新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

モホーン=ロスからの手紙

 クラーク=アシュトン=スミスの"The Letter from Mohaun Los"を読んだラヴクラフトは1931年5月12日付のスミス宛書簡で「きわめて鮮烈で印象的」「夢中になって読みました」と感想を述べている。この作品をスミス自身は1931年8月18日付のダーレス宛書簡で「1万語の疑似科学小説」と呼んでいるが、現存するものは1万3000語近くあるので後に改稿されたのだろう。
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 1940年に失踪した富豪ドミティアン=マルグラフが書いたとおぼしき手紙がバンダ海で発見された。透明な球体に入っていた手紙は別れた許嫁に宛てたもので、マルグラフが召使いの李と一緒に旅立ってから遭遇した驚異的な出来事が綴られていた――という体裁の作品だ。
 世の中に倦んだマルグラフはタイムマシンを発明し、李と一緒に出発する。李は「もっとも知的な人間」「有能なだけでなく、一緒にいると楽しい」とマルグラフから尊敬されている人物。マルグラフは2000年後の世界に向かうが、そこは宇宙空間の真っ只中だった。太陽系は銀河系の中心の周りを回っているので、2000年後の同じ場所には存在していないのだ。余談だが、太陽系が銀河系を一周するには約2億3000万年かかるそうだ。
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 十分な時間が経てば、その座標に別の天体が来るはずだと考えたマルグラフはさらに未来へ向かう。タイムマシンは未知の惑星に着陸できたが、そこは巨大な食肉植物がはびこる密林だった。4本腕の現地人が危険にさらされているのを見たマルグラフと李は彼を救出するが、空を飛ぶ乗り物が出現する。ガトリング砲のような兵器で狙われたマルグラフたちは慌てて脱出した。互いの言葉が理解できるようになってから判明したことだが、マルグラフたちが救助したのはトゥオクアンという学者で、異端思想の罪で処刑されかかっていたのだった。
 次の星を発見したマルグラフは着陸を試みるが、地面から15~20フィート上空に出てしまう。時間を移動する以外の機能を持たないタイムマシンは墜落し、その衝撃で故障してしまった。そこは平原で、身長4フィートほどの人々が戦争をしている最中だった。これも後で説明されるのだが、一方は平和を愛するソウナ族、もう一方は獰猛なゴルポ族という。また、題名にあるモホーン=ロスというのは彼らが住む星の名前だ。
 数の上ではゴルポ族が優勢だったが、彼らの直中に落ちたタイムマシンは兵士を何人か押しつぶし、このことを天佑と捉えたソウナ族は攻勢に出て勝利を収めた。彼らはタイムマシンの前に平伏して崇め、搭乗者ごと都に運んでいく。大きな建物の中で祭壇に安置されたタイムマシンだったが、そこには先客がいた。奇怪な巨大ロボットで、ソウナ族が持ってきた油で自分自身のメンテナンスをしている。
 ロボットはタイムマシンに戦いを挑もうとするが、そこに透明な多面体の乗り物が現れた。乗員はトゥオクアンと同じ種族で、時間を超えて彼を追跡してきたらしい。ロボットはタイムマシンをほったらかしにして新しい相手と死闘を繰り広げ、双方とも大爆発を起こして相打ちになった。
 宇宙から来て暴君のように振る舞っていたロボットをマルグラフたちが退治してくれたと思いこんだソウナ族はますます感謝の念を強めたが、彼らは敢えて誤解を解こうとはしなかった。ソウナ族は花の香りを嗅ぐだけで栄養を得ていたが、幸いなことに人間の食べ物も手に入った。
 地球の時間にして7カ月が経ち、マルグラフたちはソウナ族にすっかり受け入れられていた。トゥオクアンは技術指導に当たり、侵略者と戦うための兵器の作り方をソウナ族に教えている。李は『詩経』などをソウナ族の言語に翻訳し、これも好評だった。ちなみにスミスの原文では『詩経』はThe Odes of Confuciusとなっているが、これはランスロット=クランマー=バイングによる英訳が1905年に刊行されたときの題名らしい。たぶんスミスも読んだことがあったのだろう。
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 マルグラフはタイムマシンを修理し、さらに小型のタイムマシンを製作する。そして元許嫁に当てた手紙を積み、数学と天文学に長けたソウナ族の助けを得て座標を計算すると過去の地球に送り出したのだった。ハッピーエンドなのだが、最後に「編者の注記」として「もしも計算が正確だったなら、マルグラフと李が出発したその場所に手紙が届いたことにならないだろうか?」と突っこみが入っている。
 この作品の原稿をスミスは初めウィアードテイルズに送ったが、受理されるとは期待していなかった。実際に初出となったのはヒューゴーガーンズバックが編集長を務めるワンダーストーリーズの1932年8月号だが、このときに"Flight into Super-Time"と題名を変えられている。なるべくSFらしい題名にしようというのがガーンズバックの動機だったのだろうが、スミスは1932年5月26日付のダーレス宛書簡で「気乗りがしません」とぼやき、続く6月7日付の手紙では"The Flight through Time"と間違える有様だった。
 後にアーカムハウスからスミスの作品集が刊行されたとき、2冊目のLost Worldsに"The Letter from Mohaun Los"も収録された。「予言の魔物」と同じような風刺をスミスは意図していたのだが、そのことに気づいてくれたワンダーストーリーズの読者はほとんどいなかったに違いありません――とダーレス宛の手紙で語っている。その手紙は1943年4月31日付なのだが、特にふざけた内容でもないので素で間違えていたのだろう。