新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

ヴァルハラの進撃者たち

 ロバート=E=ハワードに"Marchers of Valhalla"という短編がある。読もうと思ったら、The Black Stranger and Other American Tales に収録されているものが入手しやすいだろう。余談だが、この作品集はマイク=ミニョーラの手になる表紙絵がかっこいい。
 時は現代、ジェイムズ=アリソンという男が義足を引きずりながらテキサスの荒野を歩いているところから"Marchers of Valhalla"は始まる。若い娘が彼の前に現れ、不思議な話をした。かつてグレートプレーンズはメキシコ湾まで続いていたが、大洪水が大地を削ったために現在のような地形になったというのだ。
「さあ、見えるでしょう!」
 娘がそう叫ぶと、アリソンの脳裏に前世の記憶が甦った。彼はアース族の戦士ヒアルマー。アスグリムに付き従い、今日でいう北米大陸に渡った男たちの一人だ。長い行軍の末、彼らは壮麗な都市を発見した。同時に都市の住民も彼らに気づく。城壁の上で槍が煌めき、戦鼓の音が聞こえてきた。
「それでは戦争だ」
 武装しながらケルカがいった。彼はピクト人なのだが、戦いを求めてヒアルマーたちと行動を共にしている。この物語にピクト人が出てくる必然性はないはずなのだが、それでも出さずにはいられないあたりがハワードらしい。
 アスグリムに率いられる戦士は500人、対する敵は1500人もいるが、ヒアルマーたちの勇猛さの前に蹴散らされてしまう。そのまま攻城戦に移行するかと思われたとき、都市の側から和睦の申し入れがあった。
 その都市はケムという名だった。住民はレムリア人の末裔を称しており、女神イシュタルを崇拝している。イシュタルの大神官にしてケムの首長であるアッケバの言葉を、アルナというアーリア人の娘が通訳した。ケムは強大な外敵の侵攻に脅かされており、都市を防衛するためにヒアルマーたちを傭兵として迎え入れたいというのがアッケバの提案だった。人質を取ることを条件にアスグリムは承諾するが、ケム市内に提供された住居には入ろうとせず、城壁の外側でテントを張る。
 しばらくは平和な日々が続いた。退屈したヒアルマーたちは市内で傍若無人に振る舞うこともあり、ケルカに至っては諍いを起こして市民を殺害したほどだったが、ケムの人々が報復しようとする気配はなかったため、彼らは次第に気を許していった。ヒアルマーはアルナに心を惹かれるが、彼女はイシュタルの巫女ではなく婢女だった。ケムではアーリア人が奴隷として差別されているのだということを知って、ヒアルマーは怒りを覚える。
 ある日、ついに敵が攻めてきた。敵は体に彩色を施した人々で、その数は3000を上回る。元々ケムとは交易することもある平和的な関係だったのだが、新しい王が彼らの部族を束ねてからは敵対するようになったという。その王は赤毛で、冷たい狂気を宿した青い双眸の持ち主だった。こう書くと、カール=エドワード=ワグナーの創造したアンチヒーロー・ケインみたいだが、もちろん無関係である。彼はヒアルマーと同じアーリア人、ただしヴァン族の出身だった。どういう成り行きで北米大陸まで流れてきたのか、たぶん動機はヒアルマーたちと似たようなものなのだろう。
 アスグリムに率いられて戦士たちは出撃した。多勢に無勢ではあったが、ヒアルマーは敵の王と一騎打ちを行い、死闘の末に彼を討ち取る。王を失った敵は敗走し、戦いはケムの勝利に終わった。戦いで斃れた朋友をヒアルマーたちは葬り、さらに同じ敬意をもって敵の王を弔った。
 凱旋した戦士たちをねぎらうために盛大な宴が催されるが、ヒアルマーだけは参加せず、アルナのもとへ駆けつけようとする。しかしアルナは戦勝を祝してイシュタルへの生贄にされることになっていた。ヒアルマーは儀式の場へ乱入して神官どもを皆殺しにするが、アルナはもう出血多量のために助からなかった。息絶えたアルナの唇にヒアルマーは口づけし、それが彼の荒々しい生涯で唯一の優しい行為となった。
