新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

ここから電話するかも

 アルジャーノン=ブラックウッドに"You May Telephone from Here"という短編がある。元々は新聞小説で、1909年2月27日付のウェストミンスターガゼットが初出だ。その後Ten Minute StoriesStrange Storiesに収録されたが、まだ邦訳はない。
 午後10時半、ロンドンのノースケンジントン。夫がパリに発った奥さんは召使いを先に寝かせ、従姉妹のシビルが訪ねてくるのを独り待っていた。時折ブラインドを持ち上げて窓の外を見ると、いつになく濃い霧が立ちこめていた。
 仲良しの従姉妹がようやく到着し、奥さんは大喜びで出迎えた。明日の朝7時には夫はパリに着く予定で、そうしたら真っ先に電話すると約束してくれたと聞いて呆れ顔になる従姉妹。パリからの国際電話は3分間で10シリングもするのだ。
 真夜中を過ぎているが、二人はお喋りを楽しんだ。「ちっとも眠くならなくて」と奥さんは申し訳なさそうだが、従姉妹は平気で付き合っている。彼女が芝居の話をしていると、不意に電話が鳴った。だが微かに聞こえてくるだけで、正常な音ではない。どうやら不具合が生じているようだが、奥さんはびくっとした。
「電話は1週間前に来たばかりなんだけど、あまり好きになれないの」
「気にしちゃ駄目」従姉妹は笑い飛ばした。「まだ慣れていないんでしょう。交換局に連絡して苦情をいわないと。この世の中では、嫌なことがあったら黙ってないで――」
 従姉妹は奥さんの代わりに電話をかけてやり、事情を説明した。短い会話の後で、彼女は手に受話器を持ったまま奥さんのほうを向いた。
「交換手は恐縮してたわよ。混線か何かみたいね。理由がわからないから、朝まで受話器を外しておいてほしいって。そうすれば鳴らないから」
「私ったら臆病だし、どんくさいし」という奥さん。「でも慣れてないの、田舎には電話なんかなかったから。それに今夜はなんだか落ち着かなくて」
 もう午前1時だ。二人は寝ることにしたが、1時間後にまたもや電話が鳴った。ほとんど聞こえないほど小さく、ためらっているかのような音だったが、徐々に大きくなっていく。奥さんの悲鳴を聞いた従姉妹が駆けつけてきた。
「何事? びっくりしたじゃない」
「また電話が鳴ってるの――すごい音」奥さんは蒼白になって囁いた。「聞こえない?」
 従姉妹も唖然としていた。「何も聞こえないわ」といったものの、あまり自信がなさそうだ。だが受話器を外してあるのだから、鳴るはずがない。
「誰か私に用がある人がいるの。誰かが私と話したがってるのよ」奥さんの声は震えていた。「ほら、聞こえるでしょう!」
 奥さんはいても立ってもいられず受話器を耳に当てたが、従姉妹はなすすべもなく立ち尽くしていた。彼女には何も聞こえなかったのだ。
「あなたなの、ハリー!」奥さんは夫の名前を呼んだ。「どうして、こんな早い時間に? ――ええ、聞こえてます。すごく微かだけど。とても遠いところにいるみたい――何ですって? すばらしい旅行? パリにはいないけど?」
 奥さんは悲鳴を上げて受話器を放り投げ、床に頽れた。
「わからない――死、死だわ……!」
 後でわかったことだが、その晩の午前1時過ぎにイギリス海峡で船舶の衝突事故があり、ハリーも遭難していた。彼は救助されたものの数時間は意識不明の状態で、波にさらわれたときに妻と話がしたいと強く願ったことしか覚えていなかったという。眼を覚ましたとき、彼はフランスのディエップにいた。
 翌日、電話の修理人がやってきた。彼の話によると、昨晩は真夜中から午前3時頃まで交換局で電話線が奇妙な火花を散らしていたが、その理由は誰にも説明できていないそうだ。
「奇妙ですな!」10分ばかり調べてから修理人はいった。「この電話におかしなところはありません。かけた側の問題に違いありませんよ」
 夫の思いが電話線を介して妻のもとに届いたというお話。しっかり者の従姉妹の存在が物語にアクセントを添えている。結末で夫が死んだことにしても成立する話だし、途中の夫婦の会話で嫌な予感がしていたのだが、むざむざ登場人物の命を奪わないのがブラックウッドのいいところだろう。なお、この作品が収録されたTen Minute Storiesはデルフィ=クラシックスから復刊されている。

 6000ページ以上のブラックウッド作品が300円ちょっとで買えるというお徳用電子書籍だ。もちろん公有に帰しているのだろうが、ネット上で公開されていない作品もたくさん収録されているので300円の価値はあると思う。