新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

作家が作家を語る

 ラヴクラフトと愉快な仲間たちの文通で怪奇幻想作家がどれだけ言及されているか数えてみた。英国怪奇三傑にエドガー=アラン=ポオとダンセイニ卿を加えた5人を対象とし、ラヴクラフトの文通相手として特に重要な5人について言及回数を調べることにする。使用したのは以下の書簡集だ。

  • Essential Solitude
  • Dawnward Spire, Lonely Hill
  • A Means to Freedom
  • O Fortunate Floridian
  • H. P. Lovecraft: Letters to James F. Morton

 結果は下の表のとおり。名前が太字になっているダーレス・スミス・ハワードの3人については往復書簡集を参照したので、ラヴクラフトではなく相手の側が話題にした回数も含まれていることに御留意いただきたい。

ブラックウッド マッケン ジェイムズ ダンセイニ ポオ
ダーレス 64 57 43 38 35
スミス 20 40 28 48 44
ハワード 4 14 4 7 18
バーロウ 8 14 4 23 18
モートン 3 6 1 6 14

 どの文通相手を見てもアーサー=マッケンへの言及は最多ではないが、平均をとると彼が一番手になる。三傑の筆頭格とされるアルジャーノン=ブラックウッドは意外と少ない。ただし、すべての言及が称賛でないことは言を俟たず、たとえばダンセイニの場合は「作風が変わってしまった」という嘆き節がそこそこ混じっている。またM.R.ジェイムズは高く評価されながらも「ブラックウッドやマッケンには劣る」という但書がつくのが常だ。
 ブラックウッドへの言及が意外に少ないと申し上げたが、その理由はひとつではないだろう。ハワードとのやりとりでほとんど言及されていないのは彼が読んでいなかったからだろうが、それだけではラヴクラフトにブラックウッドの作品を薦めたモートンの説明がつかない。ただ目新しい話題が乏しかったのは確かなようで、ラヴクラフトは1934年2月14日付のダーレス宛書簡で「最近ブラックウッドは仕事しているんでしょうか」などと訝っている。1934年といえばブラックウッドはもう65歳だが、その頃になっても仕事自体はしていた。ただしラジオの仕事なので、ラヴクラフトの眼にはとまらなかっただろう。一方マッケンのことはダーレスが1932年8月6日付のクラーク=アシュトン=スミス宛書簡でこんなふうに話題にしている。

昨日マッケンの「輝く金字塔」を手に入れました。それで思い出したのですが、今年マッケンはその作品が評価されて年金受給者のリストに名前が載り、毎年500ドル*1をもらえるようになったという朗報があります。

「マッケンの年金受給とはすばらしい報せです。たまには英国政府もまともなことをするときがあるようですね。残念ながら米国政府には全然ありませんが」とスミスは8月11日に返信している。マッケンが貧しかったのは有名な話だが、自分の懐具合を海の向こうで心配されていると知ったら苦笑いするのではないか。
 この表から何かを軽々しく断定することは避けるべきだろうが、ひとつだけ明白な事実がある。ダーレスとの文通ではブラックウッドが話題になる頻度が明らかに高い。これはブラックウッドに対するダーレスの思い入れの深さを裏付けるものだろう。そのことが確認できただけでも調べた甲斐があったと私は思っている。

*1:年金は当然ポンドで支払われるはずだが、ダーレスはドル記号を使っている。あるいは換算した値か。