新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

落ち着きのない水死体

 ラヴクラフトがドナルド=ワンドレイに宛てて書いた1936年12月20日付の手紙より。

近ごろ君の作品が雑誌に載っているとのこと、興味深く思います。"Uneasy Lie the Drowned"に眼を光らせておくことにいたしましょう。いかにも期待できそうな題名ですね! "Black Fog"も魅力的な響きです。ですが何にも増して私が聞きたいと熱望しているのは、君の戯曲が完成したという報せです。この分野に手を染めてみるつもりだと君が話してくれたのはずいぶん前のことですが、とうとう成就しつつあるところを拝めるとは重畳ですよ。疑いようもなく戯曲は偉大な表現分野です――とりわけ人間の性格や心理を描写するときには――そして小説を書くときよりもさらに幅広く高品位であることが求められます。私がこれまで一度も戯曲を書こうとしていないのは、現象や情景ではなく人間の行状を扱おうとしたことがめったにないからです。演劇という形態では怪奇幻想ですら題材として見事に利用できるということは、いみじくもダンセイニの戯曲が証明しているとおりです――「山の神々」や「旅宿の一夜」といった作品ですよ。いつかは君の作品を観劇できますように。ありとあらゆる形態の作品を君は書いたことになりますね――でも台本を完成させた後は叙事詩歴史小説・旅行書・評論・意識の流れ小説・科学解説書などに挑戦してもよいのですよ。あるいは写象主義の詩作とか、ガートルード=スタイン流の言語反復はいかがですか? 絶望するには及びません――文学とは幅広いものなのですから!

 "Uneasy Lie the Drowned"の初出はウィアードテイルズの1937年12月号で、フェドガン&ブレマーから刊行されたDon't Dreamに収録されている。短い作品で、主人公はモース=カルキンズという男。彼がカナダの湖をカヌーで横断していると、水底から浮かんできた水死体が舷にしがみつきながら話しかけてきた。少なくとも数カ月は水に漬かっていたらしく、ぶよぶよになっている。
「まあ話を聞いてくれよお」オールでぶん殴られながら、そいつはいった。「僕はピート=ラロイ。溺れ死ななければ君の友達になっていたはずなんだ」
「消え失せろ! 地獄に戻れ!」
「戻るけどさあ、すべきことがまだ済んでないんだよ」
 ピート=ラロイと名乗る水死体にいわせると、彼とモースは親しくなるものの仲違いするはずだったそうだ。それでも本心を隠しながら友達付き合いを続けていたのだが、一緒にカナダへ旅行したときピートがモースを湖に突き落として殺害する予定だったという。
「ここで溺れ死ぬのは僕ではなく君のはずだったんだ。そういうわけで、君を殺しに来たんだよお」
 激しい雷雨が降りはじめ、カヌーは転覆してしまう。波に飲みこまれながら、モースはまだ水死体と争い続けていた……。見ず知らずの土左衛門が現れて「あったかもしれない未来」を語るという悪夢のような話だ。
 ラヴクラフトの手紙で言及されているワンドレイの戯曲は"Love to Murder"という題名のミステリだが、今日に至るまで出版されたことはない模様だ。3カ月の間、ワンドレイはラヴクラフトへの返事も出さないで執筆に集中し、1937年3月17日付の手紙で意気揚々と脱稿を報告している。

どんなに甘く評価したところで、人生の解釈や演劇界に対する貢献と呼べるような作品ではありません。でも僕は満足しています。最後まで書き上げることができたし、将来の発展につながるコツがつかめたという実感があるだけで嬉しいのです。
(中略)
冬の間はどうしておられましたか? ベルナップのところへ遊びに行かれたのでしょうか、それとも南方で冒険をなさっていたのでしょうか? 何か新作をお書きになったか、あるいは執筆中でしょうか?

 だが、この手紙をラヴクラフトが読むことはなかった。彼は3月15日に世を去っていたからだ。ワンドレイがいつラヴクラフトの死を知ったのかは定かではないが、彼の弟であるハワード=ワンドレイからダーレスが連絡を受けたのが3月18日なので、その頃までには訃報が届いていたと見るべきだろう。