になってからだった。

ニガー・ヘヴン

ニガー・ヘヴン

Letters with Donald and Howard Wandrei and to Emil Petaja

Letters with Donald and Howard Wandrei and to Emil Petaja

  • 作者:Lovecraft, H P
  • 発売日: 2019/11/22
  • メディア: ペーパーバック

*1:ミネアポリスセントポールを合わせた通称。

*2:Books: Horn Tooter - TIME

*3:ガタノトーア・イソグサ・ゾス=オムモグの三柱。

死の接触

 ロバート=E=ハワードに"The Touch of Death"という短編がある。初出はウィアードテイルズの1930年2月号で、そのときは"The Fearsome Touch of Death"という題名だった。だがハワード本人が作成した作品目録では"The Touch of Death"となっているため、こちらが本来の題名と見なされている。原文はウィキソースで無償公開されているが、今日に至るまで邦訳はない。
en.wikisource.org
 アダム=ファレルという老人が死んだ。身寄りもなく、近所付き合いもなかった彼の通夜を一人ですることになったのはファレドという男だった。
「迷信深いほうではないよね?」とスタイン医師が念押しをした。
「全然」とファレドは笑った。「この爺さんの評判を聞くに、生きている彼の客になるよりは、死んだ後で通夜をするほうがましみたいだね」
 後は任せたといってスタイン医師は立ち去り、ファレドは雑誌を読みながら時間を潰す。強い風が窓から吹きこんできた。ファレドが遺体を見ると、いつの間にか表情が変わっているような気がする。風でシーツの位置がずれたせいに決まっていると自分に言い聞かせながらファレドは灯りを消し、寝ることにした。
 ファレドは夜中にふと目が覚めた。真っ暗だが、目の前には老人の遺体が横たわっているはず……。言い知れぬ恐怖に襲われたファレドは闇の中でじりじりと後ずさりした。冷たく、じっとりしたものが、そのとき彼の手に触れた。
 翌日スタイン医師が行くと、遺体は二つに増えていた。ショック死したファレドの傍らに転がっていたのは、前の日に医師が置き忘れていったゴム手袋だった。冷たく、じっとりした感触の手袋に暗がりで触ってしまったファレドは、それを死人の皮膚と勘違いしたのだった。
 この話にはアンブローズ=ビアスの「死骸の見張り番」からの影響がありそうだとラスティー=バークがThe Horror Stories of Robert E. Howardの序文で指摘している。ビアスの作品ならたくさん読んでいるとハワードは1930年10月頃の手紙でラヴクラフトに語っており、影響を受けることもあったに違いない。*1また1933年3月6日付のラヴクラフト宛書簡には、ビアスがナイフ投げの達人だったという逸話が見られる。*2ハワードにとってビアスは卓越した作家であるだけでなく、戦う術に長けた強い男でもあったのだろう。

ビアス短篇集 (岩波文庫)

ビアス短篇集 (岩波文庫)

 ハワードは自分の母方の祖父を誇りに思っていたが、彼とビアスには南北戦争に従軍したという共通点がある。*3ハワードの祖父は南軍、ビアス北軍という違いはあるが、いずれもハワードにとっては尊敬に値する勇士だったのではないか。
 "The Touch of Death"に話を戻すと「死骸の見張り番」ほどの複雑さはないが、人が恐怖に囚われていく過程の描写に強烈な迫力がある。ハワードは恐怖を描き出すことに巧みであるからこそ、その恐怖を吹っ飛ばす筋肉の一撃があれほどまでに痛快なのだと思う。

