新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

『ラヴクラフトカントリー』雑感

 マット=ラフの『ラヴクラフトカントリー』を読了した。

Lovecraft Country: A Novel (English Edition)

Lovecraft Country: A Novel (English Edition)

 テレビドラマ化されたことだし、近日中に原作の邦訳が出ることも大いに期待できると思うので、詳しく粗筋を書くのは止めておこう。差別という重い問題を扱った作品であるため、読んでいて息苦しくなることも多々あったが、同時に魅力的な物語であったことは間違いない。私は大いに楽しみ、何一つ不満がないほどだった。しかし楽しくなかった人もいるようで、世界一のラヴクラフト研究家として高名なS.T.ヨシは2018年7月31日付のブログ記事で「まったくもって失望させられた」と述べている。

この本の評判の良さは私も伝え聞いていたし、ジョーダン=ピール(印象的な犯罪/恐怖映画である『ゲット・アウト』の監督だ)の手でHBOのミニシリーズとしてドラマ化されつつあるということも知っている。だが、この本は多くの水準において失敗作である。まず第一にラヴクラフト的な要素が驚くほど乏しく、題名が虚偽広告だという印象を与える。

S. T. Joshi - Blog

 逆に考えれば、ラヴクラフトの作品世界に明るくない人にも受け入れやすい本だということだ。ヨシはとにかく流行作家が嫌いらしく、スティーヴン=キングのことも盛大に叩いているのだが、『ラヴクラフトカントリー』に対して辛辣なのも彼のベストセラー嫌いが一因なのではないかと勘ぐりたくなる。*1
 『ラヴクラフトカントリー』と謳っている割には、物語の舞台はほとんどがマサチューセッツ州ではなくシカゴなど他の場所だとヨシは突っこみを入れている。だが、この題名は単にニューイングランドを指しているわけではなく、黒人であるというだけで侮蔑と敵意の眼差しを向けられる国という含意がある。ラヴクラフトカントリーは今ここにあるとマット=ラフは指摘しているのだ。だが世界幻想文学大賞のトロフィーとして使われていたラヴクラフト像が2015年に廃止されたとき、抗議のために自分の2回の受賞を返上したヨシのこと、そんなふうにラヴクラフトを人種差別の象徴として使われて面白くない気持ちであることは想像に難くない。
 それではラヴクラフトの差別主義とはいかなるものだったのか。"H. P. Lovecraft's Racism and Recognition"と題するヨシのエッセイがトゥルースシーカー誌の最新号に掲載されており、気前のいいことに無料で読める。ダウンロードの方法とパスワードについては2020年10月3日付のヨシのブログを御参照いただきたい。
stjoshi.org
 4ページちょっとの短い記事で、前半はラヴクラフト無神論社会主義思想の解説に割かれている。もしも今ラヴクラフトが生きていればバーニー=サンダースを支持していただろうというヨシの主張に賛同するかは人によりけりだろうが、さほど突飛な発想ではないと個人的には思う。ケネス=スターリング宛の最後の手紙*2でもラヴクラフトスペイン人民戦線内閣の首相ラルゴ=カバリェロに声援を送っているのだ。
 肝心の人種主義については、ラヴクラフトは決して激越な差別意識の持ち主ではなかったし、人種や民族の違いを理由にして他者に危害を加えることには断固として反対の立場だったというのがヨシの見解だ。パスワード付きのPDFをダウンロードするのが面倒くさい方は、『ムー』の公式サイトに掲載されている森瀬繚さんの記事を代わりに読んでもいいだろう。内容ではヨシの文章に引けをとるものではない。
muplus.jp
 しかしラヴクラフトが人種差別から完全に脱却することはついになかった。1934年2月13日付のF=リー=ボールドウィン宛書簡*3には、黒人とオーストラロイドだけは生物的に劣等であるという記述が見られる。ヒトラー疑似科学に惑わされた人物だと同じ手紙でラヴクラフトが批判しているのは皮肉としか言いようがない。
「すばらしい人物だが、あいにくユダヤ人」というラヴクラフトの心ない発言がサミュエル=ラヴマンを憤激させたことは我が国でもよく知られている。*4ラヴクラフトにとっては軽い冗談でも、差別される側であるラヴマンにとっては許せない裏切りだったのだが、後年になってもラヴクラフトは己の差別意識を冗談の種にしている。1933年3月24日付のヴァーノン=シェイ宛書簡を見てみよう。

ええ――マイク=アンジェロとかいう名前のイタ公が描いた猥褻画が差し押さえられた件は読んでおりますよ。

 これはシスティーナ礼拝堂の天井にミケランジェロが描いたフレスコ画の写真が猥褻物としてニューヨーク市の税関に押収された事件に言及したものなのだが、ラヴクラフトに悪意はなかったのだろう。彼の差別意識は深い憎悪に根ざしているというより、いとも気軽に冗談として表出するものだった。
 ラヴクラフト差別意識当時としては当たり前だったという言説に私が賛成できない理由がここにある。ラヴクラフトは穏健で紳士的な人物だったが、それでも差別的な発言をすることはあった。そして科学を持ち出して差別を正当化したり、差別を冗談として扱ったりする彼の姿勢は今日でも珍しくないだろう。それゆえラヴクラフトは差別主義者といっても私と大差ない――否、もしかしたら私も彼のように振る舞っているのではないかという自省を迫られるのだ。
 『ラヴクラフトカントリー』に話を戻すと、アティカスは大詰めで痛快な勝利を収めるのだが、未来は今なお不確かだという余韻の残る幕切れだった。この終わり方は意図的なものであり、アティカスたちの差別との戦いはこれからも続いていくということを無視するわけにはいかなかったからだとマット=ラフは巻末の作者インタビューで説明しているのだが、同時に続編の可能性を示唆するものだろう。


 続きがあるなら最低でも三部作になるということだが、読者としては諸手を挙げて歓迎したい。

*1:ヨシ対キング - 新・凡々ブログ

*2:1937年1月27日付。

*3:創元推理文庫の『ラヴクラフト全集3』に「履歴書」として収録されている。

*4:ラヴクラフトの差別発言 - 新・凡々ブログ