新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

スカーフェイスとラヴクラフト

 『暗黒街の顔役』という映画がある。アル=カポネの生き様から着想を得たギャング映画だが、原作者のアーミティッジ=トレイルはフランク=ベルナップ=ロングの知り合いで、ラヴクラフトともわずかながら縁があった。

 『暗黒街の顔役』の映画化が決まってハワード=ヒューズが原作の権利をトレイルから買い取り、2万5000ドルもの大金を得たトレイルはロングのところに押しかけた。彼は午前4時まで居座って自慢し続け、美と文学のために執筆するなど愚かで虚しいと主張したという。ロングから話を聞いてトレイルの俗物ぶりに呆れたラヴクラフトは"Lines upon the Magnates of the Pulp"と題する詩を作り、ジェイムズ=F=モートンとモーリス=W=モオに送った。鬱憤を晴らすために書いたような詩であまりおもしろくないが、一部を訳出してみよう。

かつて我らが同胞たる文人たちは戦った
身は餓えても思考を富ませ
富に平伏さず 奢侈に惑わず
彼らに頭脳あり 奴隷の褒美を拒み
貧しく慎ましくとも誇り高く 気品ある筆を執る
(中略)
見よ! 見よ! かつて正直なる夢見人が挑んだところ
美と誇りの斜面を登り 地べたを離れて
転げ回る豚どもが餌を食む泥沼の上高く
天空の蜂蜜酒を得ようとしたところ
新参者の群は真逆の道へと突き進み
自由人も貪欲なユダヤ人の手に落ちる

 拝金主義の作家を揶揄しているのだが、悪い意味でラヴクラフトらしい。こんな詩を書いてモートンに怒られなかったのだろうか。ちなみに、この詩をモートン宛書簡集で読みながら構文がどうしても理解できない箇所があって悩んだのだが、モオ宛書簡集のほうで確認したところ単なる誤植だった。勘弁してほしい。
 ラヴクラフトは1929年11月8日付のダーレス宛書簡でもトレイルの話をしている。ラヴクラフトの手紙によるとトレイルはヴィンセント=スターレットの知人と称していたそうで、そのため1927年にスターレットラヴクラフトを引き合わせたのはトレイルだったのではないかという仮説をヨシ&シュルツがモオ宛書簡集の前書きで披露しているのだが、これはいささか根拠薄弱に感じられる。
 ラヴクラフトはよほどトレイルのことが印象に残っていたらしく、1930年1月になってから話題を蒸し返しているが、実は彼のフルネームを知らなかった。さすがにダーレスは情報が豊富で「そいつはアーミティッジ=トレイルじゃないですか?」と訊ねている。確認しておきましょうとラヴクラフトは返信したが、ダーレスとの文通でトレイルの名前が出ることは二度となかった。
 トレイルは本名をモーリス=クーンズといって、1902年生まれ。Encyclopedia of Pulp Fiction Writersによると、人気作家になってハリウッドに移り住んだ後は酒に溺れ、1930年10月に心臓発作を起こして急死したそうだ。まだ28歳だった。体重が300ポンド(約136キログラム)を超えていたそうで、ラヴクラフトからも繰り返し「デブ」と呼ばれている。筆名でパルプ小説をたくさん書いていたはずなのだが、今日ではまったく知られていない。発掘しようとする人もいないのだろう。

Encyclopedia of Pulp Fiction Writers (Literary Movements)

Encyclopedia of Pulp Fiction Writers (Literary Movements)

  • 作者:Server, Lee
  • 発売日: 2002/11/01
  • メディア: ペーパーバック
 1933年7月30日付のヴァーノン=シェイ宛書簡にもトレイルのことが書いてあるが、そこでは「自慢屋のデブです――すごい俗物ですが、きわめて利口で、暗黒街の事情に通じています」と微妙に好意的な表現になっている。なおラヴクラフトは現在形で記述しているので、もしかしたらトレイルがすでに亡くなっていることを知らなかったのかもしれない。