新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

バラモンの知恵

 "The Brahmin's Wisdom"という掌編がある。クラーク=アシュトン=スミスの作品としてCrypt of Cthulhuの27号(1984年万聖節号)に掲載されたが、真の作者が誰だったかは後述する。
www.eldritchdark.com
 題名から察しがつくように、インドとおぼしき国の話だ。その密林からは恐るべき絶叫が絶えず聞こえ、僧院の人々を悩ませていた。密林の直中では魔神マドゥの巨大な石仮面が半ば沼地に埋もれており、その泣き声に違いないと人々は言い交わす。王様は恐怖のあまり一族郎党を引き連れて北に逃亡する有様だった。ちなみにマドゥというサンスクリット語の単語は実在するが、本当は「蜂蜜」という意味だそうだ。
 1年に1度、幼童クリシュナのお祭りに参加するために旅をする高僧たちが通りかかるから、そのときに知恵を乞うことにしようと僧院の隠士たちは決めた。祭りの前日、4人の高僧がやってきたので彼らは経緯を話した。4人のうち最年長で、その年齢や名前を誰も知らないほど年老いたバラモンが答えた。
「マドゥであるものか? 悲鳴を上げているのは無知な罪人である」
 その者を鎮めてほしいと懇願されたバラモンは独りで密林の中に入っていった。密林にはマドゥの石像があったが、石仮面は無言で泣くばかりで、涙と見えたものも凝縮した水の滴りに過ぎなかった。
 バラモンが空地に辿りつくと、そこには悔悟する罪人が裸で立っていた。一面に棘が植わった重たい鉄球を右手でしっかりと握りしめ、ひっきりなしに絶叫している。するとバラモンはその場で瞑想し、彼の心臓ですら動きを止めたかと思えるほどだった。
 季節が巡って沼地の草の葉が枯れたが、バラモンはまだ瞑想に耽っていた。齢千歳を数えるサンショウウオが沼から這い出てきて自分の妻と友人のハサミムシに「あの老賢者なら知っている。彼の出生証明書を地底の洞窟で見たことがあるんだ」などと囁きかけ、その後で二匹とも食べてしまった。
 秋から冬になり、バラモンはようやく瞑想を止めた。悔悟する罪人のほうを向いて彼は話しかけた。
「その鉄球を捨てるのです!」
 悔悟者が手放した鉄球は地面を転がり、たちまち苦痛から解放された彼は山羊のように跳びはねながら立ち去ったのだった。
 スミスの遺した文書の中に埋もれていた作品だそうだが、いまいち彼らしくないということはロン=ヒルガーらが指摘していた。ワンドレイかプライスの作品ではないかという説もあったが、実はグスタフ=マイリンクの"Die Weisheit des Brahmanen"を英語に翻訳したものであったと判明している。ちなみに原文は公有に帰しており、Zeno.orgで無償公開されている。
www.zeno.org
 マイリンクはオーストリアの人で、代表作の『ゴーレム』などが邦訳されている。だが、彼の作品の英訳がなぜスミスのところにあったのかは不明だ。スミスはフランス語に堪能で翻訳を手がけることもあったが、ドイツ語もできたという話は寡聞にして知らない。*1
 ラヴクラフト・ダーレス・スミスの書簡集を見るとマイリンクのことは何度か話題になっているが、"The Brahmin's Wisdom"への言及は一切なかった。誰が何のために翻訳してスミスに送ったのかを知る手かがりも見当たらず、いささか謎めいた話だ。