新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

ダンセイニとラヴクラフトとダーレス

 ラヴクラフトがロバート=バーロウに宛てて書いた1934年3月14日付の手紙より。

そうですね――ダンセイニが衰えていることは否めません――ユーモアのセンスが彼の弱点になってしまっているのです。初期の作品は最高ですね――『ペガーナの神々』『時と神々の物語』『ウェレランの剣』そして何よりも『夢見る人の物語』――ダンセイニが新しい世界を創造し、煌めく幻想を霊妙な綾絹のように織りなして、幻滅させるような忍び笑いなど痕跡もなかった時代でした。これらの作品と同時期に――あるいは、ほぼ同時期に――もっとも力強い戯曲があります――「アルギメネス王」「山の神々」などです。至高の幻影が薄れはじめたのは1912年、『驚異の書』が出たときでした――ですが後年の作品であっても初期の魅力がそのままに宿っていることはあります。長編なら『影の谷年代記』が最高であるように思われます。最近のは――『牧神の祝福』のようなのは、とても平板で貧相ですね。ジョーキンズの話については、私には用のないものだと言わねばなりますまい。ええ――サイムとダンセイニのチームワークは見事です。ダンセイニの奇怪で個性的な幻想を分かち合える人間はほとんどいませんが、サイムにはそれができているようです。サイムは年寄りで、ほとんど仕事から引退していますから、ダンセイニは挿絵を描いてもらうために彼をせっつかなければならないのですよ。ポオを除けば、ダンセイニほど大きな影響を私に与えてくれた作家はいないでしょうね。

 どんなに尊敬する作家であっても、その作品をすべて好きになることは困難なのだろう。ただしジョーキンズについては、この年の10月に刊行されたJorkens Remembers Africaを読んだラヴクラフトは1935年3月16日付のバーロウ宛書簡で「往時のダンセイニではない」としながらも「如才なく楽しい」と部分的に肯定している。
 ダーレスも1931年11月17日付のラヴクラフト宛書簡でダンセイニの「電気王」を酷評し、「この程度では拙作以下です」と傲岸不遜なことを述べている。そんな発言をしておきながら、彼は17年後にThe Fourth Book of Jorkensを出版することになった。アルジャーノン=ブラックウッドの新作を出すことはアーカムハウス創立の時からダーレスの目標だったそうだが、ダンセイニの作品を刊行するのも誉れと感じたらしく、1946年10月7日付のクラーク=アシュトン=スミス宛書簡で意気揚々と報告している。

これは極秘なのですが、英国の出版社との折衝さえ済めば次のジョーキンズ集成(すでに完成しています)は私たちに任せてくれるとダンセイニ卿がいっています。彼がやり遂げてくれますように。ダンセイニの名前は私たちの目録にぜひとも載せたいですね。

 英国の出版社が云々とあるが、この作品集はまずジャロルズから刊行された。アーカムハウスには珍しく他社の本の再版ということになるが、それをジャロルズに認めさせるためにダンセイニが骨を折ってくれたというわけだ。完全新作でなくてもかまわないとするあたり、ダーレスの中でのブラックウッドとダンセイニの軽重が垣間見えるような気がしないでもない。だが、スミス宛の手紙の続きは読んでいて涙が出るものだった。

ダンセイニの手紙はすべて手書きで、大きな走り書きの署名が添えてあります。HPLに見せてあげたかった。きっと彼ならダンセイニの手紙を楽しんでくれたことでしょう。

 鋼鉄の精神を有する編集王ダーレスが一瞬だけ青年の頃に戻ったかのような印象を受ける。クトゥルー神話の三聖は一人を欠き、残された二人の対話はいつも一抹の寂しさが漂っている。