モホーン=ロスからの手紙

 クラーク=アシュトン=スミスの"The Letter from Mohaun Los"を読んだラヴクラフトは1931年5月12日付のスミス宛書簡で「きわめて鮮烈で印象的」「夢中になって読みました」と感想を述べている。この作品をスミス自身は1931年8月18日付のダーレス宛書簡で「1万語の疑似科学小説」と呼んでいるが、現存するものは1万3000語近くあるので後に改稿されたのだろう。
www.eldritchdark.com
 1940年に失踪した富豪ドミティアン=マルグラフが書いたとおぼしき手紙がバンダ海で発見された。透明な球体に入っていた手紙は別れた許嫁に宛てたもので、マルグラフが召使いの李と一緒に旅立ってから遭遇した驚異的な出来事が綴られていた――という体裁の作品だ。
 世の中に倦んだマルグラフはタイムマシンを発明し、李と一緒に出発する。李は「もっとも知的な人間」「有能なだけでなく、一緒にいると楽しい」とマルグラフから尊敬されている人物。マルグラフは2000年後の世界に向かうが、そこは宇宙空間の真っ只中だった。太陽系は銀河系の中心の周りを回っているので、2000年後の同じ場所には存在していないのだ。余談だが、太陽系が銀河系を一周するには約2億3000万年かかるそうだ。
starchild.gsfc.nasa.gov
 十分な時間が経てば、その座標に別の天体が来るはずだと考えたマルグラフはさらに未来へ向かう。タイムマシンは未知の惑星に着陸できたが、そこは巨大な食肉植物がはびこる密林だった。4本腕の現地人が危険にさらされているのを見たマルグラフと李は彼を救出するが、空を飛ぶ乗り物が出現する。ガトリング砲のような兵器で狙われたマルグラフたちは慌てて脱出した。互いの言葉が理解できるようになってから判明したことだが、マルグラフたちが救助したのはトゥオクアンという学者で、異端思想の罪で処刑されかかっていたのだった。
 次の星を発見したマルグラフは着陸を試みるが、地面から15~20フィート上空に出てしまう。時間を移動する以外の機能を持たないタイムマシンは墜落し、その衝撃で故障してしまった。そこは平原で、身長4フィートほどの人々が戦争をしている最中だった。これも後で説明されるのだが、一方は平和を愛するソウナ族、もう一方は獰猛なゴルポ族という。また、題名にあるモホーン=ロスというのは彼らが住む星の名前だ。
 数の上ではゴルポ族が優勢だったが、彼らの直中に落ちたタイムマシンは兵士を何人か押しつぶし、このことを天佑と捉えたソウナ族は攻勢に出て勝利を収めた。彼らはタイムマシンの前に平伏して崇め、搭乗者ごと都に運んでいく。大きな建物の中で祭壇に安置されたタイムマシンだったが、そこには先客がいた。奇怪な巨大ロボットで、ソウナ族が持ってきた油で自分自身のメンテナンスをしている。
 ロボットはタイムマシンに戦いを挑もうとするが、そこに透明な多面体の乗り物が現れた。乗員はトゥオクアンと同じ種族で、時間を超えて彼を追跡してきたらしい。ロボットはタイムマシンをほったらかしにして新しい相手と死闘を繰り広げ、双方とも大爆発を起こして相打ちになった。
 宇宙から来て暴君のように振る舞っていたロボットをマルグラフたちが退治してくれたと思いこんだソウナ族はますます感謝の念を強めたが、彼らは敢えて誤解を解こうとはしなかった。ソウナ族は花の香りを嗅ぐだけで栄養を得ていたが、幸いなことに人間の食べ物も手に入った。
 地球の時間にして7カ月が経ち、マルグラフたちはソウナ族にすっかり受け入れられていた。トゥオクアンは技術指導に当たり、侵略者と戦うための兵器の作り方をソウナ族に教えている。李は『詩経』などをソウナ族の言語に翻訳し、これも好評だった。ちなみにスミスの原文では『詩経』はThe Odes of Confuciusとなっているが、これはランスロット=クランマー=バイングによる英訳が1905年に刊行されたときの題名らしい。たぶんスミスも読んだことがあったのだろう。
archive.org
 マルグラフはタイムマシンを修理し、さらに小型のタイムマシンを製作する。そして元許嫁に当てた手紙を積み、数学と天文学に長けたソウナ族の助けを得て座標を計算すると過去の地球に送り出したのだった。ハッピーエンドなのだが、最後に「編者の注記」として「もしも計算が正確だったなら、マルグラフと李が出発したその場所に手紙が届いたことにならないだろうか?」と突っこみが入っている。
 この作品の原稿をスミスは初めウィアードテイルズに送ったが、受理されるとは期待していなかった。実際に初出となったのはヒューゴーガーンズバックが編集長を務めるワンダーストーリーズの1932年8月号だが、このときに"Flight into Super-Time"と題名を変えられている。なるべくSFらしい題名にしようというのがガーンズバックの動機だったのだろうが、スミスは1932年5月26日付のダーレス宛書簡で「気乗りがしません」とぼやき、続く6月7日付の手紙では"The Flight through Time"と間違える有様だった。
 後にアーカムハウスからスミスの作品集が刊行されたとき、2冊目のLost Worldsに"The Letter from Mohaun Los"も収録された。「予言の魔物」と同じような風刺をスミスは意図していたのだが、そのことに気づいてくれたワンダーストーリーズの読者はほとんどいなかったに違いありません――とダーレス宛の手紙で語っている。その手紙は1943年4月31日付なのだが、特にふざけた内容でもないので素で間違えていたのだろう。

