赤き朋友の剣
ロバート=E=ハワードに"Swords of the Red Brotherhood"という中編がある。舞台は17世紀の北米大陸、海賊ヴァルミアが主役の物語だ。
ヴァルミアは北米大陸でインディアンに追いかけられている最中だった。彼に族長を殺されたインディアンは絶対に復讐を諦めそうになかったが、ヴァルミアが岩山を登っていくのを見た途端になぜか追跡を中止し、引き返していった。理由はわからないながらも窮地を脱したヴァルミアは岩山で洞窟を発見する。洞窟の中では男たちが黒檀の大きな卓を取り囲み、微動だにせずに座っていた。ヴァルミアが声をかけても返事がない。彼が洞窟に足を踏み入れると、眼に見えない手が彼の喉を締め上げた。
場面は変わって海辺、うら若い乙女が佇んでいる。彼女はフランソワーズ=ド=シャスティヨンといって、アンリ=ド=シャスティヨン伯爵の姪だった。伯爵は急に祖国フランスを捨てて北米に移住したのだが、乗ってきた船が嵐で沈んでしまったため、欧州に戻る手段は失われていた。
「姫様!」裸の少女がフランソワーズに駆け寄ってくる。水浴びをしていた侍女のティナだった。「船です!」
ティナのいうとおり、沖合に帆影が見える。それは海賊ハーストンの船だった。手下を引き連れて上陸したハーストンは、財宝の在処を教えろと伯爵に迫る。何のことかわからんと伯爵は突っぱね、海賊どもは伯爵の館を取り囲んで攻撃を開始するが、その最中に撤退していった。別の海賊船がやってきたのだ。
新たに現れた海賊はギヨーム=ヴィリエといった。悪名高い男で、伯爵も彼のことは知っている。ハーストンがいっていた「財宝」のことをヴィリエは伯爵に説明した。それはエルナン=コルテスがアステカから略奪した黄金と宝石で、スペインに運ばれる途中でジョバンニ=ダ=ヴェラッツァーノが横取りしたのだが、ヴェラッツァーノとともに行方不明になっていた。その財宝が伯爵の館の近くに隠されているはずだとヴィリエはいった。
自分に協力してくれたら伯爵にも財宝を分けてやるし、望みのところに連れて行ってやるとヴィリエは申し出る。ただしフランソワーズとヴィリエを結婚させるのが条件だった。フランソワーズはもとより伯爵も承知するはずがないが、黒い男を浜辺で見かけたとティナが報告した途端に伯爵の態度は一変した。
「嘘だ! 嘘だといえ、貴様!」伯爵は血相を変え、年端もいかない少女を容赦なく折檻する。
「バカ! このバカ!」フランソワーズは叫んだ。「わからないの、ティナがいっているのは本当のことよ! けだもの!」
伯爵はヴィリエの提案を受け入れることにした。ただしフランスではなく、中国かインドへ連れて行けという。「もし今度ティナに指一本でも触れたら、私がおじさまを殺します」とフランソワーズはいったが、伯爵はそれすら耳に入っていない様子だった。黒い男が現れたという話にすっかり動転しているようだ。
「出て行きましょう、姫様!」フランソワーズに介抱されて意識を取り戻したティナはいった。「姫様をヴィリエのものになんかさせません。姫様と私で森に行きましょう。もう歩けなくなったら、そこで横になって一緒に死にましょう」
「ええ、そうしましょう」とフランソワーズは答えた。ティナはまだ子供といったほうがいい年頃のはずだが、その割にはすごいことを発言する。
黒い男はもう伯爵の館の中に入りこんでいるらしく、フランソワーズの部屋の前を忍び歩く足音が聞こえた。黒い男のことを考えると、館を抜け出す勇気も失せてしまう。そして突発的に嵐が起こり、ヴィリエの船が難破した。見計らったようにハーストンが現れ、取引をしようと持ちかけてくる。
アステカの財宝の在処を記した地図をヴィリエが持っているとハーストンは思いこんでおり、3人で協力すべきだと言い出した。ヴィリエが地図を、ハーストンが船を、伯爵が人員を提供するという提案だ。そこへヴァルミアが乗りこんできた。
「地図を持っているのは俺だ」とヴァルミアはいった。「だが俺には地図など不要なのだ。財宝の洞窟はもう発見したからな」
