新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

誰にも真似できぬ作家

 ラヴクラフトはエイブラハム=メリットとダンセイニ卿の本をC.L.ムーアに贈ったことがあり、ムーアが1936年1月30日付の手紙でお礼を述べている。

まずは、すばらしい御本をくださったことに尽きせぬ感謝を申し上げます。ダンセイニの本をこんなにたくさん一度にいただけるとは、私の手には余りそうです。その幻想と描写の手法に似せてみたいという衝動は抗いがたいほどですが、どういうわけか紙を無駄にするだけで終わってしまいます。ダンセイニは誰にも真似られませんが、その作品を読んだものは誰でも挑戦してきたのでしょう。メリットの本も素敵ですね。私が『黄金郷の蛇母神』を読んだのは何年も前のことで、ずっと再読しようと探し続けておりました。これまでに読んだメリットの作品で何よりも楽しかったのは「竜鏡の向こうに」だと思います。鏡の描写自体もきわめて力強く、その向こうにある魔法の地での出来事もたいそう巧みで軽やかに処理されているので、このような作品が必要とする甘美なありえなさの雰囲気をよく保っています。思うに、名作たりえているのは簡潔な作品だからでしょう。もしもメリットが話を単行本1冊分に引き延ばし、冒険に次ぐ冒険、山場に次ぐ山場を積み上げていったら、軽妙さも魅力も台なしになっていたはずです。本当にありがとうございました。

 ダーレスがラヴクラフトにアルジャーノン=ブラックウッドを、ラヴクラフトがムーアにダンセイニとメリットを贈っているわけで、各人の好みが垣間見える。ムーアは続けて「S.H.サイムが挿絵を描いている『ウェレランの剣』を先生が入手できますように」と書いているが、結局ラヴクラフトが手に入れることはなかった。なお、この本は現在では公有に帰しており、カリフォルニア大学図書館が提供したスキャンデータがインターネット=アーカイブで公開されている。
archive.org
 『黄金郷の蛇母神』のことはラヴクラフトも1933年2月27日頃のダーレス宛書簡で「決して悪くない作品です」と肯定的に評価している。だが作家としてのメリットのあり方は彼にとって受け入れがたいもので、1937年2月7日付のムーア宛書簡には次のような厳しい意見が見られる。

おわかりかもしれませんが、創作における妥協については私はあなたの御意見にまったく反対です。いったん妥協してしまえば次も妥協するでしょう――そして楽な道を歩むことにした者は二度と戻ってきません。いつかは戻るつもりだと、みんな言うんです――でも戻ってくることはありません。ベルナップは行ってしまいました。もしもスルタン=マリク*1がいかさまから抜け出すことがあれば、ひとえに並外れて鋭利で客観的な知性の比類なき勝利でしょう。エイブ=メリットは――マッケンにもブラックウッドにもダンセイニにもデ=ラ=メアにもM.R.ジェイムズにも(彼らは絶対に黄金の子牛に平伏したりはしませんでしたよ! ……そこまで恥ずかしいことをしなくても衣食住に不自由しないのであれば、誰がするものですか?)なれたでしょうに――あまりにも堕ちてしまったものですから、そのことを理解する能力すら失われている有様です。そんなのばかり――そんなのばかりです。

 ブラックウッドは玉石混淆だとか、ダンセイニは作風が変わってしまったとか不満も多いラヴクラフトだが、彼らとメリットには厳然たる違いがあると考えていた。そうしなければお金が稼げないのでは仕方がないという諦めがにじんでいるのが切ないし、フランク=ベルナップ=ロングまで否定されているのが悲しい。これがラヴクラフトからムーアへの最後の手紙になった。
 余談だが、ダーレスもメリットの作品には興味を示し、アーカムハウスから彼の短編集を刊行することを検討していた。だが数が少ないのが悩みの種で、収録すべき作品として思いつくのが「秘境の地底人」と「樹精の復讐」だけだと1943年4月27日付のクラーク=アシュトン=スミス宛書簡で述べている。「竜鏡の向こうに」と「中世フランス語の幻」もいいのではないかとスミスは提案したが、その4カ月後にメリットは急死し、計画が実現することはなかった。

魔女を焼き殺せ! (ナイトランド叢書2-6)

魔女を焼き殺せ! (ナイトランド叢書2-6)

  • 作者:A・メリット
  • 発売日: 2017/08/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

*1:ホフマン=プライスのこと。