誰にも真似できぬ作家

 ラヴクラフトはエイブラハム=メリットとダンセイニ卿の本をC.L.ムーアに贈ったことがあり、ムーアが1936年1月30日付の手紙でお礼を述べている。

まずは、すばらしい御本をくださったことに尽きせぬ感謝を申し上げます。ダンセイニの本をこんなにたくさん一度にいただけるとは、私の手には余りそうです。その幻想と描写の手法に似せてみたいという衝動は抗いがたいほどですが、どういうわけか紙を無駄にするだけで終わってしまいます。ダンセイニは誰にも真似られませんが、その作品を読んだものは誰でも挑戦してきたのでしょう。メリットの本も素敵ですね。私が『黄金郷の蛇母神』を読んだのは何年も前のことで、ずっと再読しようと探し続けておりました。これまでに読んだメリットの作品で何よりも楽しかったのは「竜鏡の向こうに」だと思います。鏡の描写自体もきわめて力強く、その向こうにある魔法の地での出来事もたいそう巧みで軽やかに処理されているので、このような作品が必要とする甘美なありえなさの雰囲気をよく保っています。思うに、名作たりえているのは簡潔な作品だからでしょう。もしもメリットが話を単行本1冊分に引き延ばし、冒険に次ぐ冒険、山場に次ぐ山場を積み上げていったら、軽妙さも魅力も台なしになっていたはずです。本当にありがとうございました。

 ダーレスがラヴクラフトにアルジャーノン=ブラックウッドを、ラヴクラフトがムーアにダンセイニとメリットを贈っているわけで、各人の好みが垣間見える。ムーアは続けて「S.H.サイムが挿絵を描いている『ウェレランの剣』を先生が入手できますように」と書いているが、結局ラヴクラフトが手に入れることはなかった。なお、この本は現在では公有に帰しており、カリフォルニア大学図書館が提供したスキャンデータがインターネット=アーカイブで公開されている。
archive.org
 『黄金郷の蛇母神』のことはラヴクラフトも1933年2月27日頃のダーレス宛書簡で「決して悪くない作品です」と肯定的に評価している。だが作家としてのメリットのあり方は彼にとって受け入れがたいもので、1937年2月7日付のムーア宛書簡には次のような厳しい意見が見られる。

おわかりかもしれませんが、創作における妥協については私はあなたの御意見にまったく反対です。いったん妥協してしまえば次も妥協するでしょう――そして楽な道を歩むことにした者は二度と戻ってきません。いつかは戻るつもりだと、みんな言うんです――でも戻ってくることはありません。ベルナップは行ってしまいました。もしもスルタン=マリク*1がいかさまから抜け出すことがあれば、ひとえに並外れて鋭利で客観的な知性の比類なき勝利でしょう。エイブ=メリットは――マッケンにもブラックウッドにもダンセイニにもデ=ラ=メアにもM.R.ジェイムズにも(彼らは絶対に黄金の子牛に平伏したりはしませんでしたよ! ……そこまで恥ずかしいことをしなくても衣食住に不自由しないのであれば、誰がするものですか?)なれたでしょうに――あまりにも堕ちてしまったものですから、そのことを理解する能力すら失われている有様です。そんなのばかり――そんなのばかりです。

