新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

南国のラヴクラフト

 1934年5月、ラヴクラフトはフロリダのバーロウ家に滞在中だった。「フロリダはいつもながら爽やかで元気が湧いてきます」「私の活力は北国にいたときの3倍です」とラヴクラフトは5月19日付でダーレスに書き送っている。現地の気温は華氏86度(摂氏30度)に達していたそうだが、ラヴクラフトは暑ければ暑いほど元気になる人なのだ。*1ダーレス宛の手紙をもうちょっと引用してみよう。

バーロウのお父様(今は家にいないのですが)は陸軍の退役中佐です。バーロウ邸はデランドの西14マイルのところにあり、魅力的な田園風の屋敷です――造園は見事ですが、まだ完全には終わっていません。屋敷の裏手には湖があり、夕暮れにはボートで遊んでいます――大きなトクサバモクマオウの木が西の空を背景に立っている様子がまるで日本の版画のようです。先日、長さ7フィートを超えるムチヘビをバーロウが仕留めましたよ――このあたりで狩れる大物の一例です。そういえば――最近ダーレス君が送ってくれた原稿を見たバーロウは身震いするほど大喜びしています。

 陸軍中佐は英語ではlieutenant colonelだが、ラヴクラフトの手紙では単にcolonelとなっている。大佐と間違えていたというわけではなく、慣例でlieutenantを省略して呼ぶことがあるらしい。デイヴィッド=H=ケラー*2も最終階級は陸軍軍医中佐だが、回想記で自分をthe Colonelと呼んだことがある。実際には大佐なのか中佐なのか判断できなくなり、翻訳するときに困るので止めてほしい。
 「日本の版画」と呼ばれているのは、もちろん浮世絵のことだ。ラヴクラフトはボストンやプロヴィデンスの美術館で葛飾北斎安藤広重の作品を実際に鑑賞しており、浮世絵に詳しかった。
 バーロウが蛇を殺したことは1934年5月22日付のエリザベス=トルドリッジ宛書簡にも書いてあり、そちらによると銃を使ったそうだ。射撃はバーロウの特技のひとつだった。なお皮を本の装丁に使うのが目的だったという。
 この5月19日付のダーレス宛書簡でラヴクラフトはバーロウのことを「すばらしい子で、ほとんどダーレス君に匹敵しそうな才能があります」と評しているが、相当な褒め言葉といってよい。そんなふうに称賛されていることを本人が知ったら一体どう反応したか気になるところだ。

バーロウ「そ、そんなの当然じゃないですかフフーン!」

 念のために断っておくと、上のセリフは嘘だ。そのバーロウが発行していたファンジンが電書で安く復刻されていたので買ってみた。

 Leavesは1937年の夏に第1号が、1938年の冬に第2号が刊行された。寄稿している顔ぶれはラヴクラフト・ダーレス・スミスの三聖を始めとして、ホワイトヘッド・ハワード・ロング・ワンドレイ・メリット・ムーア・ライバーなど非常に豪華だ。「ラヴクラフト・サークル」の主立った面々がほとんど総出演といってよいが、これもラヴクラフトの遺徳というべきだろう。ダーレスの"The Panelled Room"*3も収録されているが、この佳編を提供するとは彼もなかなか太っ腹だ。