新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

いかなる暗き神か?

 ブライアン=ラムレイに"What Dark God?"というクトゥルー神話短編がある。1975年にアーカムハウスから刊行されたNameless Placesを初出とし、その後いくつかの作品集に再録された。いま読むのであればHaggopian and Other Storiesが入手しやすいだろう。

 混んでいる列車の中。語り手とスコットランド人の男が入った個室には4人の先客がおり、その中の一人は異彩を放っていた。ひときわ背が高くて顔は真っ白、薄く赤い唇はまるで絵の具で描いたようだ。金縛りに遭ったかのように身動きできない語り手の前で4人の男たちは『トスカナ典儀』を取り出し、儀式を開始した……。
 この物語に登場する神はスムマヌス。本来はローマ神話の神で、ユピテルが昼間の雷を司るのに対してスムマヌスは夜の雷の支配者だという。また作中では冥府の神でもあるということになっている。口がないのを絵の具で描いてごまかしていた男はスムマヌスの化身に他ならなかったが、実は彼は触手を備えており、その触手で人間の生き血を吸い取ったりする。列車が駅に停まり、4人の男が降りていくと、語り手はようやく身体の自由を回復したが、後に残されていたのは血を吸い尽くされたスコットランド人の死体だった。
 これを神話作品といっていいのか、実のところ私も心許ない。何しろ既存の神話大系との接点が皆無なのだ。謎めいた『トスカナ典儀』ですらラムレイがこの作品のために創造した書物であり、他の作品で使用された痕跡が見当たらない。ごく普通の怪奇小説なのだが、神話作品として読むと珍妙な印象を受ける。しかしスムマヌスは今日では普通にクトゥルー神話の神と見なされており、『マレウス・モンストロルム』にもしっかり載っている。 外形的には神話作品の条件を満たしていないにもかかわらず、作者がラムレイであるがゆえに神話大系に組み込まれた作品ということになるだろうか。Nameless Placesにはリン=カーターの「時代より」や「ナスの谷にて」も収録されており、クトゥルー神話と無縁のアンソロジーというわけでもないのだが、ラムレイがクトゥルー神話を念頭に置いて"What Dark God?"を執筆したのかは不明だ。そうだとしてローマ神話の神様を持ち出す意味もわからないが、ギリシア神話ヒュプノスが神話大系に取り入れられた先例に倣ったものだろうか。なお「ラムレイは地下世界の神として描写したが、これには前例はなく……」と『エンサイクロペディア・クトゥルフ』日本語版のスムマヌスの項目にあるが、これは誤訳だ。原文は"Lumley's description of him as an underworld god is not without precedent"であり、前例がないわけでもないと訳すのが正しい。また同書の改訂版であるThe Cthulhu Mythos Encyclopediaによると、雷を司る九柱の神々について記された「トスカナ人の著作」が大プリニウスの『博物誌』で紹介されている。*1たぶんラムレイはそれなりに文献を調査したのだろう。
 海野なまこさんによるスムマヌスの絵もあるが、こうやってビジュアル化された姿はかっこいい。よってスムマヌスは旧支配者である。