 ブラックウッドは玉石混淆だとか、ダンセイニは作風が変わってしまったとか不満も多いラヴクラフトだが、彼らとメリットには厳然たる違いがあると考えていた。そうしなければお金が稼げないのでは仕方がないという諦めがにじんでいるのが切ないし、フランク=ベルナップ=ロングまで否定されているのが悲しい。これがラヴクラフトからムーアへの最後の手紙になった。
 余談だが、ダーレスもメリットの作品には興味を示し、アーカムハウスから彼の短編集を刊行することを検討していた。だが数が少ないのが悩みの種で、収録すべき作品として思いつくのが「秘境の地底人」と「樹精の復讐」だけだと1943年4月27日付のクラーク=アシュトン=スミス宛書簡で述べている。「竜鏡の向こうに」と「中世フランス語の幻」もいいのではないかとスミスは提案したが、その4カ月後にメリットは急死し、計画が実現することはなかった。

魔女を焼き殺せ! (ナイトランド叢書2-6)

魔女を焼き殺せ! (ナイトランド叢書2-6)

  • 作者:A・メリット
  • 発売日: 2017/08/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

*1:ホフマン=プライスのこと。

カソネットの最後の歌

 ロバート=E=ハワードに"Casonetto's Last Song"という短編がある。1973年まで日の目を見なかった作品で、現在はThe Horror Stories of Robert E. Howardで読めるものの邦訳はない。

 スティーヴン=ゴードンのもとに郵便物が届き、その差出人はジョヴァンニ=カソネットだった。用心したほうがいいと友人のコスティガンが忠告する。カソネットは世界的なオペラ歌手だったが、実は暗黒教団の指導者という裏の顔があり、大勢の人間を生贄に捧げていた。彼の正体を暴いて処刑台に送ったのはゴードンだったのだ。
「爆弾か何かじゃないかとは僕も思ったがね」とゴードンはいった。「こんな薄っぺらい封筒では、そんなものは入らないだろう。開封するよ」
 コスティガンとゴードンといえば「スカルフェイス」の主人公とその相棒だが、そちらに登場するのはジョン=ゴードンなので別人だろう。似たような名前をハワードが使い回すのは珍しいことではない。ただし彼が「スカルフェイス」の続編を書こうとしていたことは事実だ。*1
 ゴードンが封筒を開けると、中から出てきたのはレコードだった。「我が友人スティーヴン=ゴードンへ、独りで聴くこと」と書状が添えてある。すでに刑死して、この世にいないカソネットからの贈物だった。どうしても聴くつもりなら、せめて自分が隣にいることにするとコスティガンは言い張り、ゴードンは承知した。レコードを再生すると、かつて世界を陶酔させたカソネットの声が聞こえてきた。
「スティーヴン=ゴードン!」
 己の犯罪行為をゴードンに知られ、逮捕されて死刑になることを覚悟したカソネットは、警官隊が到着するまでのわずかな時間にその声を録音したのだそうだ。もっと他にすべきことがあったのではないかとも思うが、逃亡を試みるには有名すぎるし、証拠を隠滅しようにもゴードンが有能すぎて無理だったのだろう。そうやって制作したレコードをカソネットは信頼する部下に託し、自分が処刑された後でゴードンに送るようにと遺言したのだった。
「我が友よ、サタンの大祭司が最後に歌うにはふさわしい舞台だ! いま私がいるのは黒き教会、おまえが我が秘密の洞窟に乱入してきて私を驚かし、無能なる教団員どもがおまえを取り逃がしてしまった例の場所だよ」
 ヨグ=ソトースやナイアーラトテップの名前が出てくることもなく、カソネットが崇めているのはサタンなのでクトゥルー神話色は薄い。カソネットは歌いはじめ、ゴードンの眼前に暗黒教会の光景が甦る。回転するレコードからは、凝縮された煉獄の精髄がカソネットの美声に乗ってゴードンのほうへ流れ出すかのようだった。
 ゴードンは冷汗をかきながら立ち尽くしていた。自分が生贄の祭壇に横たわり、いまにも短剣が振り下ろされるのではないかという気がするが、聴くのを止められない。魂を地獄に引きずりこむような美声に苦悶するゴードンだったが、気力を振り絞って叫んだ。そのときコスティガンが鋼の拳でレコードを粉砕し、あの恐るべき黄金の声を永遠に葬り去ったのだった。
 ゴードンの精神に後遺症が出ないか心配になるが、ひとまず親友のおかげで救われたところで物語は終わっている。悪魔の歌声に打ち勝つのも筋肉というあたりがハワードらしい。なお市販されていたカソネットのレコードは彼自身の希望ですべて回収され、破壊されたということになっているのだが、こっそり手許に留めておいた愛好家も結構いそうだ。ならば彼の歌が現代に甦る可能性もあるのではないか。