 ヒアルマーは神殿の階を上っていく。アルナの命を奪ったイシュタルとは何者なのか見極めてやろうというのだ。もしも実在するのであれば、神といえども容赦はしない。最上階で彼が見たのは金髪の美少女だった。自分こそがイシュタルであるといい、殺してほしいとヒアルマーに懇願する少女。ヒアルマーは彼女にいう。
「俺が討ちに来たのは女神だ。小娘など殺しはせん。なぜ、ここにいるのだ?」
 世にも奇妙な物語をイシュタルは語って聞かせる。彼女はレムリアの王女だったが、海神ポセイドンの花嫁として永遠の命を授かった。ポセイドンがアトランティスとレムリアに飽きたとき、高度な文明を誇った大陸は一夜にして海中に没したが、ポセイドンの愛を受けたイシュタルだけは死ななかった。そのポセイドンには触手が生えていたりしませんかと質問したくなるところだが、余計な詮索はしないほうが身のためだろう。
 イシュタルは波間を漂い、ケムの地まで辿りついた。ケムで彼女は女神として遇されることになるが、都市を支配する神官どもが実際に崇めているのは「外なる深淵」の魔神だった。自分は神官どもに苦しめられながら1000年以上も幽閉され続けていたとイシュタルが語ったとき、彼方から叫び声が聞こえてきた。
「裏切りです!」とイシュタルは叫んだ。「敵が片付いたので、用済みになったあなた方も始末しようというのでしょう!」
 ヒアルマーは大急ぎで宴の場に引き返す。同胞たちは毒を盛られ、だまし討ちで命を奪われていた。唯一ケルカだけが戦っている。ヒアルマーはケルカに加勢して剣を振るいながら、大神官アッケバを追いかけた。彼だけは生かしておけない。
 階段を上って逃げるアッケバ、追いすがるヒアルマー。その後ろから衛兵が押し寄せてくるが、ケルカが食い止める。こういう場面では「ここは俺に任せて先へ行け!」がお約束のセリフだろうが、ケルカはまったくの無言で楯の役目を引き受ける。最強の戦闘民族ピクトにふさわしく、逆にかっこいい。彼は衛兵を一人残らず道連れにして、壮絶な最期を遂げた。
 とうとう宮殿の屋上まで辿りついたヒアルマーが見たのは、全裸で立ちはだかる美少女の姿だった。イシュタルが知っている唯一の魔法――ポセイドン招喚の呪法を使おうとしているのだ。滄溟が猛り狂いながら押し寄せてくる中、ヒアルマーはアッケバを素手で引き裂いて恨みを晴らす。そして一切を海が呑みこんだ。
 前世の夢から覚めたアリソンの前には相変わらず例の娘がいた。彼女がイシュタルに他ならないことをアリソンは悟る。イシュタルは現代まで生き続けていたが、ケムでの悲惨な体験を教訓として二度と奴隷の身分には甘んじず、世界各地で支配者として君臨するようになった。メソポタミア神話のイシュタルとは彼女のことだったのだ。
「私はヒアルマーだったのか」呆然とアリソンは呟いた。「遙かな地と戦いの栄光を知る男だったのか――」
「もうじき、再び知ることになるでしょう」とイシュタルは優しく告げた。「いまの肉体を脱ぎ捨て、ヒアルマーのように輝かしい新たな肉体をまとうときには!」
 そういうとイシュタルはいずこへともなく去り、後には独り丘の上に座すアリソンが取り残された。日も暮れて、荒野を吹き抜ける風が木々の枝を揺らすばかりだ……。ハワードの死後ずっと埋もれたままになっており、1972年にようやく発表された作品である。
 ジェイムズ=アリソンの前世での冒険を描いたハワードの作品としては他に「妖蛆の谷」と「恐怖の庭」があり、これらはいずれも邦訳されている。また断章もいくつか残っており、そのうちの一つ"Genseric's Fifth-Born Son"はマイケル=ムアコックらによるリレー小説Ghor, Kin-Slayer の基となった。*1「妖蛆の谷」によるとアリソンは前世の記憶をすべて持っているそうだが、おそらくイシュタルとの出会いが覚醒のきっかけになったのだろう。