新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

人蛇の怪

 ウィアードテイルズの1925年9月号にはフランク=ベルナップ=ロングの"The Were-Snake"が掲載されている。ロングの初期作品のひとつで、後述するようにクトゥルー神話との接点が少しだけあるのだが、私の知る限り邦訳はまだない。
 主人公はアジアの某所でイシュタル神殿の遺跡を訪れているところだ。同行しているビアズリー嬢に女神イシュタルの来歴を語って聞かせる主人公。イシュタルは美しく残酷な女神で、彼女に魅了された者はその愛を乞うて命すら差し出すのだ。
 現地人の案内人が口を挟み、西洋に対する東洋の精神的優越を説く。彼によると、かつて西洋にも偉大な賢人がいた。その名をジョン=ディーといったが、ディーではなくニュートンの道を選んだことで西洋文明は物質偏重に陥ってしまったのだそうだ。このくだりは何かの伏線なのかと思いきや、そんなことはなかった。
 万が一の時のためにナイフを用意しておくべきだと案内人は助言する。拳銃があるのだから十分だろうと主人公は考えたが、この遺跡にいるものには銃弾は通用しないのだそうだ。ビアズリー嬢も案内人の言葉に賛成した。
 夜になり、主人公は遺跡に泊まることにする。果たせるかな、暗闇に緑色の双眸が現れた。おそらくイシュタルの化身なのだろうが、主人公が発砲しても効果がなく、ビアズリー嬢が連れ去られてしまう。怪物がナメクジのように残していった粘液の跡を主人公はたどり、追い詰めて対峙する。姿を現した怪物の頭部は鱗に覆われた犬のようで、爬虫類めいた長い舌を口から突き出していた。
 主人公は勇気を奮い起こし、鋭く尖った大きな石を拾って怪物の頭に一撃を食らわす。怪物は黒い血を噴き出して倒れた。明くる日の正午に案内人がやってきて、頭部のない女性の死体が遺跡で発見されたと告げる。生贄を捧げるのに使われていた石の祭壇は血まみれになっており、その上にはコブラの頭が転がっていたという。主人公がイシュタルを殺したという噂が早くも村で流れていたが、人蛇の化物から皆を解放してくれた彼に人々は感謝していると案内人はいうのだった。
 銃弾ではなく刃こそが魔を討てるという東洋の叡智と、ビアズリー嬢の曇りなき愛が合わさってイシュタルの恐るべき力に打ち勝ったという話だと思うのだが、どうにも雑な印象が否めない。ロングが24歳の時に発表された作品*1だが、ダーレスが24歳の時の代表作が「風に乗りて歩むもの」であることを考えれば差は歴然としている。しかしロングに対して否定的なことばかり言うと、私の脳内HPLが「ブラックウッドだって傑作ばかりじゃないんですよ! 最低の駄作ではなく最高の傑作によって評価すべきです」とアイスクリームを頬張りながら説教をはじめるのだった。
 この作品には「狂気のアラブ人アルハザードが、屠った駱駝の腹で飼っていた墳墓の蛆虫」への言及があるが、いったい何の話をしているのか私にはわからない。検索してみたら、ラヴクラフトの「祝祭」を踏まえた記述ではないかという説が見つかった。*2何にせよ「喰らうものども」に先駆けること3年、これがロング初の神話作品だったといっていいかもしれない。『ネクロノミコン』英語版の訳者とされるディー博士の名前も出てくるが、この時点ではまだ両者は関連づけられていない。
 ウィキソースによると"The Were-Snake"は米国内では2021年まで著作権で保護されているそうだ。*3待っていれば公開されるかもしれないが、今すぐ読みたければワイルドサイド=プレスのお徳用作品集が手軽ではないかと思う。

 イシュタルの名前はロバート=E=ハワードも"Marchers of Valhalla"で使っており、こちらでは普通に美少女として登場する。ジェイムズ=アリソンの話なので、クトゥルー神話大系に含めてしまっていいだろう。*4

*1:ロングは1901年4月27日生まれ。本人は1903年生まれと申告していたが、実はサバを読んでいたことが判明している。

*2:Ten Things You Won’t Find in the Necronomicon: Frank Belknap Long’s “The Space-Eaters” | Tor.com

*3:Frank Belknap Long - Wikisource, the free online library

*4:ヴァルハラの進撃者たち - 新・凡々ブログ