地底からの挑戦
C.L.ムーアがラヴクラフトに宛てて書いた1935年10月8日付の手紙から。
ファンタジー誌の企画のリレー小説ですが、なんという混乱でしょう。先生の御負担が軽いものであればいいのですが。序章はなるべく奇怪かつ独創的にしてほしいとシュワルツ氏からは頼まれたのですが、私が実際に書いたものはさほど奇怪でも独創的でもありません。少なくとも話の進行につれて改善する余地はたっぷりありました。正直なところ、顕著に新奇なものを考えつけたとしても無料で提供する気はありません。何にせよ、あんなに貧弱な出だしを他の方々がどう処理してくれるか見物するのは興をそそられることでしょう。
ムーアが話題にしているのは「彼方からの挑戦」だ。ジュリアス=シュワルツが編集していたFantasy Magazineの1935年9月号に掲載された全5章のリレー小説で、第1章をムーアが、第3章をラヴクラフトが担当した。邦訳は『新編 真ク・リトル・リトル神話大系』の2巻に収録されているものが手に入りやすいだろう。
自嘲と居直りが混ざったようなことをムーアはいっているが、実際これは怪作と見なされがちだ。そんな「彼方からの挑戦」を範とする企画が1990年代に持ち上がったことがある。その名も"The Challenge from Below"といって、Loreという季刊誌の3号から6号にかけて連載された。章は全部で四つ、それぞれ下記の作家が担当している。- ロバート=プライス
- ピーター=キャノン
- ドナルド=R=バールスン
- ブライアン=マクノートン
マクノートン以外は作家というより研究者として有名な人ばかりで、早くも不安な気分になる。とにかく粗筋を紹介させていただこう。
第1章
誰かが不思議な手記を読んでいる場面から物語は始まる。師匠である「灰色の鷲」が行方不明になったと聞いた語り手はオクラホマへ赴き、地底世界クン=ヤンに足を踏み入れた。そこで「灰色の鷲」と再開した語り手が知ったのは、自分の師が実はクン=ヤン人に征服されたヨス人の最後の生き残りであるということだった。
クン=ヤン人の祈りのせいでクトゥルーが覚醒しそうになっていることに気づいた自分は地底からニョグタを招喚し、クン=ヤンの文明を破壊したと「灰色の鷲」は語る。しかし結局クトゥルーの復活は不可避だった。
ニョグタが降臨したときクン=ヤン人は精神転移によって遙かな未来に逃亡し、その時代に栄えている甲虫の身体に宿ったというのだが、どうもイースの大いなる種族の設定と意図的に混同しているようだ。君も逃げるべきだと勧められた語り手は書き置きを残し、「灰色の鷲」から教わった精神転移の術で未来に旅立った。
手記を読んでいたのが実は未来世界の甲虫であることがここで明らかになる。彼の名はズカフカといって、かつて自分が二足歩行する類人猿だったという奇怪な夢に悩まされていた。だが、いまやズカフカは理解した。それは夢などではなく記憶であるということを……。主人公は遙かな未来で甲虫となり、自分が人間であったことを忘れていたのだ。
第2章
クン=ヤン人は甲虫の体を乗っ取ったものの、その居心地の良さに己の由来すら忘れ去り、文明の水準が甲虫と同程度まで低下していた。甲虫たちの教義は創造論であり、他種族の文明が以前に存在したという思想は弾圧されている。前章で手記を読んでいた甲虫ズカフカも思想警察に逮捕され、異端審問にかけられることになった。
有罪を宣告されて処刑されることになったズカフカを、クズウェイグという甲虫が助けてくれた。クズウェイグの正体は「灰色の鷲」で、未来に逃げるという自分の方針は間違っていたらしいと語る。やはりクトゥルーの復活は阻止すべきだったのだといわれたズカフカはクズウェイグに連れられて20世紀に戻ったが、2人とも甲虫の姿のままだった。
第3章
未来から帰ってきたズカフカとクズウェイグが現れたのは英国のセヴァーン渓谷だった。ケム=ベイ=ラムセスというホラー作家が登場するが、モデルはたぶんラムジー=キャンベルだろう。ラムセスはブリチェスター大学図書館で『グラーキの黙示録』を閲覧するが、そこにはズカフカの話も書いてあるということになっている。
湖の畔でグラーキを招喚するラムセス。ズカフカとクズウェイグはとりあえずラムセスの体を借りることにするが、グラーキ降臨の混乱によって3人の精神が混ざってしまった。しかも腹の部分にはグラーキが取り憑いているという有様だ。
第4章
甲虫ズカフカになった主人公が元々はカーミット=アーミティッジ教授という名前であったことが終章でようやく判明する。前章の終わりでぐちゃぐちゃな状態になったアーミティッジは精神病院に収容されたが、そこで彼の面倒を見るのはジェフ=コムズという看護師。これまたモデルが歴然としている。
アーミティッジの著作の愛読者であるコムズは自前で秘薬を調合し、彼のところに持っていく。秘薬を受け取って飲んだアーミティッジは再び時間を遡り、20世紀初頭のプロヴィデンスに住んでいる売れない怪奇作家の体に宿った。つまりラヴクラフトの小説は、彼に取り憑いていたアーミティッジの影響を受けたものだったのだ……。
何といったらいいのか、クトゥルー神話の新解釈としてもバカ話としても中途半端な印象を受ける。これに比べたら「彼方からの挑戦」のほうがおもしろいような気がするのだが、やはり最大の違いはロバート=E=ハワードの存在だろう。彼が担当した第4章は宇宙的恐怖も蛮勇でぶっ飛ばせば何とかなると言わんばかりの内容だが、ああいう展開にしたのは決して間違いではなかったのだと今では思える。
なおLoreに掲載された作品から選りすぐったLORE: A Quaint and Curious Volume of Selected Storiesというアンソロジーがあり、"The Challenge from Below"も収録されている。プライスとマクノートンが書いた分はそれぞれの作品集に再録されているのだが、1章から4章まで通して読めるのはこの本しかないはずだ。
Lore: A Quaint and Curious Volume of Selected Stories
- 発売日: 2011/11/04
- メディア: ペーパーバック