新・凡々ブログ

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最初と最後のジョン=サイレンス

 ラヴクラフトの蔵書目録によると、彼の家には『心霊博士ジョン・サイレンスの事件簿』が2冊あったそうだ。1冊目は1908年にロンドンで刊行された初版本、2冊目は後にニューヨークで再版されたものだという。2冊目はダーレスからの贈物なのだが、ラヴクラフトが2冊とも手許に置いておいた理由は不明だ。もしかして保存用と観賞用だろうか。
 S.T.ヨシによるとラヴクラフトは1926年に『心霊博士ジョン・サイレンスの事件簿』を読んだそうだが、ダーレスが読んだのも同じ年だったことが1926年10月15日付のラヴクラフト宛書簡から判明している。

ライトは"The Sleepers"を即座に受理してくれましたが、"The Mill Wheel"は没になってしまいました。彼がその欠点を指摘してくれたので、ウィアードテイルズに載せる価値がない作品だということが今では私にもわかっています。ある友人にいわせると『心霊博士ジョン・サイレンスの事件簿』に似ているそうです。そこで私も読んでみたのですが、確かにとても似ているのです。あまりにも似ているものですから、ライトが受理しなかったことを嬉しく思っているほどです。その原稿をお送りいたしましょう。ライトが没にしたのは、説得力を欠くというのが主な理由でした。

 駄作だろうと何だろうと受理した以上は編集長の責任だろうといわんばかりに書きまくるようになるダーレスも17歳の頃はまだ遠慮がちだったと見える。彼がラヴクラフトと文通を始めたばかりの時期で、手紙の出だしも「拝啓ラヴクラフト様」と堅苦しい。それにしてもジョン=サイレンスに似ているといわれて直ちに読むあたり、さすがにダーレスは勉強熱心だ。
 "The Mill Wheel"を読んだラヴクラフトは10月19日に返信し、もっと雰囲気を盛り上げるべきだと助言した。またブラックウッドよりもアーサー=マッケンの文体を手本にすべきだと述べているが、ブラックウッドの文章はうまくないというラヴクラフトの持論を反映した意見だろう。いずれにせよ"The Mill Wheel"が発表されることはなかった。ウィスコンシン州立歴史協会が保管しているダーレス関連文書の中にも見当たらないので、その原稿は破棄されてしまったのかもしれない。
 ファーンズワース=ライトが即座に受理したという"The Sleepers"はウィアードテイルズの1927年12月号に掲載されている。シカゴ行きの寝台特急を舞台にした短い幽霊譚なのだが、これについては記事を改めて紹介したい。
 1936年11月15日付のフリッツ=ライバー宛書簡でラヴクラフトはブラックウッドの傑作として「柳」『信じがたき冒険』『ケンタウロス』「ウェンディゴ」を挙げ、「最初と最後を除いては」と但し書きをつけた上でジョン=サイレンスをそれらの作品と並べている。ここでいう最初と最後とは何のことだろうか。
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 ジョン=サイレンスは1908年に刊行されてから版を重ねつつ今日に至っており、話の並び順は創元推理文庫の邦訳でも変わっていない。ただし「四次元空間の虜」だけは後から追加された作品なので、ラヴクラフトが持っていた単行本には収録されていない。したがって最初は「霊魂の侵略者」、最後は「犬のキャンプ」であり、ラヴクラフトが特に高く評価していたのは「古えの妖術」「炎魔」「秘密の崇拝」であったとわかる。
 ラヴクラフトは1926年12月25日付のダーレス宛書簡にも同じことを書いているので、一貫した見解だったのだろう。ちなみに、そちらの手紙では一番好きな話も名指しされている。容易に察しがつくだろうが、「古えの妖術」だ。