この物語の冒頭に出てきた洞窟こそが財宝の隠し場所であり、黒檀の卓の周りに座っていたのはヴェラッツァーノと彼の部下たちだったのだ。ヴァルミア・ヴィリエ・ハーストンは宝の洞窟を目指して出発した。互いに寝首をかこうとする海賊たち。洞窟には有毒なガスが充満しており、冒頭でヴァルミアが首を絞められたように感じたのもガスのせいだった。そのガスを利用してヴィリエとハーストンを亡き者にしようというのがヴァルミアの企てだったが、失敗に終わる。そしてインディアンが襲撃してきた。
財宝を運び出している余裕などない。彼らは手ぶらで館に戻り、インディアンを迎え撃って戦った。館は炎上し、乱戦の中でヴィリエもハーストンも死んでいく。フランソワーズとティナを探すヴァルミアが見たものは、梁から吊されている伯爵の亡骸だった。黒い男がとうとう姿を見せたのだ。ヴァルミアは銀製の長腰掛けを黒い男に投げつけて倒し、フランソワーズとティナを連れて炎の中から脱出した。館は焼け落ち、生き延びたのはヴァルミアたち3人だけだった。
ハーストンは死んだが、彼の船は無傷で残っている。ヴァルミアが狼煙を上げて招き寄せると、船は近づいてきた。わずかな生き残りの海賊たちには知識がないので、彼らだけではホーン岬に辿り着くこともできないだろう。それゆえ、航海術に長けたヴァルミアを新たな首領として迎え入れることに異存はなかった。
「あの黒い男はかつて私のおじに奴隷として売り飛ばされたのです。復讐しに来たのでしょう」とフランソワーズは説明して身震いした。
「フランスに戻ったらどうするかね?」とヴァルミアは訊ねた。
「私には身寄りもないし、生きていくすべも知らない」とフランソワーズは首を振った。「いっそインディアンの矢で心臓を射貫かれてしまったほうがよかったのかもしれません」
「そんなことをおっしゃらないでください、姫様! 私がお金を稼ぎますから!」とティナが叫んだ。健気すぎる。
「アステカの財宝は手に入らなかったが、これだけはとってくることができた」といってヴァルミアが懐から取り出したのは、小さな革袋だった。中には光り輝くルビーが詰まっている。「これだけあれば一財産だ」
「そんなものをいただくわけには――」と言いかけたフランソワーズの手にヴァルミアは宝石の袋を押しつけた。
「持っていきな! フランスに戻って飢え死にするのじゃ、ここへ置き去りにされるのと同じことだからな」
「でも、あなたはどうなさるのですか?」
「俺はまた船出して、黒のヴァルミアここにありとスペイン人に見せつけてやるさ。西洋のお宝が取り放題だというのに、一握りの宝石がなんだというのだ!」
長々と粗筋を書いてしまったが、この話は「黒の異邦人」にそっくりだ。コナンを主役とする「黒の異邦人」を没にされてしまったので、ハワードは原稿を書き直してヴァルミアの話に作り替えたのだが、それもまた売れなかった。結局"Swords of the Red Brotherhood"が日の目を見たのは1976年のことだったが、発表がそんなに遅かったにもかかわらず原文はウィキソースで無償公開されている。
en.wikisource.org
「黒の異邦人」とそっくりだといっても作中の年代は大幅に異なるし、登場人物の名前もティナ以外は変えられている。また"Swords of the Red Brotherhood"では超自然的な要素が排され、黒い男の正体は妖術師が招喚した魔物だったという設定がなくなってしまった。
俺の故郷ではたまに飢饉があったが、人々が餓えるのはその時だけだった。だが文明国では、気分が悪くなるほど飽食している連中がいる一方で他の者たちが飢えて死んでいく。人々が店の壁に寄りかかって死んでいくとき、その店に食べ物が溢れかえっているのを俺は見てきた。
「黒い異邦人」でコナンが令嬢に宝石を渡すときの台詞を訳してみたが、この痛烈な言葉も"Swords of the Red Brotherhood"では削られている。してみると、やはりハワードが本当に書きたかったのは「黒い異邦人」のほうであり、"Swords of the Red Brotherhood"は妥協の産物と見るべきかもしれない。結局のところ妥協しても売れなかったのだが、もし仮に売れていたらハワードはコナンの代わりにヴァルミアの話を次々と書いていたのだろうか?
- 作者:ロバート・E・ハワード
- 発売日: 2020/09/19
- メディア: Kindle版