バル=サゴスの神々
闇の男 - 凡々ブログ
ゴル=ゴロスを紹介するための前振りとして"The Dark Man"の話を始めたら、その前振りがえらく長くなってしまった。そこで独立した記事にしたわけだが、今度こそゴル=ゴロスの話をする。
"The Gods of Bal-Sagoth"は"The Dark Man"の続編に当たるが、初出はウィアードテイルズの1931年10月号なので、世に出たのはこちらの方が早かったということになる。未訳だが、なぜかウィキペディアに記事がある(wikipedia:バル=サゴスの神々)。もっとも、この記事は例によって誤りが多いので、改めて私なりに要約してみたい。なお原文はBibliowikiで読むことができる。
The Gods of Bal-Sagoth
"The Dark Man"で語られている出来事から数年後、ターロウ=ダブ=オブライエンはフランスの船に乗っていた。その船が嵐に巻きこまれている最中、バイキングが襲撃してくる。彼らにしても難船する寸前なのだが、そんな時でも獲物を見逃す気はないらしい。
嵐に揺さぶられる船の甲板で、敵に囲まれながら独り奮闘するターロウ。ひときわ背の高い男が目の前に立っているのを稲妻が照らし出す。どこかで見たような顔だ――とターロウが思ったとき、彼は頭を殴りつけられて意識を失った。
気がつくと、ターロウはバイキングの船のマストに縛りつけられていた。俺のような一匹狼を生け捕りにしたところで身代金がとれるわけではなし、なぜ殺してしまわないのだろうかとターロウが不思議がっていると、気絶する直前に見た男がやってきた。6フィートを優に超えるターロウよりもさらに背が高いという巨漢だが、その表情は穏やかだ。
「久しぶりだな」と男はいった。見覚えがあったのも道理、彼はサクソン人アセルスタンだったのだ。前作では重傷を負ってしまったが、名もない司祭の献身的な看護が功を奏したらしく、生き延びていた。そしてターロウが自分の命をとらずにおいてくれたことへの礼として、彼を救ったのである。
「俺たちはどこにいるのだ?」とターロウは訊ねた。
「俺に訊かんでくれ。嵐のせいで、だいぶ進路を外れてしまったんだ。おとなしくしていると約束すれば、縄を解いてやるがね」
「マストに縛りつけられたまま、この船ごと海の底に行く方がましよ」と意地を張るターロウ。アセルスタンは仕方なく彼を縛ったままにしておいたが、代わりにビールを持ってきてくれた。なかなか気の利く男と見える。
嵐はますます激しさを増していく。もはや沈没は避けられないと見て取ったアセルスタンはターロウの縛めを切り、彼を自由の身にしてやった。重い荷物は持たない方がいいとアセルスタンが忠告するのも聞かず、ターロウは自分の戦斧をひっつかむ。
とうとう船は座礁してしまった。ターロウは船の残骸を筏代わりにし、傍らで溺れかけているアセルスタンを引っ張り上げる。鮫が襲いかかってきたが、ターロウは斧で真っ二つにし、その死骸に他の鮫が群がっている隙に手で水を掻いた。天佑があったというべきか、いずことも知れぬ陸地の浜辺に筏は辿りつく。アセルスタンを引きずりながら上陸したターロウは砂浜に倒れこみ、精根尽き果てて眠った。
ほどなくしてターロウが眼を覚ますと、砂浜の向こうは見渡す限りの密林だった。少し離れたところでは、アセルスタンが愛剣にもたれかかりながら沖合を眺めている。命拾いしたのは彼ら二人だけのようだった。
「あんたは命の恩人だぜ!」とアセルスタンはいった。「あんたが俺を助けてくれなかったら、今頃は鮫の餌になっていたな」
「おまえが俺の命を救い、俺がおまえの命を救った。これで貸し借りはなしだな」険しい表情でターロウはいった。「では決闘だ」
「俺たちが決闘? どうして――?」呆気にとられるアセルスタン。
「500年間、積もり積もった民族の恨みだ!」とターロウは吼えた。「我が同胞がどれほどバイキングに苦しめられてきたか! 犠牲になった者たちの嘆きが夜な夜な俺を悩ませるのだ!」
「俺はバイキングじゃないんですけど」とアセルスタンは釈明を試みる。確かに彼はバイキングと行動を共にしていただけで、出自はサクソン人だ。
「余計に悪い!」ターロウは聞く耳を持たない。
「こういうことは好きじゃないんだがなあ」ぼやきながらアセルスタンは剣を構えた。
一触即発の危機に水を差したのは、甲高い叫び声だった。魔神が勝鬨をあげているかのような禍々しさだ。そして半裸の若い美女が必死に駆けてくる後から、体高12フィートはあろうかという巨大な怪鳥が姿を現した。ターロウとアセルスタンは力を合わせて怪鳥を討ち取り、二人に命を救われた美女はブリュンヒルドと名乗る。アセルスタンは彼女のことを知っていた。
