新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

カダス夜話

 ラヴクラフトは「未知なるカダスを夢に求めて」を1927年1月22日に書き上げたが、その原稿を彼の生前に読んだものは稀だった。ラヴクラフトは1930年9月25日頃のクラーク=アシュトン=スミス宛書簡で次のように語っている。

私が純粋な幻想小説をまた書こうとすることがあるかは未解決の問題です。なぜなら自分が得意なのは疑似現実的な作品――完全な幻想作家よりもむしろポオの作風のほうだと私は本気で考えているからです。ですが、いずれにせよ私の既存作品でその手のものに時たま見出される三文小説や感傷的な文章に手を染めようとすることはもうないでしょう。その線に沿って書いた最後の作品は1926年のものでして――「霧の高みの奇妙な家」などです。また1926年から27年の冬にかけては同趣旨の中編(清書はしておらず、ワンドレイにしか読んでもらっていません)を仕上げたのですが、その成果たるや実に退屈な上に嫌気がさすようなものだったので、私は自分の姿勢や技法をすっかり変えてしまいました。

 「カダス」を読んだのがワンドレイ兄弟のどちらだったのかラヴクラフトは明記していないが、ハワード=ワンドレイとの文通はまだ始まっていないので兄貴のほうだろう。しかし「カダス」の原稿を発送したという記述は現存するドナルド=ワンドレイ宛書簡にはないので、もしかしたら彼が1927年7月にプロヴィデンスを訪問したときに見せてあげたのかもしれない。
 後にロバート=バーロウが「カダス」の清書を申し出たのでラヴクラフトは彼に原稿を貸し与えたが、結局バーロウによる清書稿が完成することはなかった。そしてラヴクラフトの死後「カダス」の原稿がどうなったのかといえばバーロウの手許でずっと眠り続けていたのだが、1943年にアーカムハウスから刊行されたBeyond the Wall of Sleepに収録されて日の目を見ることになった。ダーレスは1941年10月22日付の手紙でスミスに経緯を報告している。

ラヴクラフトの手紙はドンか私に送ってくださいますか。たぶん私宛のほうがいいでしょう。私の秘書はHPLの手書きの字を読めるようになったので清書できるのですよ。いま彼女は「カダス」を清書しているところです。バーロウがようやく原稿を送ってくれました。

 秘書というのはアリス=コンガー*1のことだが、ラヴクラフトの筆跡を解読するのは特殊技能だったと見える。「カダス」が未発表作品であることを考えると、バーロウが1941年まで原稿をアーカムハウスに引き渡していなかったのは少し驚きだ。少なくともワンドレイはその内容を知っていたわけで、バーロウが原稿を散逸させたら一大事だと気を揉んだのではないか。
 「カダス」を読んだダーレスは1941年11月8日付のスミス宛書簡に「いささか失望した」と感想を記し、「薄弱にして散漫」と理由を挙げている。また現在形と過去形が交互に使われているのは理由がよくわからないので出版前に修整しておく必要があるかもしれないと述べているのだが、ラヴクラフトの書いた文章に手を入れることを辞さないあたりがダーレスらしい。ただし「カダス」の原文で現在形になっている箇所が邦訳では過去形に直されていたりするので、ダーレスの考えにも一理あるのだろう。
 やっと届いた「カダス」に対するダーレスの感想は芳しいものではなかったが、一方スミスは1943年11月30日付のダーレス宛書簡で熱っぽく褒め称えている。

「チャールズ=ウォードの奇怪な事件」(もちろんウィアードテイルズで読んだことがありますが)はHPLの最高傑作のひとつです。そして「未知なるカダスを夢に求めて」は昨日初めて読んだのですが、驚異的で非常に楽しい幻想小説ですね。ダンセイニに似通っているといっても、ごく表層的なものでしかありません。猫軍団だの食屍鬼や夜鬼の隊列だのを登場させるなんてラヴクラフトしか考えつかないでしょう? 夢幻文学として、これよりめざましいものを僕は知りません。HPL本人や他の人の批評から僕が予期していたのよりずっと首尾一貫しているし、よく書けている作品ですよ。

 「チャールズ=ウォード」は傑作、「カダス」は非常に楽しいというのが興味深い。優劣を論じる以前に楽しかったというのはスミスの偽らざる感想なのだろう。人によって意見の分かれる作品だが、私としてはスミスに賛成したいところだ。