新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

瞥見

 Nameless Placesは1975年にアーカムハウスから刊行されたアンソロジーだ。この本に収録されている作品のうち、ドレイクの"Awakening"*1やジャコビの"Chameleon Town"*2やラムレイの"What Dark God?"*3を弊ブログではこれまでに紹介しているが、今回はA.A.アタナシオの"Glimpses"を取り上げることにしたい。
 アタナシオのクトゥルー神話小説では「不知火」が『真ク・リトル・リトル神話大系』の6巻に収録されている。あれはなかなか不可思議な作品だが、奇妙さという点では"Glimpses"も負けていない。ヨグ=ソトースとノーデンスは対極をなすとダニエル=ハームズのThe Cthulhu Mythos Encyclopediaにあるが、これは"Glimpses"が出典だ。
 小さな出版社で主任として働いているジーン=ミランドラは、ある日どこからともなく自分に話しかけてきた声を聞く。その声は会ったこともない伯父アーマンド=サーディのものだった。ジーンがアーマンドに会いに行くと、アーマンドは彼に謎めいた石を渡し、これをロンドン在住のマーク=スーヴェイト博士に届けてほしいと頼む。
www.aaattanasio.com
 この石を実際に制作したものの写真がアタナシオの公式サイトに掲載されているが、まるでドーナツだ。ジーンが立ち去った後、アーマンドは自らの頭を拳銃で撃ち抜いた。
 ジーンがスーヴェイト博士に会ってドーナツ型の石を渡すと、博士は彼に石の正体を教えてくれた。石は悠久の太古にノーデンスから授かったもので、人類をヨグ=ソトースから護る力が宿っていた。アーマンドはヨグ=ソトースから逃れるために自殺したのだが、魂は逃げ切れずに囚われてしまっていた。ジーンはスーヴェイト博士に弟子入りし、魔術師として修行することになる。
 ジーンが十分な研鑽を積んだと判断したスーヴェイト博士は彼に素性を明かす。博士はノーデンス大帝に仕える種族の「運び手」だった。その種族は原初の地球に住んでいたが、旧支配者に脅かされたために時間を超えて逃亡し、今から150万年前にスーヴェイト博士の身体に宿ったのだ。それ以来スーヴェイト博士は時間を旅し続け、ノーデンスが地球に再臨する遙かな未来を目指していた。
 スーヴェイト博士はジーンを連れて時間移動を行い、チリの南端にある小島に行く。島の中心部にはヨグ=ソトースの神殿があった。スーヴェイト博士の指示に従い、浜辺から螺旋を描くようにして島の中心部に辿り着いたジーンは、砂の中に半ば埋まった小さな壺を発見する。壺の中からは啜り泣く声が聞こえてきた。スーヴェイト博士によると、その壺の中にアーマンドの魂が囚われているそうだ。壺をもってロンドンに帰り、伯父さんを解放してあげなさいと言い残して博士は未来へと旅立っていった。
 ジーンはドーナツ型の石と壺を携え、いま来た道を引き返しはじめたが、奇怪な魔物が現れて彼を脅かす。来たときと同じ道を歩かなければならないというスーヴェイト博士の言葉をジーンは忘れまいとするが、やがて島の風景や星辰の位置も変容してしまい、海にはクトゥルーが現れた。パニックに陥ったジーンは石と壺を両方とも取り落とし、まっすぐ海に向かって走っていった……。
 ここで物語はいきなり未来に飛ぶ。コードン=マレボルギアン大佐と副官のリロイ=ニコル大尉はブラックウルフ計画の本部に向かっていた。到着した二人を最高責任者のデラ=マルドゥクと担当責任者のハフィズ博士が出迎え、状況を説明する。本来ブラックウルフは軍とは無関係の研究だったが、意識を失っている状態で発見されたマーク=スーヴェイトが持っていたドーナツ型の石に物体転送の機能があると判明し、これは軍事目的に転用できそうだということでマレボルギアン大佐とニコル大尉が呼ばれたのだった。
 ニコル大尉がスーヴェイトに面会すると、彼は大尉に目的を打ち明ける。ノーデンスが再臨する遙かな未来に向かって旅を続けているのだが、ヨグ=ソトースが後から追ってきている。自分のいる場所はヨグ=ソトースの力に侵食され、破滅的な事態が発生することになるだろう。それを防ぐには、あの石を自分に返してほしい。そうすれば自分は石の力を使って未来に脱出し、世界はヨグ=ソトース降臨の危機から救われるだろう。
 猛毒の神経性ガスが漏出してマレボルギアン大佐が死亡し、ニコル大尉はデラ=マルドゥクの説得を試みる。石をスーヴェイトに返して危機を回避すべきだという大尉の意見にマルドゥクは同意するが、スチームパイプが破裂する事故に巻きこまれて命を落とす。もしも自分に協力するならばニコル大尉も犠牲になるだろうとスーヴェイトは予言するが、覚悟を決めた大尉は銃に弾丸を装填して石を奪いにいく。
 ヨグ=ソトースの眷属がニコル大尉を妨害しようとするが、大尉は銃を乱射して彼らを皆殺しにし、石を持ってスーヴェイトのもとに向かった。ヨグ=ソトースの眷属と見えたものは実はブラックウルフ計画の技術者たちで、この凶行に驚いたハフィズ博士はニコル大尉の殺害を指示する。大尉をめがけて発射されたのは超高輝度のX線を応用した殺人光線だったが、このギミックが1970年代っぽく感じられる。撃たれた大尉は最後の力を振り絞ってエアカーを駆り、やがて事切れた姿で発見された。だがドーナツ型の石はどこにも見当たらず、スーヴェイトも行方不明だった……。
 ジーンが主役かと思いきや、彼の運命は不明なまま話が別の時代に移ってしまう。彼や他の協力者たちがヨグ=ソトースの世界に囚われていることをスーヴェイト博士がほのめかすくだりはなかなか効果的だと思うが、それにしても奇妙な作品だ。ダーレス没後のクトゥルー界において新しい方向性を模索する試みのひとつだったのだろうか。
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 余談だが、この作品が世に出たときの裏話を故エドワード=P=バーグランドが2005年にニュースグループで語っていた。彼は"Glimpses"をThe Disciples of Cthulhuに収録しようとしていたのだが、Nameless Placesの編者であるジェラルド=ペイジに先を越されてしまったそうだ。後にThe Disciples of Cthulhuの改訂版がケイオシアムから刊行されたとき、バーグランドの念願がかなって"Glimpses"も収録されることになった。