新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

災厄の歯

 ロバート=E=ハワードに"The Tomb's Secret"という短編があり、ウィキソースで無償公開されている。
en.wikisource.org
 スティーヴ=ハリソンが主役の作品で、"Teeth of Doom"という題名でも知られる。初出はストレンジディテクティブ=ストーリーズの1934年2月号だが、この号には"Fangs of Gold"*1も掲載されていた。ハワードの作品が重複することを嫌った編集部の判断により、彼はパトリック=アーヴィンという筆名を使わなければならなかったという。また主役の名前もブロック=ロリンズと改められたのだが、この記事では本来のハリソンに戻そう。
 億万長者のジェイムズ=ウィロビーが何者かに襲撃され、すんでの所で難を逃れる場面から物語は始まる。ハリソン(もしくはロリンズ)は情報屋のジョーイ=グリックに会い、誰がウィロビーの命を狙っているのか心当たりはないかと訊ねようとした。ところがグリック自身が付け狙われているらしく、ひどく怯えている。グリックが受け取った脅迫状には、「エルリクの息子たち」というモンゴル系秘密結社の紋章が描かれていた。その結社の米国支部長はヤーグーズ=バロラスという男だ。彼は有閑婦人に対する恐喝の常習犯だったが、今回はもっと大きなことを企んでいるらしかった。
 1週間前に交通事故で死んだリチャード=リンチという男の話をグリックは始めた。何者かが死体安置所に侵入してリンチの遺体を損壊したことはハリソンも知っていたが、彼はヤーグーズの手下に殺されたのだとグリックは語る。ヤーグーズは何らかの理由でリンチの死体を欲しがっているのだ。同じようにジョブ=ホプキンズの死体も盗むつもりだ──といいながらグリックは紙巻煙草を吸ったが、その途端に絶命してしまった。煙草に猛毒がしこんであったのだ。
 ハリソンはタクシーを呼び止めてウィロビーの屋敷に向かった。タクシーの運転手の正体はヤーグーズの手下だったが、ハリソンは機先を制して拳銃を突きつけ、死にものぐるいで刃向かってきたそいつを難なく叩きのめして手錠をかけた。
 ウィロビーの屋敷に着くと、見張りの私服刑事が頭を殴られて気絶していた。ヤーグーズの手下が屋敷の中に侵入したようだとハリソンはフーリハン部長刑事にいう。屋敷の二階で殺し屋を発見したハリソンは彼の顎に鉄拳を叩きこんで仕留めた。
 ジョブ=ホプキンズは心臓発作で亡くなり、墓地に埋葬されている。ハリソンが夜の墓地に乗りこんでいくと、ヤーグーズの手下どもがホプキンズの遺体を盗もうとしている最中だった。ハリソンが憤激しながら姿を現すと、墓場荒らしの連中は蜘蛛の子を散らすように逃げてしまう。後にはホプキンズの亡骸だけが取り残されたが、その下顎は切り取られていた。
 ヤーグーズの手下は全員が逃げおおせたわけではなく、一人が地面に転がっていた。短刀で背中を刺され、すでに事切れている。
 ヤーグーズはジョブ=ホプキンズの歯に用があるようだとハリソンは気づいた。死体安置所に侵入した賊もリチャード=リンチの歯を持ち去っていたのだ。ハリソンがウィロビーを問いただすと、彼は20年前の話を始めた。当時、彼とホプキンズとリンチは中国で軍閥の領袖のために毒ガスを開発していた。毒ガスは完成したが、彼らを雇った将軍は粛清されてしまった。
 ウィロビーたちは帰国することにし、毒ガスの化学式を羊皮紙に暗号でしたためて古い寺院に隠した。ただし、もっとも重要な記号が三つ抜かしてある。ウィロビー・ホプキンズ・リンチはその記号を3本の金歯にひとつずつ刻み、一人が1本ずつ金歯を本物の歯と取り替えて持つことにした。金歯を入れるのを引き受けてくれたのは中国人の歯抜き屋だ。彼はリンチに命を救われたことがあり、そのことに恩を感じているので、決して秘密を漏らしたりはしないはずだった。
 毒ガスの製造を可能にする3本の金歯をヤーグーズが揃えようとしているのは火を見るより明らかだ。そのとき、電話がかかってきた。レヴァント通りにある阿片窟〈夢の館〉に行ってヤーグーズと話し合えばウィロビーの命を救えると電話の主はハリソンに告げた。ハリソンはフーリハン部長刑事の制止を振り切り、レヴァント通りに出かけていく。
 ハリソンが〈夢の館〉に着くとヤーグーズは確かに待っていたが、会談を持ちかけたのはハリソンの側だと言い張る。ヤーグーズに金歯の収集を命じたのは中国の軍閥の領袖だった。盗賊から将軍に成り上がり、国民党政府を転覆しようと企てている男だ。ちなみに彼の名前はヤー=ライという。漢字ではどう表記するのか見当がつかないが、パルプ雑誌の読者には充分に中国人の名前っぽく見えたのだろう。
 ヤー将軍の祖父は、ウィロビーたちが20年前に仕事を頼んだ歯抜き屋だった。彼は約束を守ったのだが、歳をとって耄碌した後は昔のことをのべつ幕なしに喋り続け、孫に金歯の秘密を聞かれてしまったのだ。
 せっかくホプキンズの墓を暴いたのに金歯を横取りされてしまったとヤーグーズは語り、おまえの仕業だろうとハリソンにいった。ハリソンは否定し、ヤーグーズの手下の背中に刺さっていた短刀を取り出して見せた。ヤーグーズは血相を変えて部屋から出ようとするが、背の高い中国人が現れて彼を殺害し、ハリソンに向かって慇懃に一礼した。彼は北京から派遣されてきた工作員で、ホプキンズの金歯を奪ったのも彼ならば、ハリソンとヤーグーズが阿片窟で対面するように仕組んだのも彼だった。
「我々の指導者は平和を望んでおりますのでね」と彼はいった。「御覧になったとおり、これで毒ガスの危機は去りました。私は任務を完了しましたので、国に帰らせていただきましょう」
「待て!」とハリソンは叫んだ。「おまえを殺人の現行犯で逮捕する」
「申し訳ありませんが、私は急いでいるのです」
 途端に部屋の明かりが消えた。再び部屋が明るくなったとき、背の高い中国人の姿はもう影も形もなかった。狐につままれたような表情のハリソンの前に転がっているのは、奇妙な記号が刻まれた金歯だ。北京から来た男の置土産だった。
 国民党と共産党のどちらが凄腕の工作員を送りこんできたのかは不明だが、この事件は彼が一人で解決したようなもので、ハリソンは右往左往しているだけという印象を受ける。なおハワードは中国人にいくらか肩入れしており、中国が列強の支配から独立するという望みをラヴクラフト宛の手紙で語っている。*2