新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

ローマの遺跡

 アルジャーノン=ブラックウッドに"Roman Remains"という短編がある。1947年に執筆され、ブラックウッドの生前に出版された最後の作品になった。初出はウィアードテイルズの1948年3月号だ。
vaultofevil.proboards.com
 ウィアードテイルズに掲載された経緯は後述するが、そのときの挿絵を上のリンク先で見ることができる。ボリス=ドルゴヴの手になるもので、なかなかいい雰囲気だ。
 時は第二次世界大戦中、主人公のアンソニー=ブレドルは英国空軍の操縦士だ。インドで勤務していたが、現在は病気休暇中で、歳の離れた義兄に招かれてウェールズの田舎に来たところだった。義兄は高名な外科医だが、現在は臨床を離れて研究に専念している。ブレドルが病み上がりと知り、風光明媚な土地でゆっくり療養しなさいと勧めてくれたのだった。
 義兄のところにはブレドルの他にも二人の客人がいた。一人は義兄の旧友であるエミール=ライデンハイム博士。ベルリン大学に勤めていたが、ナチスに追われて亡命してきたのだ。もう一人は看護師のノーラ=アッシュウェル。ブレドルにとっては従姉妹に当たるのだが、いままで会ったことはない。彼女のことは好きになれないとブレドルは感じたが、その理由はわからなかった。
 その地方にはマスの住む清流があり、程遠からぬところにはワイ川もあってサケが獲れるので、義兄はブレドルのために釣り道具を用意してくれていた。また「山羊の谷」にはローマ時代の遺跡があり、シルウァヌスを祀った神殿が見られるということだった。
 次の日は快晴だった。天気が良すぎるとマス釣りには向かないので、ブレドルはサンドイッチを持って遺跡を見に行くことにした。谷に着くと、陽気で軽快な口笛が聞こえてくる。休憩しつつ弁当を食べているうちに口笛は聞こえなくなったが、暖かな木漏れ日を浴びながらブレドルは眠ってしまい、目が覚めると再び始まるのだった。
 ブレドルは恐怖しつつ、口笛の主に会わなければならないと同時に感じていた。相反する気持ちを抱えて闇雲に駆けた彼が見たものは、乱舞するノーラ=アッシュウェルの姿だった。彼女が木々の向こうに消えていくのを見送ったブレドルは独り呆然と立ち尽くす。一刻も早く立ち去らなければならない――いま考えているのは、それだけだった。
 どうやって谷から脱出できたのかブレドルにはほとんど思い出せなかった。日没の頃に帰り着き、夕食は普段と変わらぬ様子だった。誰かに相談しようと思ったブレドルは義兄ではなくライデンハイム博士に打ち明ける。博士は真面目に耳を傾けてくれたが、彼のいうことはブレドルには理解しがたかった。
「ああ、そう……そう……もちろん興味深く、そして――ええ――きわめて異様です。生に対する不可避な欲求と、そう――それから理不尽な恐怖の結合です。常にきわめて強力であると見なされ――もちろん同等に危険でもあります。あなたの現在の状況――療養中ということですが――そのせいで鋭敏になっていることは疑う余地がありません……」
 なるほど、わけがわからない。午前3時、それまで平和だったその地方で初めて空襲があった。標的になっているのはリヴァプールのはずだが、スピットファイアに追われたドイツ軍機が身軽になろうとして爆弾を捨てたのか、山羊の谷のあたりが被害を受けたのだ。ブレドルと義兄とライデンハイム博士は起きてきたが、ノーラの姿が見当たらない。彼女の寝室に行って名前を呼んでも返事はなく、鍵のかかっているドアを破ると部屋はもぬけの殻だった。3人はノーラを探しに出かける。ライデンハイム博士は鋤を携えており、ブレドルにも1丁を手渡した。
 山羊の谷に着いた彼らはライデンハイム博士に先導されてシルウァヌスの神殿に向かった。爆弾によって変わり果てた姿になったノーラが見つかったが、遺体はもうひとつあった。そちらも絶命しているものの、外傷はなかった。
「埋めたほうがいい――埋めなければなりません」とライデンハイム博士がいった。こうなることを予想して鋤を持ってきたのだろう。
「まず焼くべきだと思います」と義兄がいい、ブレドルと博士も賛成した。その場で遺体を荼毘に付し、家に帰り着く頃には日は高く昇っていた。
 後でライデンハイム博士はブレドルにパウサニアスの著作を見せた。ローマの独裁官だったスッラがテッサリアから帰る途中、洞窟の中で怪物が見つかったという記述があるのだ。すなわちサテュロスであり、山羊の谷にいたものもその同類なのだった。
 かつて崇拝されていたものが現代も生きながらえているという話なのだが、邪悪というよりは異質な存在として描かれている。その命を奪うのがドイツ軍の爆弾という結末はあっけないが、ブラックウッド自身も空襲で九死に一生を得ているだけに生々しい。
 ブラックウッドはこの作品をダーレスに送った。ダーレスは当初アーカムサンプラーに掲載するつもりだったのだが、より大勢の読者の眼に触れるべきだと判断したのでウィアードテイルズに回したという。ブラックウッドの作家人生の掉尾を飾るのにふさわしい作品だと思うし、ダーレスの粋な計らいが感じられる。