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ラヴクラフトと喧嘩別れした作家・補遺

 もう6年も前のことになるが、ラヴクラフトと喧嘩別れした作家がいたという記事を書いた。その名をヒュー=B=ケイヴという。

ラヴクラフトと喧嘩別れした男 - 新・凡々ブログ

 創作活動に関する方向性の違いで別れたとケイヴは回想しているのだが、この出来事をラヴクラフトの側はどう捉えていたのか。彼はケイヴとの交流と破局を逐一ダーレスに知らせていたので、ラヴクラフト・ダーレス往復書簡集を読むと顛末がよくわかる。

アスタウンディング=ストーリーズという新しい疑似科学雑誌をごらんになったことはありますか? アメージング=ストーリーズの生白い模倣のようですが、要求される水準を満たせる人にとっては新規の市場となってくれるでしょう。掲載されている作品のひとつはプロヴィデンスの作家が書いたもので――ヒュー=B=ケイヴという人です。この人のことは何も知らないのですが、よく地元の新聞に詩が載っておりますよ。
(1930年1月中旬、ダーレス宛)

 ここでラヴクラフトが言及しているケイヴの作品はアスタウンディング誌の1930年2月号に掲載された"The Corpse on the Grating"だろう。現在はプロジェクト=グーテンベルクで無償公開されている。*1

木蓮がST誌で咲き誇ったのは慶賀の至りです。まだ時間がなくて読めていないのですが、目次を見る限りでは面白そうですね。ホワイトヘッドの"The Great Circle"の原稿は見たことがありません。ケイヴがプロヴィデンス在住だという話はしましたっけ? ですが彼とは面識がないのです。どうやら作品にムラがあり、注意力に欠ける人のようですね。
(1932年4月21日付、ダーレス宛)

 ダーレスとスコラーが合作した"The House in the Magnolias"がストレンジテイルズの1932年6月号に掲載されたことを祝っている。*2同じ号にケイヴの"Stragella"も載っていた。「ケイヴの作品にしては悪くありませんが、今月号の花形からは程遠いですね」とラヴクラフトは4月30日頃のダーレス宛書簡で感想を述べている。

先日、我が同胞たるロードアイランド人のヒュー=B=ケイヴから初めて便りをもらいましたよ。全米創作ギルドというパルプ作家の新組織(かの才人アーサー=J=バークスが会長を務め、作家連盟を範としたものになるだろうということです)に加入してほしいといわれたのですが――年会費が10ドルかかる上に、その分野では私は門外漢も同然ですから、およそ誘いに乗る気になれません。ですがケイヴは非常に愉快な人物ですし、秋になって彼がポータケット(プロヴィデンスの北にある都市です)に帰ったら面会しようと思っています――あるいは友人のクックがボストン旅行に誘ってくれているのですが、神経の緊張を鎮めるために参加することにすれば、ケイヴとももっと早く会えるかもしれません。
(1932年7月16日付、ダーレス宛)

 ラヴクラフトを全米創作ギルドに勧誘したことがきっかけで知り合ったというケイヴの証言と一致している。なおバークスは海兵隊の大佐だった人で、『悪魔の夢 天使の溜息』所収の「影のつどう部屋」など邦訳がいくつかある。ラヴクラフトは1936年1月にニューヨークで彼と会い、ついでに全米創作ギルドの晩餐会に出席している。

ケイヴは非常に利口な人物ですが、芸術家になろうという野心は全然なさそうです。彼の商業的な成功はたいしたもので、すっかり満足しきっていることも明らかです。プライスも最近はその仲間入りをしつつありますね。何しろ執筆で生計を立てようとしていますから。
(1932年8月頃? ダーレス宛)

 早くも雲行きが怪しくなってきた。同時にホフマン=プライスの変節を嘆くラヴクラフト。彼は1932年10月28日付のダーレス宛書簡でも「プライスはケイヴのように商業主義に身を売ってしまったようです。己の一部を真っ当な文芸活動のために残しておけと私は彼を説き伏せようとしているのですが、ダーレス君のように二刀流で行ける人は多くないのでしょうねえ」と慨歎している。

創作する動機についてヒュー=B=ケイヴと一悶着ありましたよ。"In the Lair of the Space Monsters"をベイツに一部削除されたことをロングが恨んでいると私が話したところ、彼はずいぶん冷たい返事をしましてね。自分の作品を切り刻まれて気にするような作家は阿呆だと言いたげなのです――少なくともパルプ作家は気にすべきではないと考えているのでしょう――小説の執筆は純粋に商業的なゲームなのであって、できあがったもののことを気にしてはいけないのだと主張しておりました。こんなことを言われたら、私にとっては闘牛の前で赤い布を振り回されるようなものですよ――そこで私も応戦することにして、一朝一夕に忘れ去られてしまう屑を量産して満足するような作家ばかりではないのだと言ってやりました。向こうもますます態度が強硬になりまして、金銭以外のものが目当てで執筆するのは天才かバカだけだというジョンソン博士の箴言など持ち出してくる始末です。こうなると拙老も後には引けませんし――穏便に済ませる気もありません。左手で大衆小説を書きつつ右手で本物の文学作品を書くという類い稀な才能の持ち主だっているのだとダーレス君を引き合いに出してやりました。今のところ勝負は痛み分けといったところでしょう――本当はケイヴも思ったほど(感情的にはともかく)私の立場から隔たっていないようですから。
(1932年8月下旬、ダーレス宛)

「お金のために書いたって堕落しない作家もいるんですよ! ダーレスっていうんですけどね!」などと(アイスクリームを頬張りつつ)主張されたら萌えるしかない。そんなわけでラヴクラフトとケイヴの交流は長続きしなかったのだが、ウィアードテイルズの1933年5月号に掲載されたケイヴの"Dead Man's Belt"をラヴクラフトは「あのケイヴにこんな作品が書けるとは」と称賛している。やはりケイヴが一方的に引け目を感じて遠ざかっただけで、ラヴクラフトの側では大して気にしていなかったのではないだろうか。なおラヴクラフトに対するダーレスの返事は「確かにケイヴのは良い出来でしたが、それだけに却って細かな粗が気になります。私としてはスミスの作品*3のほうがケイヴのより好きですね。ドンの作品*4もケイヴのと同じくらい優れていますが、それに引き換え私とスコラーの"The Carven Image"は最低です」というものだった。
 ちょっとした後日談を最後に付け加えておきたい。ケイヴの"The Isle of Dark Magic"という短編がウィアードテイルズの1934年8月号に掲載された。恋人に死なれた青年が瓜二つの女人像を制作し、暗黒神の力で命を吹きこもうとするという怪談なのだが、その青年が祈りを捧げる対象がナイアーラトテップだったりユゴスだったりするのだ。なお、ハスターの「悪の貴公子」という称号はこの作品が初出だ。
 ラヴクラフトと袂を分かっておきながら面の皮が厚いが、ケイヴには未練があって彼の気を引こうとしたのだろうか。気難しい人なら逆に立腹しそうだが、ラヴクラフトは1934年8月14日付のロバート=バーロウ宛書簡で「まあ良い宣伝にはなるでしょう」と鷹揚なところを見せている。

Murgunstrumm and Others (English Edition)

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*1:Astounding Stories of Super-Science February 1930 by Various - Free Ebook

*2:木蓮林の家 - 新・凡々ブログ

*3:クラーク=アシュトン=スミス「アヴェロワーニュの獣」

*4:ドナルド=ワンドレイ「現われた触手」