新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

嵐に散る花

 昨日の記事で紹介したケネス=スターリングの回想記は、1999年にアーカムハウスから刊行されたLovecraft Rememberedに収録されている。
hplovecraft.com
 ラヴクラフトの形をした雲を背景とし、彼にゆかりのある人々が一堂に会しているという幻想的な表紙絵だが、ダーレスがもっとも目立っているのはアーカムハウスの本だからだろうか。
 この本に収録されているエッセイのひとつがフリッツ=ライバーの"My Correspondence with Lovecraft"だ。「ふたりの温かい人柄が伝わってきて、読んでいると非常に気持ちがいい」と中村融先生から評された*1名文だが、私の知る限り邦訳はない。例によって内容を少し紹介させていただく。

アメージング=ストーリーズに掲載された「異次元の色彩」を読んだとき、その陰鬱なる薄暮の恐怖は何週間にもわたって私の夢を凍てつかせることになった。数年後、学友が雑誌から剥ぎ取って保管しておいてくれたラヴクラフト作品のほとんどを私は二晩で読み通したものだ。「超時間の影」と「狂気の山脈にて」はアスタウンディング誌に掲載されたときに読んだことがあった。

 ライバーとラヴクラフトの文通が始まったのは1936年の晩夏である。「異次元の色彩」が発表されたのは1927年なので、すでに10年近い歳月が経っていた。なおライバーの父親は高名な俳優で、ラヴクラフトは1934年11月のロバート=ブロック宛書簡で彼のことを話題にしているのだが、その息子が自分の作品を読んでいるとは夢にも思わなかっただろう。

私の妻は、私には思いもよらぬ勇気の持ち主で、ウィアードテイルズ気付でラヴクラフトに手紙を書いた。数日後、彼の偉大な人から返事が来た。長い手紙だと当時は思ったが、ラヴクラフト書簡の平均的な長さがいかなるものかを私たちはやがて知ることになった。

 奥さんのおかげでラヴクラフトと知り合うことができたと語るライバー。ラヴクラフトに憧れながら、手紙を出す度胸がなかった若者も意外と大勢いたのかもしれない。その点ダーレスなどは豪胆なもので、ラヴクラフトのみならずアルジャーノン=ブラックウッドとも1927年に文通を開始し、その年の夏にはちゃっかり彼のサインを手に入れている。
 話が脱線した。ライバーの「魔道士の仕掛け」にラヴクラフトの指導が入っているのは有名な話だが、重々しく見せかけようとする気取った文章に対してラヴクラフトはとりわけ厳しかったとライバーが回想しているのが興味深い。誤解されがちなところだと思うが、ラヴクラフトは無駄に仰々しい言葉を避けていたのだ。この経験は自分に恒久的な影響を及ぼし、より気をつけて文章を彫琢するようになったとライバーは語っている。

真摯な批評の好例となるものを手紙の中で示してくれたばかりでなく、私の将来にとって同じくらい重要な恩恵をラヴクラフトは施してくれた。私が送った幻想小説や詩文を、趣味の合う他の文通仲間の間で回覧してくれたのだ。そのおかげで私はロバート=ブロックやヘンリー=カットナーと、そして後には幻想文学の分野でさらに何人かの作家と知り合うことができた。少なくとも潜在的には自分だって作家といえるのではないかと私は思うようになった。

 ラヴクラフトが仲立ちとなって新たな絆が生まれ、末永く続いていったという話。ちなみにライバーの単行本デビューはアーカムハウスからだが、彼とダーレスを引き合わせたのはブロックだったらしい。

ラヴクラフトは孤独な人だったと思われることもあるようだ。彼がいなければ私はずっと孤独だっただろう。半年間の短い文通の間だけではなく、その後の20年間も私の人生はラヴクラフトのおかげで遙かに豊かだった。

 これは泣ける。それにしても「ラヴクラフトは孤独だったのでは?」に対して単に「孤独ではなかった」と否定するのではなく「彼は他人を孤独から救える人だった」と切り返すあたり、ライバーの文章のうまさが光る。

ギャムウェル夫人から彼女の甥の訃報が届いた。その時になって私たちは初めて理解したのだ。私たちのような新参者にとってラヴクラフトの手紙は数々の美点があれど、何にもまして心からの笑顔で耐え忍ぶ姿、この上ない苦難に直面しても人生を楽しむ手本を示してくれていたのだということに。

 ラヴクラフトに友人たちが捧げた追悼文はおしなべて悲しみと寂しさに満ちたもので、その点はライバーも同じはずなのだが、なんだか花吹雪の向こうに去って行く友を見送るような華麗さがある。強く格好いいラヴクラフトを描き出した文章としては至上のものだろう。
 ライバーはダーレスとの交友も振り返っており、こちらも一読の価値がある。*2ライバーを孤独から救ってくれたラヴクラフトと、そのラヴクラフトを天の高みまで昇らせたダーレス。彼がラヴクラフトとダーレスにそれぞれ捧げた二つの文章は私の中では対になっている。