スカーフェイスとラヴクラフト

 『暗黒街の顔役』という映画がある。アル=カポネの生き様から着想を得たギャング映画だが、原作者のアーミティッジ=トレイルはフランク=ベルナップ=ロングの知り合いで、ラヴクラフトともわずかながら縁があった。

 『暗黒街の顔役』の映画化が決まってハワード=ヒューズが原作の権利をトレイルから買い取り、2万5000ドルもの大金を得たトレイルはロングのところに押しかけた。彼は午前4時まで居座って自慢し続け、美と文学のために執筆するなど愚かで虚しいと主張したという。ロングから話を聞いてトレイルの俗物ぶりに呆れたラヴクラフトは"Lines upon the Magnates of the Pulp"と題する詩を作り、ジェイムズ=F=モートンとモーリス=W=モオに送った。鬱憤を晴らすために書いたような詩であまりおもしろくないが、一部を訳出してみよう。

かつて我らが同胞たる文人たちは戦った
身は餓えても思考を富ませ
富に平伏さず 奢侈に惑わず
彼らに頭脳あり 奴隷の褒美を拒み
貧しく慎ましくとも誇り高く 気品ある筆を執る
(中略)
見よ! 見よ! かつて正直なる夢見人が挑んだところ
美と誇りの斜面を登り 地べたを離れて
転げ回る豚どもが餌を食む泥沼の上高く
天空の蜂蜜酒を得ようとしたところ
新参者の群は真逆の道へと突き進み
自由人も貪欲なユダヤ人の手に落ちる

 拝金主義の作家を揶揄しているのだが、悪い意味でラヴクラフトらしい。こんな詩を書いてモートンに怒られなかったのだろうか。ちなみに、この詩をモートン宛書簡集で読みながら構文がどうしても理解できない箇所があって悩んだのだが、モオ宛書簡集のほうで確認したところ単なる誤植だった。勘弁してほしい。
 ラヴクラフトは1929年11月8日付のダーレス宛書簡でもトレイルの話をしている。ラヴクラフトの手紙によるとトレイルはヴィンセント=スターレットの知人と称していたそうで、そのため1927年にスターレットラヴクラフトを引き合わせたのはトレイルだったのではないかという仮説をヨシ&シュルツがモオ宛書簡集の前書きで披露しているのだが、これはいささか根拠薄弱に感じられる。
 ラヴクラフトはよほどトレイルのことが印象に残っていたらしく、1930年1月になってから話題を蒸し返しているが、実は彼のフルネームを知らなかった。さすがにダーレスは情報が豊富で「そいつはアーミティッジ=トレイルじゃないですか?」と訊ねている。確認しておきましょうとラヴクラフトは返信したが、ダーレスとの文通でトレイルの名前が出ることは二度となかった。
 トレイルは本名をモーリス=クーンズといって、1902年生まれ。Encyclopedia of Pulp Fiction Writersによると、人気作家になってハリウッドに移り住んだ後は酒に溺れ、1930年10月に心臓発作を起こして急死したそうだ。まだ28歳だった。体重が300ポンド(約136キログラム)を超えていたそうで、ラヴクラフトからも繰り返し「デブ」と呼ばれている。筆名でパルプ小説をたくさん書いていたはずなのだが、今日ではまったく知られていない。発掘しようとする人もいないのだろう。

