id:SerpentiNagaさんのTwitterから。
“ずっと以前まだH・P・と私が結婚してない頃彼は手紙でこう言ってます。「ラヴマンは詩人にして文芸の天才だ。本人に直に会った事は一度もないが、その書簡から深大な学識と教養が窺われる。ひとつだけ見つけた矛盾点は彼がセム族の出、ユダヤ人である事だ」と”(ソニア・グリーン)
— 江波倉子(CV雨宮伊都) (@serpentinaga) 2010年6月6日
ソニア・グリーンによるラヴクラフト追想録はウィンフィールド・タウンリー・スコットのリライトを経て1948年8月22日付プロヴィデンス・サンデー・ジャーナル紙に掲載され、さらにダーレスのリライトを経た上でアーカム・ハウス刊“Something about Cats”に収録された。
— 江波倉子(CV雨宮伊都) (@serpentinaga) 2010年6月6日
グリーンのオリジナル原稿は、1985年に初めてネクロノミコン・プレス刊のリーフレットとして活字化された。先の引用はそのテクストに因る。
— 江波倉子(CV雨宮伊都) (@serpentinaga) 2010年6月6日
これを受けてサミュエル=ラヴマンが書いたのが、『真ク・リトル・リトル神話大系』の8巻に収録されている「金とおがくず」である。実際に読んだことのある方ならわかるだろうが、百年の恋も冷めるという感じの文章だ。ラヴマンがラヴクラフトからじかに差別的な仕打ちを受けたことはなかったはずだとピーター=キャノンらは指摘しているが、ラヴマンにとっては伝聞だけでも充分すぎたのだろう。
念のために書いておくが、ラヴクラフトはソニア=グリーン宛の手紙でラヴマンの文才を高く評価しているのである。ラヴマンがユダヤ系であることが「深大な学識と教養」と矛盾しているというのは、軽い冗談のつもりだったのかもしれない。そうだとしても、差別される側であるラヴマンにとっては由々しき裏切りだった。差別というものについて考えさせられる事例である。