新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

月の邦は暗々と

 ヒポカンパス=プレスからはラヴクラフトの書簡集がたくさん刊行されているが、中でもC.L.ムーア宛のは異色だ。往復書簡集になっているのだが、ムーアから送られたものが大半を占めているので、ムーアのラヴクラフト宛書簡集と呼んだほうが実態に近い。
 ダーレスの名前がほとんど出てこない点も特徴的だ。あれほど顔が広かった彼が一度しか言及されず、それもロバート=E=ハワードと比較するため引き合いに出されたに過ぎない。ムーアはロバート=ブロックらと違って一人前の作家だったので、指導者としてのダーレスは不要だったということかもしれない。逆にロバート=バーロウは頻繁に登場し、ムーアとの親密さが窺える。またクラーク=アシュトン=スミスに対しては深い敬意を表している。
 「ラヴクラフト・サークル」の人以外でムーアがよく話題にしているのがダンセイニ卿だ。彼女がどんな話をしていたのか少し訳出してみよう。

 ですが月に話を戻しますと、月面から見た蝕がどれほど壮麗なものなのか想像してみましょうか。大気が虹色の暈となり、黒い地球を取り巻く光景なのでしょうか? そうだったらいいなと思います。いずれにせよ、すてきな話ではあります。この件――月から見た地球を謳ったダンセイニの詩を先生はお読みになったことがありますか? もちろんダンセイニの韻文は散文ほど魔術的ではありませんが、ほとんど同じくらい美しいものを作り出すことも時にはあります。この詩は韻律が不完全なせいで却って魅力的になっています。欠陥がなかったら、こうは行かないでしょう。御存じでしょうか? こういう詩です――

 今宵も
 月の裏側は暗く
 誰にも地球の見えぬところ
 月の邦は暗々と

 月の民には決して見えぬ地球の光輝
 銀の丘の如く昇りゆく
 満たす水とてなき月の海底
 その上に地球は怪物めいて

 ――大陸は輝かしく 海は明るく
 シンハラ族の売りし
 もっとも色淡き青玉の如し……

続きは思い出せませんが、これほどまでに美しい詩は前代未聞だと今では思えます。

 1929年に出版されたFifty Poemsに収録されている"At the Time of the Full Moon"という詩だ。うしとらさんのサイトで公開されている目録*1を参照するに、邦訳されたことはないらしい。
 月から見た地球とはラヴクラフトが食いつきそうな話題だ。だが前述したようにラヴクラフト側の手紙があらかた欠落しているので、彼がどう反応したのかはわからずじまいだった。
 この詩にはちょっとした後日談がある。月はいつも同じ面が地球を向いているので、月面では「地球の出」は起こりえないとアーサー=C=クラークが1944年7月20日付のダンセイニ宛書簡で突っこみを入れているのだ。*2一方、怪物めいているという形容はしっくり来るものだと個人的には思う。
en.wikipedia.org
 ルナー=リコネサンス=オービターが撮影した写真だというが、こんなにでかいと確かに怪物っぽい。もちろん1920年代に衛星写真はなかったが、月から見た地球の想像図*3をダンセイニは見たことがあったのだろうか?

Letters to C. L. Moore and Others

Letters to C. L. Moore and Others

  • 作者:Lovecraft, H P
  • 発売日: 2017/08/01
  • メディア: ペーパーバック