新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

死者との誓い

 順番からいえば今日はロバート=E=ハワードの日なのだが、代わりにシーベリー=クインの"Pledged to the Dead"を紹介したい。ウィアードテイルズの1937年10月号に掲載された短編で、現在はプロジェクト=グーテンベルクで無償公開されている。私の知る限り邦訳はない。
www.gutenberg.org
 ノーラ=マクギニスという若い女性がジュール=ド=グランダンとトロウブリッジ医師のところに駆けこんできて、許嫁のネッドがニューオーリンズに出張して以来おかしくなっていると訴える。ド=グランダンのもとに連れてこられたネッドが語るには、ニューオーリンズで謎めいた美女に会ったのだという。彼女はジュリーと名乗り、ネッドを自分の恋人と呼んだ。ネッドが裏切らないように黒い毒蛇が監視しており、下手したらノーラに危害が及びかねないので別れるしかないと彼は思い詰めていた。
 ド=グランダンはニューオーリンズへ赴いてジュリーの正体を調べ上げる。ルイジアナが米国領になったばかりの頃、ダヤンという裕福な一族が住んでおり、ジュリーはその家の娘だった。彼女はフィリップという将校と恋仲になったが、捨てられて心痛のあまり夭逝した。ジュリーの乳母はママン=ドラゴンヌという黒人の老女で、黒魔術の使い手だとか蛇に変身できるといった噂があり、黒人のみならず白人からも敬意を払われていた。ジュリーを溺愛していたママン=ドラゴンヌは葬儀の時に不実な男を呪って忽然と消え去り、その行方は杳として知れなかった。フィリップはアンドルー=ジャクソン麾下の部隊で勤務していたが、ジュリーの墓の前で毒蛇に噛まれた死体となって見つかったという。
 そんなわけでジュリーは誠実な恋人を得られるまで憩えないのだから、また彼女に会ってきてあげなさいとネッドに助言するド=グランダン。彼から渡された怪しげな薬液を飲んだネッドはおっかなびっくり墓場に入っていった。果たせるかなジュリーが現れたが、ネッドの真摯な言葉を聞いて妄執から解放され、彼女を護り続けてきたママン=ドラゴンヌとともに天に昇った。
 後日ド=グランダンはトロウブリッジ医師に種明かしをする。ネッドに飲ませたものは、ド=グランダンがその道の専門家から20ドルで購入した惚れ薬で、相手がワニの姿をしていても愛せるようになるという優れものだった。ジュリーが死霊だと知ったネッドがびびっているので、薬物の力で強引に解決することにしたのだ。ノーラと結婚した後でもネッドの心の片隅にはジュリーがいることだろうとド=グランダンは語るのだった。
 いかがだろうか。21世紀まで書籍に収録されることがなかったというのも頷ける内容で、粗雑さと安直さが目立つ。こんな話ばかり書いていたものだから、クインに対する三聖の評価は低く、ダーレスは1932年1月4日付のクラーク=アシュトン=スミス宛書簡でロバート=E=ハワードの「屋上の怪物」を貶した際に「クインにすら劣る」と述べている。ウィアードテイルズの同じ号でクインの『悪魔の花嫁』が連載中だったのだが、駄作の基準に使われてしまうとはずいぶんな仕打ちだ。スミスも1934年9月5日付のダーレス宛書簡で「ウォーバーグ・タンタヴァルの悪戯」を酷評して「クインの貧弱な桂冠は一向に育ちませんね」と辛辣に言い放った。ただラヴクラフトは1933年5月9日付のロバート=ブロック宛書簡で「クインはマンモンに魂を売り払ってしまいましたけど、その気になれば素晴らしい作品も書けたはずなのです」と語っているので、地力は認めていたようだ。
 クインの代表作といえば「道」だろう。クラウスという名の兵士がイエス=キリストに出会い、数奇な運命の果てにサンタクロースになるという話で、荒俣宏氏による邦訳がある。もしもラヴクラフトが「道」を読んでいれば、クインに対する評価を改めたのではないかと知人からいわれたことがあるが、あいにく初出がウィアードテイルズの1938年1月号なので彼はすでに故人だった。
 「道」は1948年にアーカムハウスから刊行されている。クインの初めての単行本だったそうだが、実は自費出版だったことをダーレスが1954年1月22日付のゼリア=ビショップ宛書簡で明かしている。*1売れる見込みがなく、ダーレスとしても危ない橋を渡るわけにはいかなかったのだろうが、彼の冷徹な一面が垣間見える。