新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

事前従犯人

 アルジャーノン=ブラックウッドに"Accessory Before the Fact"という短編があり、プロジェクト=グーテンベルク=オーストラリアなどで無償公開されている。
gutenberg.net.au
 マーティンは休日の散策を楽しんでいたが、どういうわけか荒野で迷ってしまった。道を間違えたところまで引き返すべきかと思案してから、彼は先に進むことにする。かまわず行けば宿屋が見つかるだろう、予定のとは違ったとしても――そう思った彼が歩き続けると、みすぼらしい身なりの二人組が地べたに寝転がっていた。彼らにドイツ語で時刻を聞かれたマーティンはとっさに「6時半」と答える。返事をした後で時計を見ると、幸いにも合っていた。
 わけのわからない恐怖を感じながらマーティンは歩調を速めたが、先ほどの二人組が現れて彼に襲いかかる。背後から鈍器で滅多打ちにされてマーティンは抵抗できず、世界は闇の中に沈んでいった……。
 はっと気がつくと、マーティンは標識の前に立っていた。迷ったのも、暴漢に襲われたのも夢だったようだ。標識には目的地の名前が書いてあり、宿屋のある村はほんの2マイル先だった。マーティンは村まで一目散に駆けていき、疲労困憊しつつ宿に着く。
 夕食を済ませて気分も晴れ、一服しようとバーに入った彼が見たものは、あの二人組の姿だった。きちんとした服を着ているが、顔は見間違えようもない。だが彼らは自分に用があるのではなく、狙われているのは別の誰かだとマーティンは悟った。その誰かに対する警告を自分は間違って受け取ったのだ、まるで無線を傍受したようなものだ――マーティンは恐れおののいたが、その晩は何も起こらなかった。彼はぐっすりと眠った。
 マーティン以外に宿泊しているのは、金縁の眼鏡をかけた年配の男性だけだった。翌朝、その人物が宿の主人に道を訊ねているのを見たマーティンは代わりに答え、よろしかったら御一緒しましょうと申し出る。赤の他人だが、一人きりで行かせるわけにはいかないと思ったのだ。だが自分の出立は遅くなるからと丁重に断られてしまい、みすぼらしい身なりに変装した二人組の片割れが現れて時刻を訊ねた。教えてやったのは金縁眼鏡の男性だった。
 もはや打つ手がなくなったマーティンは苦悩しながら帰途につく。このままでは人が殺されようとしているのを看過することになってしまう。だが、そもそも間違って受け取った情報で運命を変えようとするのが摂理に反しているのではないか? 最後の2日間、マーティンの休暇はそんな疑念のせいで台なしになった。
 後日、例の荒野で旅行者が喉を切り裂かれて殺害されたという記事が新聞に載った。被害者は金縁の眼鏡をかけており、大金を所持していたそうだ。下手人と目される二人組は未だに捕まっていないという。
 他人の運命を予知してしまった男の煩悶を描いた掌編。題名になっている"Accessory Before the Fact"をウェブスター辞典で調べると「直接の犯行には加わらないが、幇助や教唆という形で寄与する共犯」とある。「事前従犯人」と訳すらしいが、殺人が行われることを前もって知りながら阻止するのを諦めてしまったマーティンを指しているのだろう。
 この作品は1911年9月2日付のウェストミンスターガゼットが初出で、その後Strange StoriesTales of the Uncanny and Supernaturalなど様々な単行本に収録されている人気作だ。また1960年代に英国でテレビドラマ化されたこともある。*1なかなか優れた作品だと思うのだが、今日に至るまで邦訳はないようだ。