新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

ジェンディックの沼

 ジョゼフ=ペイン=ブレナンに"Jendick's Swamp"という短編がある。
 語り手はカークという作家。保安官のクリス=ケリントンが立ち寄ったので、冷えたリンゴ果汁でもてなしているところだ。しばらく世間話をしてからクリスは訊ねた。
「ジェンディック家のことを覚えてるかな?」
 ジェンディックというのは、北の丘の向こうにある沼地に住んでいた一家のことだ。といっても遠い昔のことであり、いまでは一人残らず死に絶えたものと思われていた。なぜ急にジェンディック家の話を? と訊ねるカーク。クリスは言った。
「それが奇妙なんだ。1週間前、ロートンとかいう人がニューヨークから来た。クラークソン家を訪ねてきたというんだが――」
 ロートンは狩猟が趣味で、ライフル銃を携えて北の丘に出かけていった。だが鹿を追いかけているうちに迷ってしまい、沼地の中にある崩れかけた家に辿りついたそうだ。家は無人のようだったが、ただならぬ気配を感じたロートンが振り向くと、窓から誰かが睨みつけていた。野獣のような眼だったが、人間の姿をしていたという。
 クリスはクラークソン家の人から又聞きしただけで、ロートン本人はニューヨークに帰ってしまったので詳しい話を聞くことはできなかった。おおかた浮浪者が廃屋をねぐらにしていて、闖入者を快く思わなかったのだろうとカークは片づけようとするが、クリスは何やら気になっているようだった。
 クリスによると、ジェンディック家の者たちはイスタカなる神を崇拝していたそうだ。クトゥルー神話の知識がある人ならピンとくるだろうが、これはイタカをもじった名前であり、ケイオシアムから刊行されたThe Ithaqua Cycleにもブレナンのこの作品は収録されている。沼地の廃屋を自分で調べに行くとクリスは言い出し、カークも付き合うことにした。
 翌日、クリスとカークは沼地を踏破できるよう胴付長靴を着用して出発した。ジェンディックの家がどこに建っているのか正確な所在は定かでなかったが、二人はさんざん骨を折って目的の場所に辿りつく。その家は荒れ放題で、おまけに耐えがたい悪臭がした。
 クリスは臭気をものともせずに家捜しを開始し、さっさと帰りたいカークも彼の後についていく。地下室には樽や桶が並んでおり、塩水とおぼしき液体に何かの肉が漬かっている。その場にあった熊手でクリスが中身を引っかけて取り出すと、それは人間の腕だった。他の容器を調べても、ぐちゃっとした人肉が詰まっている。列の最後にあった樽は人骨でいっぱいだった。
 二人が愕然としつつ地下室を出ると、亡者のような姿をしたものが階段の上に現れた。その蓬髪は真っ白で、ぼろぼろになったズボンしか身につけていない。そいつは眼をぎらつかせながら叫んだ。
「ジェンディックは死に絶えたと思っとったか? アサ爺は生きとるぞ! うろちょろしおって、おまえらも塩漬けにしてくれるわ!」
 アサ爺と名乗るものは襲いかかってきたが、カークは懐中電灯の光で彼の眼をくらませる。クリスは熊手で武装し、身をかがめるようカークに指示した。案の定、ついさっきまで二人の頭があった場所をめがけて猛烈な勢いで樽が飛んでくる。
 真っ暗な地下室で二人は懐中電灯だけを頼りに敵の姿を探すが、相手は暗闇の中でも眼が見えるらしいので不利だった。アサ爺が現れると、クリスは背嚢をカークの足許に落として彼に告げる。
「32口径だ。中に入ってる」
 カークが大慌てで背嚢の中を探っている間、クリスは敵に立ち向かう。アサ爺は痛覚がないのか、熊手で突き刺されても平気で突進してくるが、間一髪で拳銃を取り出したカークが彼を撃った。さすがに銃弾は通用するらしく、怪人は床にくずおれて絶叫した。
「イスタカ!」
 ジェンディック家の最後の生き残りは二人の目の前でみるみる萎びていき、半ばミイラ化した骸骨になってしまった。それすらも分解しつつあった。
 廃屋から脱出した二人は嵐に襲われた。燃え上がるような輪郭が雷雲を背景にそびえ立ち、光り輝く双眸がカークとクリスを見据えている。嵐の神イスタカだった。
 しかし嵐の勢いは次第に弱まっていき、イスタカの巨大な姿も雲散霧消してしまった。二人は這々の体でカークの家まで辿りつく。それから1週間後、カークのもとにクリスが訊ねてきて、ハートフォード図書館で調べたイスタカの伝承を語った。イスタカは人間や動物を生贄として受け取り、見返りとして信者に加護を与える。とりわけ熱心に崇拝するものは尋常ならざる長寿を得られるということだった。
「じゃあ、あの老人は本当にジェンディック家の人間だったのかい?」
「そうに違いないよ。僕の計算では150歳近かったはずだけどね!」
 いまわの際にジェンディック老人は助けを求め、イスタカはその願いに応えて姿を現したのだろうとクリスは述べた。だがイスタカの信者はジェンディック老人しか残っておらず、彼が死んだことでイスタカの力も失われてしまったのだろう。信仰心と生贄を得られなくなったイスタカはもはや存在できず、最後の力で嵐を起こすことしかできなかったのだろうというのがクリスの考えだった。
「それについては申し訳ないことをしたと思ってるんだ。沼外れの森に掘っ立て小屋があってね、8カ月前そこに浮浪者が住み着いたんだが、周りに迷惑をかけるようなことはなかったので僕は咎めなかった。彼が行方不明になってしまって、掘っ立て小屋を見に行ったら缶詰やクラッカーやコーヒーがたくさんあった。食糧をみんな置いていくなんて変だとは思ったんだが、捜査はしなかったんだ。思うに、彼は沼地に迷いこんでイスタカへの生贄にされたのではないか――そして樽の中の塩漬けにされてしまったのではないか!」
 長々と訳出してしまったが、つまりクリスが沼地の家にこだわっていたのは失踪事件の捜査を怠ったことを恥じ、けじめをつけるためだったわけだ。彼の人柄をさりげなく浮かび上がらせるくだりで、ブレナンならではの丁寧な仕事だと思う。
 クリスは知人に頼んでヘリコプターを飛ばしてもらったが、上空から観察したところジェンディックの家は丘もろとも消え去っていた。カークはいまでもジェンディックの沼地には立ち入ろうとせず、湿地の保全運動を熱心に行っている。何しろ沼がじわじわと南に広がろうとしているのだから……。
 イスタカの力は果たして本当に消え去ったのか、含みを残した幕切れ。初出は1987年に刊行されたDoom Cityというアンソロジーなのだが、この本はグレイストーン=ベイという町を共通の舞台としたシェアードワールド企画で、全4巻のうちの2巻目に当たる。グレイストーン=ベイは人口2万人くらい、ロブスターが名産品ということになっているが、この情報がなくてもブレナンの話を読むのに支障はない。同書に収録されている作品のうち、ロバート=マキャモンの「死の都」には邦訳がある。