新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

死せる家々

 昨日の記事で紹介したLeavesの第1号にはエディス=ミニターの"Dead Houses"が掲載されている。ミニター夫人はアマチュアジャーナリズムが縁でラヴクラフトと親交を結んだ人だが、その作品はひとつも邦訳されていない。せっかくなので読んでみた。
 "Dead Houses"は1920年頃に執筆された短編。ニューイングランドの田舎に建っている家と、そこに住む人々の暮らしが一人の女性の視点で綴られている。主人公の女性は作者がモデルになっているらしく、彼女の母が散骨を希望していたので遺体を荼毘に付したという冒頭の記述も、ミニター自身の母親であるジェニー=E=T=ダウを指しているのだろう。この散骨は1935年9月21日に執り行われ、ラヴクラフトも参列したと1935年10月6日付のダーレス宛書簡にある。ラヴクラフトは散骨の場所を「辺鄙で陰鬱な『ダニッチ』地方」と呼んでおり、したがって"Dead Houses"の舞台もそのあたりということになるはずだ。
 物語はいくつかの素描の連なりで構成されているが、バーディー=エドワーズなる女性の話は中でも強烈だ。彼女は既婚なのだが、夫はまったく登場しない。夫の兄弟だという男性がバーディーと一緒に暮らしていたが、その生活たるや赤貧洗うが如きものだった。ある日、家の煙突から煙が出ていないのを心配した隣人がドーナツを持って様子を見に行くと、バーディーは寝たきりで餓死しかけており、義兄弟のほうは居間で人事不省の状態だった。木製のトランクを解体して薪代わりにしようとしている最中に倒れたらしかった。彼は1時間後に息を引き取ったが、実は何千ドルもの貯金があったことが死後に判明する。バーディーも2週間後に亡くなり、後に残された大金と家は彼女の娘がフィラデルフィアからやってきて相続した――痛ましい貧困の話だと思いながら読んでいたら実は吝嗇の果ての死というわけで、一気に不気味さが増してしまった。
 主人公はしまいに自分の家を売ってしまう。その2年後の夏に彼女は家を再訪し、新しい住人となった夫妻に歓待されるが、家がすっかり様変わりしているのを見て悲しい気分になる。バーディーの娘は母親の家に住もうとはせず、買いたいという者が現れても相手にしないで朽ちるに任せていたが、その態度は正しかった――と主人公は思うのだった。
 ダニッチの日常の描写だといわれても信じてしまうそうなくらい鬱々とした話なのだが、実のところ怪奇の要素は皆無だ。ロバート=バーロウはミニター夫人の知り合いではなかったが、ラヴクラフトがダーレスに宛てて書いた1934年12月4日付の手紙によるとW=ポール=クックが彼女の遺著管理者だったそうだ。1934年に他界したミニターの遺稿をどうにかして世に出したいとクックが望んでいたので、ラヴクラフトの仲介でバーロウが引き受けることになったのだろう。
 余談だが、ブラム=ストーカーが『ドラキュラ』の改稿をミニターに依頼したという真偽の定かでない話がラヴクラフトのバーロウ宛書簡にはたびたび出てくる。*1報酬の点で折り合いがつかなかったためミニターは引き受けなかったというのだが、証拠があるわけではないらしい。いずれにせよ『ドラキュラ』を始めとするストーカーの作品に対するラヴクラフトの評価はとても低い。一方でベラ=ルゴシには好意的で、ドラキュラの映画が凡庸なのは原作と脚本のせいでルゴシは悪くないと擁護している。*2
 最後にエディス=ミニターの生年の話をしておこう。『H・P・ラヴクラフト大事典』では1867年生まれとなっているが、バーロウ宛書簡集によれば1969年だ。どちらもヨシ&シュルツの仕事なのだが、刊行年は前者のヒポカンパス=プレス版が2004年、後者が2007年となっており、新しいほうを信用するのが無難か。バーロウ宛書簡集ではトライアウト誌の1934年8月号を典拠にミニターを1869年5月5日生まれ、1934年6月8日死去としており、これが正しい生没年と思われる。