新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

ジョーンズの狂気

 昨日に続いてアルジャーノン=ブラックウッドの作品集の話題だ。The Listener and Other Storiesには九つの短編が収められている。

  • 幻の下宿人
  • 毒殺魔マックス・ヘンシッグ
  • The Insanity of Jones
  • 死の舞踏
  • 幻影の人
  • 五月祭前夜
  • スランバブル嬢と閉所恐怖症
  • 幽霊の館

 ひとつだけ未訳のままになっている"The Insanity of Jones"の話をさせていただきたいが、この作品もプロジェクト=グーテンベルクで無償公開されている。
www.gutenberg.org

冒険は、冒険心のある者のもとにやってくる。神秘的な物事は、驚異と想像をもってそれらを待ちかまえる人々の道程に立ち現れる。だが大多数の人間は半開きの扉の前を通りかかっても、閉じていると思いこみ、背後にある因果の世界と彼らの間に現れたものの形をとって絶えず垂れこめる大いなる帳の微かな動きに気付きもしない。

 ……という出だしなのだが、白状すると私は読んでいて微妙なしんどさを感じた。もちろん私の英語力の問題が大きいのだが、それだけではないらしい。ブラックウッドの文章は悪い意味で報道調だとラヴクラフトは1933年3月14日付のロバート=バーロウ宛書簡で述べている。敢えて新聞記事のような文体を使うのも怪奇幻想文学の技法のひとつだろうが、ブラックウッドの場合はむしろ生硬な印象を与えてしまっているのだろう。だが、その欠点をものともせずに圧倒的な想像力で力押しするのがブラックウッドだともラヴクラフトは評している。
 話を戻すと、主人公のジョン=エンダービー=ジョーンズはロンドンの保険会社に勤めている。自分は現世と異界の境界線上にいるというのが彼の信念だった。その異界では時間も空間も思考の一形態に過ぎず、太古の記憶がありありと可視化されている。そして個々の人生の背景に潜んでいる力が明らかになり、世界の核心に隠された根源が見えるのだ。
 人事異動で本部の総支配人が交代し、ジョーンズは新しい総支配人の秘書に抜擢された。ある日、いつものようにジョーンズがソーホーのフランス料理店で夕食をとりに行くと、そこにはソープがいた。ジョーンズがまだ新人だった頃、たいそう親切にしてくれた先輩だが、彼はもう5年以上も前に亡くなったはずだった。ジョーンズはソープに連れられ、無言で街を歩いていった。
「私は遙かな過去から君を助けにやってきたのだよ」とソープはいった。「君には大きな借りがあるのに、今回の人生では少ししか返せなかったからね」
 「過去の館」と呼ばれる大きな屋敷にソープはジョーンズを案内し、その家は地下室から屋根裏までジョーンズの前世の記憶が詰まっているのだと説明した。ある部屋でジョーンズが見たのは、前世の自分がスペインの異端審問官に拷問される光景だった。彼は友人を共犯者として告発するよう強要されていたのだが、頑として口を割らないまま処刑されたのだという。その友人というのは前世のソープであり、異端審問官の生まれ変わりがジョーンズの上司である総支配人だった。
 ジョーンズは拳銃を購入してエセックスの海岸で独り射撃の練習に励み、何週間か経つ頃には25フィートの距離から半ペニー硬貨を狙って12回に9回はきれいに中心を打ち抜けるようになった。ちなみに25フィート(7メートル50センチ)は総支配人の執務室の端から端までの距離だそうだ。7月末の猛暑日、支配人に指示されたジョーンズが金庫の中の書類をとりに行くと、背後からソープの声が聞こえた。
「今日だ! 今日やらねば!」
 ジョーンズが書類をもって戻ると、部屋には総支配人しかいなかった。室内はかまどのようだった。
「今だ! 今やるのだ!」
 ジョーンズはドアに鍵をかけ、不審に思った総支配人が理由を訊ねた。
「なぜ? 誰の命令で――?」
「正義の声が命じたのであります」
 ジョーンズは拳銃を取り出し、総支配人の両手と両足を次々と撃ち抜いた。銃声を聞きつけた人々が駆けつけ、ドアを破ろうとしていた。
「急いで!」ソープの声がした。
 ジョーンズは総支配人の両眼を撃ち、彼は絶命した。使命を果たしたジョーンズは自殺しようとしたが、あいにく拳銃は6連発だったので弾倉は空になっていた。ドアを破って雪崩れこんだ人々がジョーンズを拘束したが、彼は抵抗しなかった。2人の警官に連行されていきながらジョーンズが見たものは、ベールをかぶった人物の姿だった。その人物はジョーンズの前を威風堂々と動き回り、小さな円を描くように炎の剣を振っては、異界から列をなしてジョーンズに殺到してくる顔の群を追い払っていた。
 ……という話だ。題名は「ジョーンズの狂気」となっているが、亡き友人に会ったり前世の光景を見たりしたこと自体が狂気の産物だったのか、それとも前世の復讐をするのが正義だと信じて殺人に及んだことが狂気と呼ばれているのかは定かでない。
 ラヴクラフトThe Listener and Other Storiesを読んだことがあり、1926年8月9日付のダーレス宛書簡で「すばらしい」と称賛している。"The Insanity of Jones"への言及は彼の書簡には見当たらないが、「柳」以外の収録作も高く評価していたことが窺える。