新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

黒き永劫

 "Black Eons"という断章をロバート=E=ハワードが遺している。さほど長い文章ではないが、クトゥルー神話ファンにとって興味深い情報を含んでいる。
 舞台は現代のエジプト、アリソンとブリルの二人が遺跡の発掘調査をしている。新しく発掘された墳墓を前にして、アリソンはブリルに奇妙な賭を持ちかけた。この墓に葬られているのはエジプト人ではない、もしもエジプト人だったら自分の六連発拳銃を進呈してもいいというのだ。
 怪訝そうな顔をしているブリルにアリソンは説明した。フリードリヒ=フォン=ユンツトの『無名祭祀書』によれば、エジプト文明よりも前にスティギア文明が栄えていたという。自分たちの発見した墳墓はスティギアの遺跡に違いないというのがアリソンの仮説だった。いうまでもなくスティギアはハイボリア時代の地名だが、ハイボリア時代という用語自体がフォン=ユンツトの考案したものであるとハワードはこの断章で述べている。いわばコナンの物語を丸ごとクトゥルー神話大系に取りこんでしまったわけで、なかなか豪勢な話だ。
 いささか衝撃的な設定を披露したところでハワードは筆を擱いているが、残りをロバート=プライスが補って完成させた作品がある。なお、ハワードの断章では主人公はアリソンという姓しか明らかになっていないが、プライス博士は彼をジェイムズ=アリソンと同一視している。邦訳のある「妖蛆の谷」や「恐怖の庭」、そして昨日の記事*1で紹介した"Marchers of Valhalla"で語り手を務めている人物だ。彼は戦士として幾度となく転生を繰り返してきたが、アリソンだけが前世の記憶をすべて持っている。そうなった理由はハワードとプライスの「合作」で明かされている。
 ブリルと賭をした日の晩、アリソンは不思議な夢を見た――とプライスは物語を進める。夢の中で彼はベインというヴァン族の戦士になっていた。ヴァン族は新しい土地を求めて南下し、今まさにスティギアを蹂躙しようとしているところだ。ベインは己の剛勇を誇示しようと、誰もが憚る邪神ゴル=ゴロスの神殿に乗りこんでいった。
 神殿の中には魔道士コス=セラピスがおり、ベインの闖入を魔法の水晶球で監視している。コス=セラピスはベインを亡き者にしようと幻術を仕掛け、さらに兵士を襲いかからせたが、ベインはいずれも打ち負かしてコス=セラピスを追い詰めた。自らの敗北を悟ったコス=セラピスはベインに告げる。
「己を見よ、己の同胞を見よ。蝗の群の如く、己より高く善きものをやみくもに破壊しようというのだな。我が国土の至る所にて、貴様らの父祖が沼地より這い出てくる前から神さびて賢くあった世界を踏みにじりおるか。ただ一日にて、貴様らは古なる世界の灯火を消してしまうことであろう。だが我が身を焼き尽くさずに最後の灯心を断ち切れると思うなよ、蛮人めが。なぜなら貴様はわしの命を奪うだろうが、わしは貴様の死を奪うからだ。幾星霜を経ようと貴様に安息はない、哀れな蛮人よ。野獣の如き貴様の魂は時の回廊をさまよい、わしが復讐を果たしに再来するまで転生を重ねる定めだ」
 アリソンが転生し続けているのは、スティギアの魔道士の呪いによるものだったのだ。言い終えるとコス=セラピスは哄笑しはじめた。理解できないままベインは斧を振るって彼を殺し、そこでアリソンは眼を覚ます。彼がいるのは寝室ではなく、発掘されたばかりの墳墓の中だった。目の前にある棺は蓋が開いており、中に魔道士コス=セラピスのミイラが横たわっていた。
 古代スティギアの兵士の衣装を身につけたブリルが墳墓の中に入ってきた。前世の因縁に操られ、ベインすなわちアリソンに報復するためにやってきたのだ。アリソンは片脚が不自由であるにもかかわらず、自分のものにあらざる意志に導かれるかのように戦ってブリルに勝った。棺に歩み寄ったアリソンは短剣でコス=セラピスの首を切り落とし、祭壇に横たわって安らかな眠りにつく。彼は二度と目覚めず、転生しないだろう。悠久の昔、魔道士にかけられた呪いがようやく終わったのだった……。
 断っておくと、プライスが執筆した箇所はハワードの他の作品とは必ずしも整合性がとれていない。「妖蛆の谷」や「恐怖の庭」ではアリソンは病のために死を待つばかりとなっているが、この合作では遺跡の発掘調査ができるほど元気だ。またアリソンには前世だけでなく後生も無数にあるとハワードの作品では述べられているが、プライスは彼の転生をアリソンで終わりということにしてしまった。そういう些細な点さえ気にしなければ、これは補綴作品であることの強みが最大限に生かされた佳編であり、ジェイムズ=アリソンのシリーズの掉尾を飾る作品として申し分ないだろう。プライス博士のクトゥルー神話作品としても最高傑作の部類に入るのではないかと思う。