「あんたがまだ少女のころ、狂人トスティグにさらわれて行方知れずになったという話だが」
この島の沖合でトスティグの船は難破し、彼と仲間たちは一人残らず死んでしまったが、自分は生き延びて岸辺に漂着したのだとブリュンヒルドは語る。島に住んでいるのは褐色の肌の人々で、彼らは白い肌のブリュンヒルドを海の女神として崇めた。成長した彼女は若き族長コタルと謀って先代の王アンガルを打倒し、女神かつ女王としてバル=サゴスに君臨したのである。
しかし王配となったコタルが他の娘と情を通じたため、嫉妬したブリュンヒルドは彼を殺してしまった。それによって民心はブリュンヒルドから離反し、彼女に権力を奪われていた大祭司ゴタンがここぞとばかりに民衆を煽動した。失脚したブリュンヒルドは流刑にされ、怪鳥グロス=ゴルカに喰い殺されるのを待つばかりの身となったが、そこへターロウたちがやってきたのだった。
二人の味方を得たブリュンヒルドは玉座を奪還しようとする。彼女によると、いつの日か海から鉄の男たちが来てバル=サゴスを滅ぼすという伝説があるそうだ。なるほど、鎧と兜で身を固めたターロウとアセルスタンは鉄の男と呼べなくもないだろう。自分に力を貸してくれれば、重臣として栄華は思いのままだとブリュンヒルドは熱弁を振るった。
「よかろう」ターロウは承諾した。地位や財産には何の魅力も感じないが、たった3人で王国ひとつを相手取って戦うというのは彼の趣味に合っている。「おまえはどうする、アセルスタン?」
「俺は腹ぺこでな。食い物のあるところに連れて行ってくれるんなら、僧侶だろうと戦士だろうと蹴散らしてやるぜ」
彼らはグロス=ゴルカの首を切り落として持ち、道すがら果物を摘んで食べつつバル=サゴスを目指す。ターロウはその味に満足し、肉にありつけなくて不満げなアセルスタンも大いに食って腹を満たした。
3人はバル=サゴスに到着した。その城門は白銀の板で造られており、これはすごいとアセルスタンは興奮気味だ。集まってきた人々はグロス=ゴルカの首を見て早くも肝を潰すが、そんな中にあって傲然としているのが3人――国王スカー・大祭司ゴタン・侍祭ゲルカである。スカーはゴタンがブリュンヒルドを玉座から追放した後に据えた傀儡で、ターロウとアセルスタンのどちらかが彼と一騎打ちを行うことになった。ブリュンヒルドの代理として戦う男が勝てば玉座はブリュンヒルドのもの、逆に敗れれば彼女は首を差し出すという条件だ。
「俺が行く」とターロウはいった。「やつは見るからに敏捷そうだ。アセルスタンは馬鹿力こそあるが、すばやさでは――」
「のろまだと!」アセルスタンが異議を唱える。「おいターロウ、俺ほど目方がある男にしてはだな――」
スカーが一騎打ちの相手として指名したのはアセルスタンだった。アセルスタンが猛牛ならターロウは虎、前者と戦った方が勝ち目は大きいと踏んだのだ。スカーが裸なのを見たアセルスタンは自分も甲冑を脱ごうとするが、ブリュンヒルドに止められて、そのまま戦うことになる。
スカーの強さも相当なものだったが、鎧や兜というものを知らなかったことが彼の命取りになった。スカーの振り下ろした刃はアセルスタンの兜に阻まれて砕け、アセルスタンの大剣はスカーを一撃で屠ってしまったのだ。
「首を落とせ!」とブリュンヒルドは叫んだ。「晒し首にしてやる!」
「ならん、やつは勇士だった。亡骸を損なうような真似はしたくない」アセルスタンは首を振る。「恥ずかしい戦い方をしてしまった。俺が鎧や兜を着けていなければ、勝敗は逆になっていただろうな」
ともあれブリュンヒルドは復位することになり、王権の象徴である翡翠の彫刻をスカーの首から奪い取る。いつの間にかゴタンの姿は見えなくなっていたが、ブリュンヒルドはさほど慌てていなかった。迷宮のように入り組んだ秘密のトンネルがバル=サゴスにはあり、ゴタンはその中に逃げこんでしまったのだろうと彼女はいう。
王宮に入ったブリュンヒルドはターロウとアセルスタンにバル=サゴスの歴史を語って聞かせた。バル=サゴスの地はローマやエジプトや中国よりも古いのだという。かつては多くの島を支配する大帝国だったが、それらの島々は海中に没したり、赤い肌の蛮族に攻め取られたりして、ついには後ひとつとなった。バル=サゴスの文明は衰え、多くの技術が忘れ去られていった。しかし途方もなく年老いたゴタンだけは多くの知識を有しており、禁断の魔術を駆使しては数々の人獣細工を創り出していた。バル=サゴスの神々の中でもっとも偉大とされるのがゴル=ゴロスであり、ゴタンはその大祭司だった。
