新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

黒の取引

 まあ聞いてくださいよ、この仕事と来たら変わりばえがしなくてねえ。来る日も来る日もカウンターに立って同じ作業の繰り返し、これじゃ自分が何のために薬学を勉強したのかわかりゃしない。ところが、その晩の客はちょっと違ったんですね……。
 これはロバート=ブロックの"Black Bargain"という短編である。初出はウィアードテイルズの1942年5月号、邦訳はまだない。『妖蛆の秘密』が出てくるという一点でのみクトゥルー神話との関連性がある作品だ。
 語り手はドラッグストアの店員。ある日の夜更け、眼鏡をかけた気弱そうな男が店に入ってきてトリカブトベラドンナを注文する。そんな代物をドラッグストアで普通に扱っているものなのか知らないが、語り手の店には在庫があった。化学の実験に使いたいのだと客は説明し、何やら本を引っ張り出してブツブツ呟く。
トリカブトベラドンナ――猫――燐も要るな。青いチョークはありますか? それから蝋燭を1ダース」
 猫? 語り手は余計な詮索をせず、注文の品を揃えてやった。いまは持ち合わせがないが、3日後に必ず支払うと客は約束する。語り手はつけで売ってやることにした。
 3日後、眼鏡の男は再び店にやってきて代金を支払った。気弱そうな様子は消えて自信に満ちあふれ、着ている服もずっと高価なものになっている。彼の名はフリッツ=ガルザー、取り組んでいた研究の成果が出たので、大手化学メーカーに研究部長代理として雇われることになったのだそうだ。ドラッグストアの店員を辞めて自分の秘書にならないかとガルザーは語り手にいった。
 語り手はガルザーと酒を酌み交わし、奇妙なことに気づいた。ガルザーは椅子に座っているのに、彼の影は直立不動の姿勢なのだ。語り手がそのことを指摘しようとすると、ガルザーは立腹して立ち去った。
 2日後、憔悴した様子のガルザーが店に来て謝罪し、秘書にならないかという誘いを繰り返した。いろいろ睡眠薬を試しても効かないから、うんと強力なやつを処方してくれないかと彼は語り手に頼む。語り手がガルザーの影を見ると、ますます黒々として大きさも増したようだった。
 翌日、語り手はガルザーの勤め先を訪問します。オフィスに通されるとガルザーは不在で、机の上に一冊の本が置いてあった。ガルザーが初めてドラッグストアに来た晩に読んでいた本に違いない。語り手が本を手にとってページをめくると、それは『妖蛆の秘密』だった。
 ガルザーが部屋に入ってきて、語り手に真相を打ち明けた。『妖蛆の秘密』に記されている魔術で招喚したものと取引をしたというのだ。おかげでガルザーは成功者となった。入社から5日で研究部長に昇進し、女性に声をかければ即座になびいてくれるが、一方で影が彼を悩ましていた。
 影は何かを待ちかまえているかのようだった。手遅れにならないうちに儀式を繰り返し、影を退散させようと語り手は提案する。彼はガルザーにモルヒネを投与し、儀式に必要なものをドラッグストアへ取りに行く。語り手が部屋を出るとき、影はガルザーの上に屈みこんでいた。
 語り手が戻ってくると、ガルザーは元気を回復していた。怯えたりしたのはバカバカしい限りで、実際には何でもなかったのだと彼は語る。しかし、もうガルザーに影がないことに語り手は気づいた。影はガルザーの中に入りこみ、彼の体を乗っ取ってしまったのだ。語り手は拳銃を取り出してガルザーを撃った。
 銃声を聞きつけた人々が部屋に雪崩れこんできた。床に倒れているのはガルザーではなく、ガルザーの服を着た影だ。語り手が持ち上げようとすると影は霧散し、後には服だけが残った。「何もいやしなかったのさ」と語り手はいうのだった。
 『妖蛆の秘密』は『ネクロノミコン』と異なり、ここで成長を止めてしまったように思われるとロバート=プライスは解説している。ブロックの神話作品には案外しょうもないものが多いというのが私の率直な感想だ。

Mysteries of the Worm: Earle Tales of the Cthulhu Mythos (Call of Cthulhu Fiction)

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