新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

もふもふの獣を近寄らせるな!

 アルジャーノン=ブラックウッドが1949年に大英帝国勲章を授与されたときの逸話が、マイク=アシュリーによる評伝に書いてある。3月1日にバッキンガム宮殿で執り行われた叙勲式にブラックウッドは燕尾服を着て出席したが、その服は貸衣装だった。料金が高かったので、なるべく安く済ませようと古い服を選んだ結果、彼のかぶっていたシルクハットには天の部分がなかったという。
 古ぼけた借り物の燕尾服で王宮へ出かけていくブラックウッド。困窮していたわけではないにせよ、彼は晩年になっても金持ちからは程遠かったのだ。アーカムハウスこそは天下無類の出版社だというブラックウッドの言葉をラムジー=キャンベルが1966年9月14日付のダーレス宛書簡で引用しているが、ダーレスから送られてくる原稿料はブラックウッドにとって意外と貴重な収入だったのかもしれない。
 クラーク=アシュトン=スミスも貧乏だった。小説の執筆から遠ざかってからは窮乏がひどくなり、1941年にはダーレスが彼の彫刻作品を買い取る形で当座の生活費を用立てている。だが、やはり有名なのはラヴクラフトだろう。1936年11月29日付のジョンキル=ライバー宛書簡でラヴクラフトは次のように述べている。

糊口をしのぐ手段のことですが――(この御質問で不快になるなどということは全然ありませんよ)これまで切り抜けてこられたのはもっぱら純然たる幸運の賜物であり、牙の生えたもふもふの獣をいつまで締め出しておけるか将来のことは請け合いかねると申し上げるしかありません!

 牙の生えたもふもふの獣とはかわいらしい言い回しだが、これは「狼を戸口に寄せつけない」という慣用表現が英語にあることを踏まえたラヴクラフトの冗談だ。要するに「糊口をしのぐ」という意味で、かわいい割に深刻な話をしている。
 チャールズ=ラムやナサニエルホーソーンのように定職に就きながら執筆活動をすればよかったのだとラヴクラフトはこの手紙で悔やんでおり、まことに切実な状況が伝わってくる。弱音を吐いた相手がフリッツ=ライバーの奥さんというのも興味深いところで、たとえばダーレスがこのような手紙をラヴクラフトから受け取ったことはないはずだ。個人的な苦境を友人に打ち明けるにはラヴクラフトはあまりにも紳士でありすぎたとダーレスはホフマン=プライス宛の手紙で回想しているが、ラヴクラフトもダーレスの前では格好つけていたかったのだろうか? そう思うと、彼のささやかな見栄に涙が出そうだ。
 もふもふの獣の話をした翌年の春にラヴクラフトは世を去り、後には叔母のアニー=ギャムウェルが残された。このとき、遺著管理者のロバート=バーロウがラヴクラフトの蔵書を持ち去ってドナルド=ワンドレイを憤慨させるという事件が起きている。バーロウは遺言のとおりに行動したつもりだったのだろうが、ワンドレイらは蔵書をギャムウェル夫人から買い取り、まとまった額のお金を彼女に渡そうとしていた。その計画が台なしになったのだから、彼が怒り狂ったのも無理なからぬところではある。*1なお、アーカムハウスから刊行されたThe Outsider and Othersの売上をダーレスとワンドレイがギャムウェル夫人に渡したことにより、彼女が安楽に暮らせるようにするという目的はどうにか達成されたのだった。

Letters to C. L. Moore and Others

Letters to C. L. Moore and Others

  • 作者:Lovecraft, H P
  • 発売日: 2017/08/01
  • メディア: ペーパーバック