ブリュンヒルドは寝室に引き揚げて休み、ターロウとアセルスタンは寝室の扉の前で見張りをする。「彼女はあんたに気があるようだから、あんたはそのうちバル=サゴスの王様になれるかもな」とアセルスタンはいうが、ターロウは一向に気乗りがしなかった。なぜ流れ者になったのかとターロウはアセルスタンに訊ね、アセルスタンは自分の生い立ちを語る。彼はクヌートのもとで近衛隊長を務めていたのだが、サクソン人のくせに過分な重用だと嫉妬するものが大勢いた。とうとう諍いが起き、相手を殺してしまったアセルスタンはイングランドを出奔したのだった。
飲み過ぎたのか、アセルスタンは寝入ってしまった。ターロウは一人で見張りを続けるが、まぶたが重くて仕方ない。人間でもなければ猿でもない、その両方を混ぜ合わせたような化物が部屋に忍びこんできた。ターロウは気力を振り絞って立ち上がり、化物を討ち取る。壁掛けの陰でゴタンの手下が催眠術を使っていることを見破ったターロウはそいつを殺し、たちまちアセルスタンは眼を覚ました。
寝室から悲鳴が聞こえてくる。ターロウとアセルスタンが駆けこむと、曰く言いがたい姿をした魔物がブリュンヒルドを襲っていた。ゴタンの切り札に違いない。アセルスタンに手傷を負わされた魔物はブリュンヒルドを放り出して秘密のトンネルに逃げこみ、アセルスタンは魔物を追いかける。ターロウも後に続こうとするが、ブリュンヒルドが彼を引き留めた。
「この通路は地獄まで続いている!」と彼女はいった。「入ったら最後、二度と戻ってこられないぞ!」
「放せ!」とターロウは吼え、ブリュンヒルドの手をふりほどく。「俺の朋友が命がけで戦っているかもしれんのだぞ!」
民族の恨みがどうのこうのといっていたのは忘れたかのようだが、やはりターロウも友情をもっとも重んじる男なのだろう。彼がアセルスタンに追いつくと、そこは祭祀の場とおぼしき大広間だった。血に染まった祭壇の後ろにゴル=ゴロスの巨像が鎮座し、そして祭壇の前には魔物とゴタンが共に倒れている。どちらも絶命していた。
「この化物はゴタンを見るなり引き裂いたのだ」とアセルスタンは説明した。「その後で俺が化物を仕留めたのさ」
衛兵を引き連れたブリュンヒルドが到着した。ゴタンが死んでいるのを見た彼女は狂喜し、亡骸を蹴りつける。その時ゴル=ゴロスの巨大な石像が前のめりに倒れ、凍りついたかのように動けずにいるブリュンヒルドを押し潰した。像は粉々に砕け、瓦礫の山の下から鮮血が流れ出てきた。
「見よ、ゴル=ゴロスが偽物の女神を粉砕なさったぞ!」侍祭のゲルカが叫んだ。「この異人どももただの人間だ!」
兵士たちがターロウとアセルスタンに襲いかかったが、二人は血路を切り開いて王宮から脱出する。都の至るところで火の手が上がっていた。赤い肌の蛮族が近隣の島から侵攻してきたのだ。ターロウとアセルスタンが浜辺まで逃げ延びたころには、バル=サゴスは紅蓮の炎に包まれていた。
沖合をスペインの軍艦が通りかかる。ターロウとアセルスタンは蛮族の舟を奪って漕ぎ出し、軍艦に救助された。ターロウはバル=サゴスの財宝のことを告げたが、艦長は首を振るばかりだった。
「そんなものにかまっている暇はないのだ」と艦長はいった。「これより本艦は僚艦と合流し、トルコの私略船と一戦を交える。我らは神と国王陛下に仕える戦士であり、財宝などでは立ち止まらぬ。しかし貴君らのような勇士は歓迎するぞ。共に征き、キリストの刃をムスリムどもに喰らわしてやろうではないか」
相当やばい船に乗ってしまったようだが、他に選択肢はない。ターロウとアセルスタンは遠征軍に加わることにした。ところでクヌートの名前が出てくることからもわかるように、この物語は11世紀が舞台のはずだ。したがって東ローマ帝国がまだ健在なのだが、トルコの私略船などというものが当時から存在したのだろうか。
煙を上げるバル=サゴスが遠ざかっていくのを、ターロウとアセルスタンは船縁から眺めた。ターロウはアセルスタンに翡翠の彫刻を見せる。それはバル=サゴスの王の象徴だった。秘密のトンネルの入口でブリュンヒルドと揉み合ったとき、鎖がちぎれてターロウの鎧に引っかかったのだ。
「あんたはそのうちバル=サゴスの王になると俺はいったよな」とアセルスタンはいった。「その通りになっただろう。あんたが王様だ!」
「そうだな。死者の王国、幽鬼と灰燼の帝国だ」ターロウは笑う。苦い笑いだった。「俺はバル=サゴスの王であり、俺の王国は明け方の空へと消えていく。そこには世界の他の帝国もすべてあるのだ――夢と幽霊と煙になってな」
前作の"The Dark Man"に比べればコミカルな場面もあるのだが、結末はきわめて荒涼としている。栄華を極めた大帝国も夢幻の如しという無常感が実にハワードらしいといえるだろう。なおハワードはさらに続編を構想していたのだが、これは未完に終わった。