ずいぶん前になるが、ロバート=E=ハワードの断章のことを記事にした。
byakhee.hatenablog.com
その冒頭にある狂詩人ジャスティン=ジョフリの言葉を再掲し、ついでに原文もつけてみる。
Strange-eyed Life strides on with mask and staff, etching his art against the sky like statues on Arcadian hills, and only in dreams do men see the face of Life without his mask.
奇妙な眼をした「生命」は仮面をつけ、杖を携えて闊歩する。アルカディアの丘に立つ像のごとく己の芸術を空に刻みつけ、仮面を外した「生命」の素顔を人が見るのは夢の中のみ。
芸術を空に刻みつけるとは何のことやら意味がわかりかねるが、これとよく似た言い回しをハワードは「妖蛆の谷」の出だしでも使っている。*1
As I lie here awaiting death, which creeps slowly upon me like a blind slug, my dreams are filled with glittering visions and the pageantry of glory. It is not of the drab, disease-racked life of James Allison I dream, but all the gleaming figures of the mighty pageantry that have passed before, and shall come after; for I have faintly glimpsed, not merely the shapes that come after, as a man in a long parade glimpses, far ahead, the line of figures that precede him winding over a distant hill, etched shadow-like against the sky. I am one and all the pageantry of shapes and guises and masks which have been, are, and shall be the visible manifestations of that illusive, intangible, but vitally existent spirit now promenading under the brief and temporary name of James Allison.
盲目のナメクジのように忍び寄ってくる死を待ち受けながら横たわっていても、私の夢は輝かしい光景と壮麗な栄光で満ちあふれている。私が夢見るのは病に蝕まれたジェイムズ=アリソンの人生ではなく、力強く進撃していく勇士の姿ばかりだ。彼らは通り過ぎていった者たちであり、後から来る者たちである。なぜならば、長い行列の直中にいる者が瞥見するように私が垣間見るのは、後から来る者たちばかりではなく、遙か前方にいる者たちでもあるからだ。自分の前にも列が連なって彼方の丘へ至り、空に刻みつけられた影のように見えている。私は行進していく現し身のひとつであり、すべてである。それは幻めいて捕らえどころのない、しかし活力に満ちて存在する精神の、過去・現在・未来にわたる顕現であり、いまはジェイムズ=アリソンという仮初の名で逍遙しているのだ。
えらく翻訳しづらい文章だ。それはさておき"etching his art against the sky"と"etched shadow-like against the sky"の類似性は明白だろう。引用した「妖蛆の谷」の文章は、過去から未来にかけてアリソンが幾度も転生を繰り返すことを語り、無数の転生体が一堂に会した様を行進に見立てている。彼方の丘の上で「空に刻みつけられた影」のように見えているものも自分自身の転生した姿に他ならないが、ではジョフリが「アルカディアの丘に立つ像」になぞらえたものも実は転生体ではないのか? 単一の「生命」から無数の現し身が生じ、それこそが生命の芸術であると謳っているのでは?
クトゥルー神話の世界で輪廻転生を論じた作家といえばローランド=フランクリンが有名だが、実はジャスティン=ジョフリの作品にも輪廻転生への言及があったのではないかという仮説だ。特に証拠があるわけでもないが、輪廻転生というのがハワードの作品で好んで用いられるテーマであることは確かだ。