Encyclopedia of Pulp Fiction Writers (Literary Movements)

Encyclopedia of Pulp Fiction Writers (Literary Movements)

  • 作者:Server, Lee
  • 発売日: 2002/11/01
  • メディア: ペーパーバック
 1933年7月30日付のヴァーノン=シェイ宛書簡にもトレイルのことが書いてあるが、そこでは「自慢屋のデブです――すごい俗物ですが、きわめて利口で、暗黒街の事情に通じています」と微妙に好意的な表現になっている。なおラヴクラフトは現在形で記述しているので、もしかしたらトレイルがすでに亡くなっていることを知らなかったのかもしれない。

バラモンの知恵

 "The Brahmin's Wisdom"という掌編がある。クラーク=アシュトン=スミスの作品としてCrypt of Cthulhuの27号(1984年万聖節号)に掲載されたが、真の作者が誰だったかは後述する。
www.eldritchdark.com
 題名から察しがつくように、インドとおぼしき国の話だ。その密林からは恐るべき絶叫が絶えず聞こえ、僧院の人々を悩ませていた。密林の直中では魔神マドゥの巨大な石仮面が半ば沼地に埋もれており、その泣き声に違いないと人々は言い交わす。王様は恐怖のあまり一族郎党を引き連れて北に逃亡する有様だった。ちなみにマドゥというサンスクリット語の単語は実在するが、本当は「蜂蜜」という意味だそうだ。
 1年に1度、幼童クリシュナのお祭りに参加するために旅をする高僧たちが通りかかるから、そのときに知恵を乞うことにしようと僧院の隠士たちは決めた。祭りの前日、4人の高僧がやってきたので彼らは経緯を話した。4人のうち最年長で、その年齢や名前を誰も知らないほど年老いたバラモンが答えた。
「マドゥであるものか? 悲鳴を上げているのは無知な罪人である」
 その者を鎮めてほしいと懇願されたバラモンは独りで密林の中に入っていった。密林にはマドゥの石像があったが、石仮面は無言で泣くばかりで、涙と見えたものも凝縮した水の滴りに過ぎなかった。
 バラモンが空地に辿りつくと、そこには悔悟する罪人が裸で立っていた。一面に棘が植わった重たい鉄球を右手でしっかりと握りしめ、ひっきりなしに絶叫している。するとバラモンはその場で瞑想し、彼の心臓ですら動きを止めたかと思えるほどだった。
 季節が巡って沼地の草の葉が枯れたが、バラモンはまだ瞑想に耽っていた。齢千歳を数えるサンショウウオが沼から這い出てきて自分の妻と友人のハサミムシに「あの老賢者なら知っている。彼の出生証明書を地底の洞窟で見たことがあるんだ」などと囁きかけ、その後で二匹とも食べてしまった。
 秋から冬になり、バラモンはようやく瞑想を止めた。悔悟する罪人のほうを向いて彼は話しかけた。
「その鉄球を捨てるのです!」
 悔悟者が手放した鉄球は地面を転がり、たちまち苦痛から解放された彼は山羊のように跳びはねながら立ち去ったのだった。
 スミスの遺した文書の中に埋もれていた作品だそうだが、いまいち彼らしくないということはロン=ヒルガーらが指摘していた。ワンドレイかプライスの作品ではないかという説もあったが、実はグスタフ=マイリンクの"Die Weisheit des Brahmanen"を英語に翻訳したものであったと判明している。ちなみに原文は公有に帰しており、Zeno.orgで無償公開されている。
www.zeno.org
 マイリンクはオーストリアの人で、代表作の『ゴーレム』などが邦訳されている。だが、彼の作品の英訳がなぜスミスのところにあったのかは不明だ。スミスはフランス語に堪能で翻訳を手がけることもあったが、ドイツ語もできたという話は寡聞にして知らない。*1
 ラヴクラフト・ダーレス・スミスの書簡集を見るとマイリンクのことは何度か話題になっているが、"The Brahmin's Wisdom"への言及は一切なかった。誰が何のために翻訳してスミスに送ったのかを知る手かがりも見当たらず、いささか謎めいた話だ。