新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

翻訳家スミス

 クラーク=アシュトン=スミスはボードレールの詩の英訳を手がけており、時折ウィアードテイルズに掲載されることもあった。*1そして逆に英文を仏訳したこともある。1931年9月18日付のスミス宛書簡でダーレスが依頼したのだ。

お願いがあります。Peopleのためにフランス語の文章が1行だけ必要なのですが、私は翻訳するどころか読むことすらおぼつかない有様です。「テクマン大佐へ。17日にアウステルリッツで会うとしよう――ナポレオン」この文章を訳してくださいますか。

 スミスは9月22日に返信し、主語の異なる複数の訳文を提供してやった。"People"はいくつかの実話から構成される歴史小説で、ダーレス自身の曾祖父であるダレット伯爵も登場するという。後に"A Town is Built"と改題されたものの発表には至らず、いまも原稿がウィスコンシン州立歴史協会に保管されている。
digicoll.library.wisc.edu
 余談だが、この膨大なダーレス関連文書の中には「風に乗りて歩むもの」の原稿も含まれている。ダーレスから「風に乗りて歩むもの」を送られて読んだラヴクラフトは助言をいくつか原稿の余白に書きこんだそうだ。どのような助言だったのか気になるが、原稿が現存しているのであれば確認することも可能だろう。
 ダーレスはフランス語が必要なときは友人に助けてもらうことができたが、スミスが世を去った後はどうしていたのだろうか。「ダーレスさんはフランス語もお上手なんですね。すごいです!」とラムジー=キャンベルに1965年7月16日付の手紙で感心された彼は「いや、あれはアルフレッド=ガルピンに考えてもらったものです」と返事をしている。
 ガルピンはウィスコンシン大学の教授で、フランス語は専門だった。ダーレスにとっては母校の先輩に当たる人だが、二人が知り合ったのはラヴクラフトが引き合わせたからだった。創作の指導をしてくれる人を捜しているとガルピンから相談を受けたラヴクラフトが彼にダーレスを紹介したのだ。*2ちなみにラヴクラフトの「バグズ爺さん」*3の主人公はガルピンがモデルだそうだ。
 ラテン語に関してはデイヴィッド=ドレイクがダーレスを手伝うことがあった。アルハザードの有名な対句「永久に横たわれるものは死せずして……」をラテン語に翻訳したことがあるとドレイクはThat is Not Dead : Black Magic and Occult Storiesの序文*4で述べている。持つべきものは友ということだろうが、ダーレスは一方的に恩恵を被っていたわけではない。『無名祭祀書』のドイツ語題をラヴクラフトのために考えたのはダーレスだ。