新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

サドクアの予言者

 ローマ時代のアヴェロワーニュを舞台にした小説をC.A.スミスは書こうとしていた。その作品はついに完成せず、構想だけが残っている。

 制圧されたばかりのアヴェロニア地方に駐屯しているローマ軍の将校ホラティウスは、失踪した同僚ガルビウスを捜索していたが、成果は上がらなかった。ガルビウスの行方は杳として知れず、彼の消息を噂にする現地人もいなかった。万策尽きたホラティウスはとうとうドルイドの占い師に相談することにする──すなわち魔神サドクアの予言者であり、サドクアというのはアヴェロニアの鬱蒼とした森の直中にある洞窟の地底で久遠に微睡んでいるとされる神だった。数名の兵士を引き連れたホラティウスはその場所を発見し、ドルイドによって予言者の洞窟へ連れて行かれる。天井と床に亀裂があり、わずかながら外光が暗がりに降り注いでくる洞穴に、色黒で毛むくじゃらな半人半獣の怪物がいた。そのものは地面の亀裂の傍らに鎖でつながれており、悪臭のする蒸気が亀裂から漏れ出ていた。怪物は片言のラテン語を喋り、ガルビウスの消息についてホラティウスが訊ねると謎めいた返事をする。怪物の声を聞いたホラティウスは奇妙な胸騒ぎがした。そして天井の亀裂から射し込む光に一瞬だけ照らし出された怪物には、ひどく歪んだ微かなものではあるが、失踪したガルビウスの面影があるような気がした。部下と共に立ち去るホラティウスは以前より困惑が深まったばかりだった。帰途についたホラティウスは、洞窟の近くの村に住んでいる美少女に出会う。互いを一目見た瞬間から二人には恋が芽ばえ、後日ホラティウスは彼女と再会するために独りで引き返した。二人の愛は深まり、少女は不承不承ながらホラティウスに予言者の洞窟の秘密を打ち明ける。現在の予言者は行方不明のガルビウスに他ならず、ドルイドに拉致されて地面の亀裂の脇に鎖でつながれたのだ。亀裂から立ち上る蒸気は彼の本来の記憶を失わせ、半人半獣の姿に変えてしまった。これによって彼は微睡みながら一切を知り尽くしている神サドクアの託宣を伝えるのにふさわしい媒体となり、神の指図通りの回答を質問者に与えられるようになった。過去にも多くのものがサドクアの預言者になったという。亀裂から噴き出してくる蒸気はサドクアの息であると信じられていた。蒸気の効果は非常に恐るべきものだったので、ほとんどの人間はそれに長く耐えられずに死ぬか、人語をまったく話せないところまで退行して予言者の役が務まらなくなるのだった。このことを知ったホラティウスは怒り狂って秘密の洞窟に再び入るが、ガルビウスはもはや手も足もない塊になりはて、人間の言葉ではない音を発するばかりだった。恐れおののいたホラティウスはそのものを殺そうとする。変身したガルビウスにホラティウスが剣を突き刺しているとドルイドが入ってきて彼を捕え、殴り倒して気絶させる。意識を取り戻したホラティウスは亀裂の傍らに鎖でつながれていた。蒸気を吸いこんだ彼は、自分が人間だった頃のことを狂乱のうちに忘れ去っていくのだった。

The Black Book of Clark Ashton Smith by Clark Ashton Smith

 というわけで、およそ救いのない話である。スミスのアヴェロワーニュ伝説はほとんどが中世の話であり、「物語の終わり」*1だけが例外的に近世を舞台としているが、ローマ時代の話というのはない。もしも「サドクアの予言者」が完成していたらアヴェロワーニュ伝説の幅が広がっただろうに、残念なことだ。