新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

怖れを知らない女の子

 昨日の記事で取り上げたゲイマンの掌編はすばらしい作品だと思うのだが、あまりに暗澹としていることは確かだ。そこで、同じFearie Talesの収録作から今度は明るめの話としてマルクス=ハイツの"Fräulein Fearnot"を紹介したい。なおドイツ語で書かれた小説なのだが、Fearie Talesに収録されているのはシーラ=アラバスターによる英訳だ。
 主人公はアーサという若い女性で、腕利きの技術者だ。ホンブルクの巨大お化け屋敷で仕事をしていたところ二人組の幽霊に襲われたので、手にしたハンマーで思い切り殴りつける。そいつらは実はアーサを怖がらせるために仮装していた同僚で、どうやら強く殴りすぎてしまったようだった。アーサはずらかることにした。
 ヒッチハイクをしながら旅するアーサは、アンジェリカという裕福な女性に拾われる。映画監督だというアンジェリカはアーサを泊めてくれたが、館の中でアーサは11体もの死骸を発見する。彼女は骸を片端から炉に放りこんだが、すると11体目が喋りはじめた。
「いやあ解放されたよ。俺らもヒッチハイカーだったんだけど、あの女に死ぬまで拷問されたんだ。そうやって映画を撮ってるんだぜ」
 アンジェリカが制作しているのはスナッフ映画だったのだ。アーサを撮ろうと器具を揃えたアンジェリカがやってくるが、アーサが張っておいた針金に足を取られて転倒する。アンジェリカの拷問部屋にあった鉤をアーサは彼女の身体に突き刺し、天井からつるした。
「お金ならあげるから許して……」
 涙目で命乞いするアンジェリカ。
「あ、それはどのみち貰っていくから」
 復讐してくれた謝礼として犠牲者の亡霊からナックルダスターを受け取ったアーサは警察に電話し、アンジェリカをつるしっぱなしにしたまま立ち去った。警察の到着が間に合えば、命だけは助かるだろう。
 アーサはヒッチハイクの旅を再開したが、今度は運転手に強姦されそうになる。運転手が口から青い炎を吐いているところを見ると人外なのだろうが、アーサは余裕綽々で顔面を粉砕し、大量に出血している彼に運転を続けさせた。
 兄が料理店を経営しているハンブルクへやってきたアーサだったが、バラバと名乗る男が彼女の前に現れた。イエス=キリストの代わりに赦免されたと聖書に記されている、あのバラバだ。彼のその後は不明なのだが、この作品では悪の限りを尽くしながら現代まで生き続けていたことになっている。
 怖れを知らないアーサを見込んで仕事を頼みたいが、拒めば兄の命はないと脅迫するバラバ。アーサはやむなく引き受け、バテシバという美女が監視役として同行することになる。この娘はアーサに引きずり回されて散々な目に遭うのだが、そのうちに懐くのだった。
 アーサの仕事は三つあり、一つ目のために彼女はライプツィヒの諸国民戦争記念碑を訪れる。ライプツィヒの戦いで斃れた兵士たちを慰霊するために立てられた塔だが、その地下堂で一晩を過ごすというのが最初の仕事だった。夜になると戦没者の声が聞こえてくるが、日が昇るまでアーサは彼らの物語に辛抱強く耳を傾け続けた。翌朝、地下堂から出てきたアーサを見た守衛が驚いた顔をする。
「亡霊はどうなったのかね?」
「話を聞いてあげたら、語り終えると同時に消えていったよ。大勢いたんで、まだ耳がじんじんしてるけどね」
「すると一つ目の関門が突破されたんだなあ」
 守衛の話によると、ファウスト博士がメフィストフェレスと契約したときからライプツィヒには呪いがかけられているのだそうだ。呪いを解くための試練の一つ目が諸国民戦争記念碑の亡霊たちを解放してやることだったのだが、アーサ以前に挑戦したものはことごとく命を落としてしまったという。
 二つ目の試練の場はアウエルバッハの地下酒場。ファウスト伝説が絡んでいるだけあって、ゲーテの戯曲に登場した4人の学生が現れる。テーブルから蛇口を通して出る酒を学生たちはアーサに飲ませようとし、アーサは少々こぼして火傷を負ったりしたものの、すべて飲み干してみせた。へべれけになりながらもやり遂げたアーサに学生たちは襲いかかってくるが、アーサはテーブルを叩き壊す。たちまちワインが洪水となり、亡霊はきりきり舞いをして消えてしまった。
 最後の試練の場となるシュテルムターラー湖にバテシバはアーサを連れていく。かつて地割れが村々を飲みこんで多くの人命が奪われたという禍々しい地だが、いまでは人造湖になっているのだ。湖の直中にある小島で一晩を過ごし、災厄をもたらしている怪物と対決するというのがアーサの試練だった。小島で一人きりになった彼女の前に現れたのは諸国民戦争記念碑の守衛だった。
「最後の試練に成功してはならん」と守衛はいった。「呪いが解除されたらライプツィヒはバラバのものになり、市民は皆殺しにされてしまうんだ。あ、それからバテシバはメフィストの娘だよ。無理やりバラバの下僕にされてるの」
 いったい何者なのか知らないが、やけに物知りだ。思わず脳天気な訳文になってしまったが、実は守衛のおっさんは深手を負っており、すでに息も絶え絶えの有様だった。おっさんは伝えたいことだけ伝えると絶命し、アーサにできたのは「どうしたもんかねえ」と呟くことだけだった。
 果たせるかな怪物が出現し、脅し文句を吐きながらアーサに襲いかかる。だが怪物は近づくにつれて縮んでいき、しまいには小魚ほどの大きさになったのでアーサに踏み潰されてしまった。人間の恐怖心を糧として成長する怪物であり、怖れを知らないアーサの前では力を保てなかったのだ。かくして呪いは解かれた。
 アーサが湖岸に戻ると、バラバが来ていた。勝ち誇った様子だが、聖なるナックルダスターを装着したアーサは問答無用で彼に殴りかかった。
「この街は渡さないよ!」
 ボコボコにされたバラバは一筋の煙になって消えてしまった。不死身の悪党にどうやって立ち向かうのかと思いきや、まさか正面から腕力でごり押しするとは度肝を抜かれる展開だ。あっけにとられているバテシバにアーサは訊ねた。
「私と一緒に来てくれる?」
「はい喜んで!」
 アーサの両手を握るバテシバ。二人は一緒にお化け屋敷を経営し、幸せに暮らしたのでした。めでたしめでたし。
 これの元ネタはわかりやすいだろうと思うが、グリム童話の「こわいことを知りたくて旅にでかけた男の話」*1だ。最後に「怖れを知らないのはすごいけど、それって脳の機能障害だよね」と作者が身も蓋もないコメントをしている。ただしアーサもバテシバとの別離だけは怖いようだ。
 作者はドイツの人。作品で邦訳されたものとしては、2008年にソフトバンククリエイティブから刊行された『怒矮夫風雲録』が唯一あるだけらしい。