新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

死の接触

 ロバート=E=ハワードに"The Touch of Death"という短編がある。初出はウィアードテイルズの1930年2月号で、そのときは"The Fearsome Touch of Death"という題名だった。だがハワード本人が作成した作品目録では"The Touch of Death"となっているため、こちらが本来の題名と見なされている。原文はウィキソースで無償公開されているが、今日に至るまで邦訳はない。
en.wikisource.org
 アダム=ファレルという老人が死んだ。身寄りもなく、近所付き合いもなかった彼の通夜を一人ですることになったのはファレドという男だった。
「迷信深いほうではないよね?」とスタイン医師が念押しをした。
「全然」とファレドは笑った。「この爺さんの評判を聞くに、生きている彼の客になるよりは、死んだ後で通夜をするほうがましみたいだね」
 後は任せたといってスタイン医師は立ち去り、ファレドは雑誌を読みながら時間を潰す。強い風が窓から吹きこんできた。ファレドが遺体を見ると、いつの間にか表情が変わっているような気がする。風でシーツの位置がずれたせいに決まっていると自分に言い聞かせながらファレドは灯りを消し、寝ることにした。
 ファレドは夜中にふと目が覚めた。真っ暗だが、目の前には老人の遺体が横たわっているはず……。言い知れぬ恐怖に襲われたファレドは闇の中でじりじりと後ずさりした。冷たく、じっとりしたものが、そのとき彼の手に触れた。
 翌日スタイン医師が行くと、遺体は二つに増えていた。ショック死したファレドの傍らに転がっていたのは、前の日に医師が置き忘れていったゴム手袋だった。冷たく、じっとりした感触の手袋に暗がりで触ってしまったファレドは、それを死人の皮膚と勘違いしたのだった。
 この話にはアンブローズ=ビアスの「死骸の見張り番」からの影響がありそうだとラスティー=バークがThe Horror Stories of Robert E. Howardの序文で指摘している。ビアスの作品ならたくさん読んでいるとハワードは1930年10月頃の手紙でラヴクラフトに語っており、影響を受けることもあったに違いない。*1また1933年3月6日付のラヴクラフト宛書簡には、ビアスがナイフ投げの達人だったという逸話が見られる。*2ハワードにとってビアスは卓越した作家であるだけでなく、戦う術に長けた強い男でもあったのだろう。

ビアス短篇集 (岩波文庫)

ビアス短篇集 (岩波文庫)

 ハワードは自分の母方の祖父を誇りに思っていたが、彼とビアスには南北戦争に従軍したという共通点がある。*3ハワードの祖父は南軍、ビアス北軍という違いはあるが、いずれもハワードにとっては尊敬に値する勇士だったのではないか。
 "The Touch of Death"に話を戻すと「死骸の見張り番」ほどの複雑さはないが、人が恐怖に囚われていく過程の描写に強烈な迫力がある。ハワードは恐怖を描き出すことに巧みであるからこそ、その恐怖を吹っ飛ばす筋肉の一撃があれほどまでに痛快なのだと思う。