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主にクトゥルー神話のことなど。

『夢見る力』余話

 コリン=ウィルソンがクトゥルー神話小説を書くようになったきっかけが『夢見る力』でラヴクラフトを酷評したことだったというのは有名な話だが、この本が刊行されたときにダーレスとラムジー=キャンベルの間で交わされたやりとりを見てみよう。キャンベルは1962年11月4日付のダーレス宛書簡で述べている。

ただいまコリン=ウィルソンの『夢見る力』を読んでいるところですが、独りよがりな本です。ウィルソンはラヴクラフトとワインボウムを並べたかと思えば、たったひとつの言葉尻を捉えてダーレスさんを批判しようとしています! でも「普通はいつも」(usually always)とか「最終的に終結した」(finally culminated)という言い方をして、推敲の時に見逃すのは誰にでもあることでしょう(後者は僕も書いたことがあります)。ウィルソンは作家としてはたいしたものなのでしょうが、彼の評論にはあまり感心しませんね。

 「たったひとつの言葉尻」とキャンベルが書いているのは「ラヴクラフトは言葉の使い方が巧みだったとダーレスは述べているが、その評価は当てにならない。ダーレス自身が『ラヴクラフトは普通はいつも幽霊のように青ざめていた』(He was usually always spectrally pale.)などと書く人だからだ」という『夢見る力』の記述を指したものだ。ラヴクラフトばかりかダーレスまで叩かれてキャンベルは立腹しているが、ダーレスは11月8日付の手紙で次のように返事をした。

ウィルソンの本はいつでもおもしろいのですが、君のいうとおり非常に個人的な感想となっていますね。また、実のところ評論の基準というものがウィルソンにあるのか私にはわかりません。

 さすがにキャンベル宛の手紙では怒りを露わにしているのではないかと思いきや、予想に反してダーレスは妙に上機嫌だ。アーカムハウスが後にウィルソンの『精神寄生体』を出版することになると彼はこの時点で予想していたのだろうか?
 ダーレスに噛みつくような真似をしたウィルソンだが、実はダーレスの代表作Walden West を当時すでに読んでおり、彼に一目置いていたのだという。つまりウィルソンは早い時期からダーレスのことを尊敬しており、一方ダーレスも度量の大きいところを見せていたわけである。ラヴクラフトよりもダーレスのほうが偉大なのではないかとウィルソンが後に述懐したのは、このようなダーレスの態度によるところが大きいのだろう。もっともダーレスは『賢者の石』に対しては辛辣で、「ほとんど耐えがたいほど退屈な本」と評している。
 なお「普通はいつも」の件だが、ダーレスが実際に書いたのは「彼は普段はほとんど幽霊のように青ざめていた」(He was usually almost spectrally pale.)であり、ウィルソンは引用を間違えているとS.T.ヨシが指摘している。ダーレス批判の急先鋒とされるヨシだが、たまにはダーレスの名誉回復に一役買うこともあるようだ。

夢見る力―文学と想像力 (コリン・ウィルソン著作集)

夢見る力―文学と想像力 (コリン・ウィルソン著作集)