新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

深きものの日

 ピーター=キャノンの書くクトゥルー神話作品は楽屋落ちがすごいのだが、"It Was the Day of the Deep One"も御多分に漏れない。
 94歳で亡くなった大おじの遺品を主人公が整理していると、緑色の日記帳が見つかった。イヴァニッキ神父から大おじの手に渡ったものらしい。この導入部が「クトゥルーの呼び声」のパロディであることは一目瞭然だが、イヴァニッキ神父が出てくるのは「インスマスを覆う影」の初稿を踏まえたものだろう。
 緑色の日記はバブコックという人物が1924年から27年にかけて書いたもので、彼はインスマスに住むダゴン密教団の助祭だった。旧神と旧支配者が相争うという二元論が当時のインスマスでは主流だったが、バブコックはこれに異議を唱えて分派を立ち上げた。協議を巡って紛糾する最中に一斉検挙があり、バブコックの日記はそこで途切れていた。おそらく彼も逮捕されてしまったのだろう。
 主人公は作家フレッド=カーステアズの熱心な信奉者だった。カーステアズというのは「ティンダロスの猟犬」の語り手にキャノンがつけた名前だ。カーステアズの「深きものの日」という小説を主人公は発見するが、その内容はバブコックの日記に酷似していた。カーステアズが日記を基に小説を書いたのか、それともイヴァニッキ神父が小説を基に日記をでっち上げたのか?
 100歳という高齢にもかかわらず、カーステアズはまだ存命だった。主人公がカーステアズに「深きものの日」のことを問い合わせたところ、彼からコレクトコールで電話がかかってくる。あの小説を書いたのは間違いだった、明るみに出したりせず埋もれたままにしておくべきだとカーステアズは震え声で主張した。
 連邦捜査局に逮捕された深きものどもが収容された施設でカーステアズは働いていたことがあった。その時に仕入れた知識が「深きものの日」の元ネタになったのではないかと主人公は推測する。つまりバブコックの日記とカーステアズの小説は別々に書かれたものだったのだ。
 主人公が調べ上げた結果は記事になり、地元紙に掲載された。インスマス人が今なお収容所に入れられていることが知れ渡ると、米国政府に対する非難の声が高まり、世論に押されたクリントン大統領は収容所の閉鎖を決定した。余談だが、ブライアン=マクノートンの"The Doom that Came to Innsmouth"ではインスマス人の釈放は遥かに早く、ルーズヴェルト大統領の命令によるものだったということになっている。
 カーステアズが死んだという報せがあった。奥さんのイダ=カーステアズが主人公に電話をかけてくる。夫が世を去る直前に来客があり、その人物がたまたま「助祭」だったので臨終の儀式をしてくれたというのだ。あなたが持っている日記帳に彼はたいへん興味を示し、すぐ訪ねていくそうだとイダは電話口でまくし立てていた。どうやら緑の日記帳の謎はもうじき解けることになりそうだと主人公は思ったのだった……。
 ずっと収容所に入れられていたバブコックがクリントンのおかげで自由の身になり、深きものどもの秘密を知る人間を始末して回っているという結末。こう書くとサスペンス風味が豊かな作品に聞こえるが、キャノンの筆致はむしろギャグが勝っている。ちなみにバブコックはダニッチに旅行してウェイトリー家に滞在したことがあり、その時ウィルバーとも交流している。
 キャノンは晩年のフランク=ベルナップ=ロングと親交があり、フレッド=カーステアズの描写にはロングの人となりが反映されている。カーステアズがコレクトコールで電話をかけるのは、ロングが貧窮していたことを示すものだろう。またイダ=カーステアズのモデルになったのは、ロングの奥さんだったリダ=ロングである。作中の彼女はあまりにも奇矯な性格をしているので、きっと誇張に違いないと思ったのだが、ロバート=プライスによると本物はさらにすごかったそうだ。