新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

ラヴクラフトを尾行した少年

 マーク=レイドローに"The Boy Who Followed Lovecraft"という短編がある。2011年に発表された作品で、現在もサブタレイニアン=プレスの公式サイトで無償公開されている。
subterraneanpress.com
 物語の舞台は1929年、主人公のダグラスはロードアイランド州プロヴィデンスに住む少年。早くに両親を亡くし、おばたちに育てられている。ウィアードテイルズを読むのが好きで、とりわけラヴクラフトの作品が気に入っている。厳格なおばたちはパルプ雑誌を快く思っていないので隠れて読まなければならないが、担任のマーシュ先生はダグラスの趣味に理解を示し、ラヴクラフトプロヴィデンスの住人であることを教えてくれた。
 ダグラスはラヴクラフトの住所を突き止め、訪ねていった。ダグラスが物陰から様子を窺っているとラヴクラフトが出てくる。みすぼらしく擦りきれたスーツを着たラヴクラフトはアイスクリームを食べながら街を歩き、ダグラスは後をつけていった。ラヴクラフトが出かけていった先は映画館で、そこで彼はもぎりの仕事をする。ごく短期間ながらラヴクラフトが映画館で働いていたという証言は実在するので、一応レイドローは史実を踏まえていることになる。
 しばらく経って観客の入れ替えがあり、ダグラスは映画館の中に駆けこんだ。尊敬するラヴクラフトと話をしたい――僕もルルイエを夢に見たことがあるんです、護符を盗んだものを追いつめる魔犬の吠え声を聞いたことがあるんです、無名都市の隠された部屋を吹き抜ける邪悪な風を感じたことがあるんですと知らせたい。その時、ラヴクラフトその人がダグラスに懐中電灯を突きつけた。
 ダグラスは逃げだし、夜のプロヴィデンスを一目散に駆けていった。心は千々に乱れ、夢は粉々に砕け散り、インスマスもルルイエもウルタールも廃墟と化して崩れ去っていく。夢の殿堂から飛び出した彼がイハ=ントレイを知ることは決してないだろう。そしてラヴクラフトの死後まで彼の言葉がダグラスにつきまとうことになるだろう。
「警察を呼ぶ前に出て行きたまえ、薄汚い黒んぼの小僧め!」とラヴクラフトはダグラスにいったのだった。
 ダグラスはアフリカ系であり、ラヴクラフトの差別的な言葉が彼を幻滅させてしまったという残酷な結末。創作物におけるラヴクラフトは食い詰めてポルノ小説を書いたり、初恋の美少女をシュブ=ニグラスに陵辱されたりと様々な目に遭わされているが、ある意味ここまでひどい描かれ方をしている例は他にない。
 なお、この話はあくまでもフィクションであり、ラヴクラフトが面と向かって他者を差別したことは実際にはないはずだ。そう付言することで多少なりとも彼を擁護できればいいのだが、陰でいうだけでも許しがたい裏切りになりうることはサミュエル=ラヴマンの逸話から明らかだろう。*1