新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

アヌビスとの対話

 LORE: A Quaint and Curious Volume of Selected Storiesの収録作からもうひとつだけ紹介させていただく。ハーラン=エリスンの"Chatting with Anubis"という作品だ。1995年度のブラム=ストーカー賞を短編部門で獲得しているが、邦訳はない。
 アフリカの北部で大地震があり、サハラ砂漠に巨大な地割れが生じて地下の遺跡が明らかになった。ゴビ砂漠トリケラトプスの化石を発掘していた王自裁は急遽アフリカへ飛び、その遺跡を発掘するための国際合同チームに参加する。なお王自裁という漢字は私が適当に当てたものではなく、エリスン自身が作中でちゃんと説明している。何も考えずに中国人の名前をでっち上げていたロバート=E=ハワード*1はえらい違いだが、これはハワードとエリスンの差というよりは1930年代と90年代の作品の差なのだろう。
 その遺跡はアモンの神殿であるとも、かつてアレクサンドロス大王が訪れた「予言者の谷」であるともいわれていた。本格的な調査が始まる前夜、王は同僚のエイミー=ギターマンと密かに語らい、地下800メートルの遺跡に二人きりで降りていった。そこには広大な部屋があり、王や神々の巨像が建ち並んでいる。突如として眩い光が部屋を満たし、その光の中から咆吼とともに現れたのはアヌビス神だった。
 死を覚悟したギターマンと王だったが、アヌビスは二人を殺さなかった。征服王が舞い戻ってきたのかと思ったという冥神。自分はアレクサンドロス大王ではないと王自裁がいうと、アヌビスは笑った。もちろん違うであろうな、なぜなら余が大いなる秘密を彼に明かしたのだから。どうして彼が戻ってこようか? その軍勢を全速で後退させたきり二度と戻ってこないに決まっているではないか?
 大いなる秘密を教えてほしいと願う王。自分が誰の墓所を守っているのかとをアヌビスは二人に語り、霧の中に消えていった。ギターマンと王は互いに手を貸しながら地上に戻る。夜が明けたが、いまから調査しても地底は空っぽだろう。
 予言者の谷から帰った後しばらくしてアレクサンドロス大王は謎の死を遂げたという。自分たちも同じ運命に見舞われることを予感しつつ、王は殷代の文字で真相を書き記して地中に埋め、後世の人間に対する警告とした。
 神々が死ぬとき、それは人間の信仰を失ったときだとアヌビスは告げたのだ。オシリスやイシスやホルスから人間の眼を背けさせ、彼らに死をもたらした人間がこの墳墓にいる。アヌビスはお喋りな神であり、秘密を守ることは彼の本分ではない。彼の本分は復讐。エジプトの神々を殺した人物を天国にも地獄にも行かせず、ずっと地底の墓所に留めておくという復讐だ。紅海を割り、十戒の刻まれた石板をシナイ山頂から持ち帰った彼を……。
 というわけで、アヌビスの守護する墓に葬られていたのは実はモーセだった。わけがわからないが、身震いしたくなるような迫力に満ちた作品だ。私は"The Challenge from Below"*2が目当てでLORE: A Quaint and Curious Volume of Selected Storiesを買ったのだが、この"Chatting with Anubis"だけでも十分に元が取れたという気がする。だが同書はいまでは絶版なので、エリスンの作品集で読むほうがいいだろう。